激動の時代-ヴォルテール『寛容論』に学ぶ --- 畑 恵

大晦日深夜のブログで、“人類の正念場”と記した2016年。

その幕開けは、イスラム教スンニ派のサウジアラビアとシーア派のイランの宗教対立激化による外交断絶で始まりました。そしてその2日後には、北朝鮮が最大の後ろ盾である中国にすら予告することなく核実験を強行。

一度タガが外れてしまった不寛容と暴力の連鎖は、いよいよ奔流となって世界の安定と秩序を根こそぎ覆しかねない勢いです。

そうした中、テロ事件で緊張の続くフランスでいま一冊の古典が注目されています。ヴォルテールの『寛容論』です。

ヴォ ルテールは18世紀に活躍したフランスの哲学者、文学者、歴史家で、イギリスのジョン・ロックなどとともに啓蒙主義を代表する人物。ちなみに啓蒙思想とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想で、原義は「蒙(くら)きを啓(あき)らむ」。つまり「自然の光(lumennatural)」を自ら用いることによって超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという考え方です。

『寛容論』は、 18世紀半ばフランスで実際に起きた「カラス事件」という冤罪事件から始まります。カトリックとプロテスタント間で宗教対立の激しかった南仏トゥールーズで、プロテスタントの一家・カラス家の長男が自殺。しかし狂信的カトリシズムに毒された町の人々は、これを改宗を許さなかった父親による殺人だと信じ込み、家族を激しく糾弾します。そうした世論に流される形で父親は拷問・処刑され、一家は破滅と離散に追いやられてしまいます。

ヴォルテールは四散した家族を援助し、再審査のための運動を展開するとともに、事件の客観的事実を明らかにした上で、宗教的寛容を訴える文章を次々と発表、やがて再審無罪を勝ち取ります。

宗教や国境、民族や身分などの違いを超え、多様性と寛容を尊んだヴォルテール。カトリック教会の男子修道会であるイエズス会の名門校で教育を受けながらも、彼は理性によって大自然・大宇宙の創造主である神を感得する「理神論」の立場をとります。

そうした立場から記された『寛容論』第6章の一文は、今の時代、深く胸を打ちます。

「… (人定法と自然法)この二つの法の大原理、普遍的原理は地球のどこにあろうと、“自分にしてほしくないことは自分もしてはならない”ということである。この原理に従うなら、ある一人の人間が別の人間に向かって“私が信じているが、お前には信じられないことを信じるのだ。そうでなければお前の生命はないぞ”などとどうして言えるか理解に苦しむ。」(『寛容論』 中川信訳 中公文庫)

文章はさらに続きます。ちょっと長いですが、現在のシリア空爆や中東問題、そして難民問題などとそのままオーバーラップするので、敢えてそのまま引用させてもらいます。

「このような振る舞いが人定法で許されているのであれば、そのとき日本人はシナ人を憎み、シナ人はタイ国人を憎悪しなければならなくなるだろう。タイ国人はガンジス河流域の住民を迫害し、迫害された連中は今度はインダス河流域の住民に襲いかかることになろう。モンゴル人はマラバール人(インド半島中南部の住民)に出会い次第その心臓を抉り取るかも知れない。マラバール人がペルシア人を絞め殺せば、ペルシア人の方はトルコ人を虐殺するかも知れない。そして全民族が一丸となってキリスト教徒にとびかかってくるかも知れないのだが、当のキリスト教徒はたいへん長いあいだお互い同士殺し合いに明け暮れしていたのである。」(前掲書)

迷妄と狂信に対する理性と寛容の勝利を、文筆活動にとどまらず自ら東奔西走する行動力で実現したヴォルテール。フランスを代表する大作家、大哲学者であったヴォルテールですが、とにかく私が感動するのは彼の完全なる言動一致ぶり。そして、とてつもない行動力と実行力です。

彼は青年期から、時の摂政を風刺する詩を発表したかどで投獄されたり、名門貴族との衝突によりイギリスに亡命したり、カトリック教会支配のアンシャン・レジームを批判し焚書処分となり投獄寸前にパリを脱出したりと、常に権威や為政者の誤謬を正し、それゆえ波乱万丈の生涯を生き抜くこととなります。

類稀な文才を評価され、ヴェルサイユ宮の宮廷詩人の座に就きアカデミーフランセーズ会員にも選ばれ、またプロイセンのフリードリッヒ2世の宮廷にも招かれますが、精神的自由が阻害される宮廷の空気になじめず、結局、フランスとスイスの国境近くの町フェルネーに定住します。

ブ ルジョワ出身のヴォルテールは事業の才覚にも恵まれ、住民百人足らずのフェルネーに靴下工場や時計工場を興し、人口一千人を越す町へと成長させ、近隣地方の農民を重税から救い出します。またカラス事件を皮切りに、様々な裁判の誤りを指摘し、輿論をおこし不正を糾弾し続けます。

時代や社会や人生がどんなに悲惨で不条理なものであったとしても、人間はその運命を自ら切り拓くべく努力し行動し続けなければならない―

『寛容論』をはじめとするヴォルテールの作品は、激動と混迷の時代を生き抜く勇気とパワーと指針を与えてくれます。中でも、彼の代表作で最も多くの読者を持つ『カンディード』の結び、「お説ごもっとも。けれども、私たちの畑を耕さなければなりません」という一節は重く響きます。

この一文を読んで私自身も、現在の職場である学院がまさに“畑”であること、育てなければならない子どもたち、つまり創造して行かねばならない未来があるからこそ、自分はこの世に生きている価値があることがよくわかりました。

締めくくりに、年明けの始業式で子どもたちに贈ったヴォルテールの名言を一つ。

「人は誰でも、人生が自分に配ったカードを受け入れなくてはならない。そして一旦カードを手にしたら、それをどのように使ってゲームに勝つかは、各自が一人で決めなければならない。」

畑恵
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