▲来年春に市長選が行われる徳島市(Wikipediaより、アゴラ編集部)
僕が徳島市長選挙に出ると決めて、ある経済界の有力者に相談した。
その時言われたのが、「億出せるか?ないなら勝てんからやめた方がいい。」という話。
「何にほないいるんですか?」と尋ねると、
「例えばな、ある業界団体の会長さんのところに挨拶に行くとするだろ。そうすると、君自身はただ行って『よろしくお願いします!』というとけばいい。けどな、そのあとで、君の支援者で、後援会幹部ではない人がな、ヤマブキ色のやつ持って、その人のところいかな失礼にあたるんじゃ。選挙ってな、ほういうもんなんでよ。」
ナルホド、確かにそういうことをやってれば、一億円なんてお金はすぐに無くなってしまう。けれども、私は一億円持っていないので、そんなことできない(あってもやろうと思いませんが。しょうもないので。)。政治とカネの問題は言われ続けて久しいけれど、実際、この徳島で、今もそんなカルチャーが(少なくとも経済界の一部で)生き続けているのだと知って、あきれもしたし、暗澹たる気持ちになった。
もちろん、聞いただけの話である。
上記のような手法が、本当に行われているのかは、私は知らない。
しかし、もし本当だとしたら・・・。
一億円払える人しか市長になれない街。そんな街で政治を変えようと思って市長になろうとしたら、特別なお金持ち以外は、人からお金をもらうしかない。大口の献金者は、もちろんただで献金しているわけではないだろう。そんな人間が市長になった暁には、もちろん市長自身のお金ではなく、市民の私たちが支払った住民税や固定資産税によって、もらった金額以上の見返りを、市民にばれにくい形で献金者にもたらすしかない。
私たちの民主主義は、そんな民主主義でいいのだろうか。
実は、私たちには、この状況を変える力がある。
その力は、微力ではあるが、無力ではない。
チャンスはあるが、4年に一度きりしかない。
それが、市長選挙で投票することである。
前回の市長選挙はどうだったか。
投票率25%。これが、前回の選挙の結果である。
4人に1人しか投票していない。4人に3人は、棄権している。
それで不都合がないなら、まあそれでもいいかとも思う。
しかし、現実には、市長が誰かによって、変わってくる部分も大きい。
選挙での選択の結果によっては、公金は無駄に使われ、大半の市民はが大損する結果になる。
この少子化の時代に、社会の宝である子供を育ててくれているお父さんお母さんは、そんな無駄がなければもらえるはずの出産祝いがもらえず、本来無償化できるはずの月6万円の保育料を支払い、雨漏りがしてエアコンもない小学校に子供を行かせられている。
徳島経済を支える自営業者の皆さんや、これまで徳島を支えてきてくれた年金生活の方々は、超高額の徳島市の国民健康保険(健康保険料って市町村によって値段が違うのです。所得に占める割合は、徳島市が日本の県庁所在地の中で一番高いらしい。)を支払い続けている。
阿波踊り連はこんなに徳島市の文化をけん引し、徳島市に貢献しているのに、練習場所さえ十分に与えられない。
そして皆、必ず来る東南海地震に十分な備えもないまま、この市中に138本の川が流れる砂州の町で、無防備に暮らしている。
市は「シティープロモーション」なるものを行っているという。しかし、ホテルや旅館、バスやJR、土産物など、観光産業に携わる人は、「行ってみたい都道府県」47位の徳島をどう思っているのだろう。
まことにもってもったいない。
これらは、選挙の選択によって、変えられる部分である。
今よりいいかもと思える部分があるのなら、変える選択をすべきである。
私たちが今、考えなければならないのは、変えられるのに変えなかったことを、自分の子や孫に説明できるのかということ。
まちづくりは進まず、生活がよくなっていない中、借金や支払いばかり残して、市の自由になるお金がほとんどない状態にして、「これがあなたが暮らしていく徳島市だよ。」と子供の目を見すえてバトンタッチできるのか。
繰り返す。私たちは微力だけど、無力じゃない。
できることは、選挙に行くこと。市政を一部の人たちのものから、自分たちの手に取り戻すこと。楽じゃない。けれど、やらなきゃできないし、やればできる。
「為せば成る」
わが母校、城北高校の校訓である。
立石 量彦(たていし・かずひこ)
1975年生まれ。徳島県出身。徳島県立城北高校、東京大学法学部卒業後、2002年、司法試験合格。06年弁護士登録。法律事務所勤務を経て、弁護士のいなかった徳島県南地域に、日弁連の支援を得て「阿南ひまわり基金法律事務所」を設立。11年には法人化して「弁護士法人リーガルアクシス」の代表となり、徳島市に事務所を開設。16年春の徳島市長選に立候補予定。
公式ホームページ http://zomeki.net/