2009年1月1日に創刊したアゴラ。10年の歴史を振り返ると、社会を動かした投稿、「過去にはこんな人も投稿していた」など、注目すべきアーカイブ原稿が見受けられます。10周年企画として、編集部で注目した過去記事を随時ピックアップしていきます。
復刻版3回目は、歴代約34,000を数える全投稿の最初期に当たる2本のエントリー。民主党政権下の10年前、当時話題になった「派遣村」を引き合いに、松本徹三さんと池田信夫が格差や分配論などを論じ合った「往復書簡」を振り返ります。「言論の市場」形成を目指し、議論をし合うというアゴラ草創期の理念を体現したやりとりをご覧ください。※再掲載にあたり、読みやすくするように一部編集しています。(アゴラ編集長 新田哲史)
「複雑系」の世界に対応できない単純な議論(松本 徹三)2009年1月27日
私は池田信夫先生のブログの愛読者で、その論旨には時折多少の意見の相違はあっても、おおむね賛成です。賛成と言うよりも、むしろ「当然のこと」を言っておられるように思うことが多いのですが、世の中にはこれに相当激しく反発している人達も多いようなので、むしろ驚いています。
彼等の議論を聞いていると、あまり論理的とは言えず、私には単に「情緒」が「論理」に反発しているようにしか思えないのですが、危険なのは、ジャーナリストと政治家にこの傾向が多いことです。彼等は、おおむね大衆の「情緒的な賛同」を得ることを旨としているので、敢えて「論理」や「歴史的学習」を無視しようとするのかもしれません。(ちなみに、私が池田先生のブログに魅かれるのは、「論理」を歴史的な事実から検証してくれている点です。)
「派遣」を巡る議論は、まさにその際たるものである感があります。現在の経済危機の中で、多くの派遣労働者が極めて苦しい状況に置かれているのは事実ですが、「現在の派遣業法がそういう問題を起こした悪の根源である」というような議論を聞くと、正直に言って、頭を抱えたくなります。経済危機があろうとなかろうと、派遣労働者の立場が、正社員や組織労働者に比べて不安定なのは当然であり、これまでも「派遣切り」は常にあり、その為に途方に暮れていた人達も数多くいたのです。
現在このことを騒ぎ立てている人は、「苦しい立場にある人が少数だった時には同情もしなかったが、多数になったから同情している」ということのようですが、もしそうなら、論理的に破綻しているだけでなく、人間性にも問題があると言えます。要するに、一見「社会正義」を標榜しているかのように見えても、実際には「票になればよい」「視聴率が上がればよい」ということだけなのでしょう。
もし民主党や社民党が言っているように、将来「派遣労働の規制」が強化され、「雇用の固定化」が促進されることになると、間違いなく起こることは、「正社員の過重な残業」「完全失業者」「工場の海外移転による空洞化」が増え、「リスクのある新事業の開拓」や「ベンチャービジネス」は減るということでしょう。企業の経営者が常にコストを下げリスクを軽減することを考えるのは当然だからです。
心の中で「世の中が何も変わらず、今の状態が安定して続いてくれるのが一番いい」と考えている人達は、実は意外に多いのかもしれませんが、「技術革新」と「経済の国際化」を止めない限りは、そのようなことはあり得ません。「改革」と「流動化」を受け入れる以外に、現在の生活水準を維持する方法はないのです。
一方、「分配の不公平」を是正するという問題は、これとは次元の異なる問題です。これは、一般に考えられているような「労使」の問題と言うよりは、むしろ「労労」の問題でしょう。経営者としては、もし「分配」をより公平にすることによって生産性が上がるのなら、それを忌避する理由は全くありません。(悪名高い「虚業的な金融資本家」マネーゲーマーと、常に生産性の向上を考えている「実業の経営者」を混同して、「使」として一括りにする人達もいるようですが、この人達は実態を見ていません。)
また、現実に、その方がより合理的であり、「合理的であるが故に生産性が上がる」可能性もあるように思えます。過保護を受けているデトロイトの労働者に、米国人の殆どが冷たい目を向けているように、ノンワーキング・リッチは、何の役にも立っていません。この機会に、下請企業の立場を改善したり、派遣業法に若干の工夫を加えて、正社員と派遣社員の間の待遇の格差を縮小したりすることは、「長期的には各企業の国際競争力を強化することにも役立つ」可能性がないとは言えないと思います。
この世界は「複雑系」であり、「何が社会正義なのか」ということすらも、単純には規定できません。「複雑系」の世界の中で「最大多数の最大幸福」を求めるためには、現状の冷徹な分析と、注意深く検証された理論に基づく政策立案能力が求められるのに、これに責任を持つべき政治家やジャーナリストが、単純で情緒的な議論に終始しているようでは、将来に希望は持てません。
一流の専門家を集めた行政府を組織し、国民一丸となって危機に立ち向かおうとしている米国、矛盾を抱えながらも、「成長を持続する為の諸条件」に比較的恵まれている中国に対し、「国民の甘え」と「政治的指導力不在」の為に、日本がまたまた大きく立ち遅れることがないことを、切に祈っている次第です。
オリジナルはこちらです。
Re:「複雑系」の世界に対応できない単純な議論(池田 信夫)2009年1月28日
松本さん、どうも。
私のブログで「派遣村」に言及したところ、驚くほど大きな反響がありました。おもしろいことに、最初は「かわいそうなワーキングプアをいじめる悪い奴」といった反応が多かったのですが、私が説明すると「問題は正社員と派遣の身分差別だ」というコメントが増えてきました。
朝日新聞が世論調査で、「かえって雇用が減るという意見もある」と紹介したうえで派遣禁止への意見を聞いたところ、禁止に「反対」が46%で「賛成」の30%を上回ったそうです。社民党と一緒に製造業の派遣を禁止する法案を出そうとしていた民主党も、最近はいわなくなりました。世の中は、少しずつ変化しているようです。
政治家が愚かなのは今に始まったことではありませんが、深刻なのは派遣村のリーダー湯浅誠氏のような良心的な人々が、いまだに連合と一緒になって厚労省に派遣労働者の住居を求めていることです。派遣労働者を生み出しているのが労組の既得権を守る行政だというメカニズムが見えていなくて、依然として「資本家×労働者」という古い図式で問題をとらえて、「内部留保を労働者に分配しろ」という。
稼ぎを増やさないで、縮んでゆくパイを平等にわけあっても、人々は平等に貧しくなるだけです。おまけに日本は、でたらめな年金制度を放置してきたために、世代間の不公平がOECD諸国でも飛びぬけて大きい。いま生まれる子の税・年金の負担は、われわれの18倍に達すると推定されています。もちろん18倍に増税することは不可能なので、いずれ「徳政令」が発動されることは避けられない。それはおそらくハイパーインフレという方法しかないでしょう。
分配の公平は重要な問題ですが、最大の不公平は資本家と労働者ではなく、終身雇用で高度成長の配当を稼いだ以上に受け取る老人と、不安定雇用のなかで受け取るよりはるかに重い負担を強いられる若者の間にあるのです。これは日比谷公園で500人に炊き出しをしても、何の解決にもならない。派遣村の若者が問題の本質に気づいていないことは、「食い逃げ」できるわれわれにとっては幸いですが、このままでは日本は、あと20年ももたないかもしれません。