IMF(国際通貨基金)によると、急速に少子高齢化が進む日本の一般政府が抱える債務残高(対GDP)は、先進国史上最高の水準に達しつつあるという(日本経済新聞、2011年2月11日電子版)。
この原因は、賦課方式の社会保障(年金・医療・介護)と、膨張する社会保障予算の財源不足や恒常化する財政赤字にある。その結果、個人が生涯に政府から受ける年金等の「受益」と支払う税金や保険料等の「負担」を試算する「世代会計」によると、孫は祖父母よりも1億円も損をする「世代間格差」が発生し、その格差は徐々に拡大しつつある。
このような状況の中、民主党政権は「税と社会保障の抜本改革」を進めつつあるが、社会保障の財源である税と社会保険料についての報道や国会等での議論において、本質的でない見方を時々耳にする。というのは、本来、受益と負担のリンクが強い形式を「保険方式」、そうでない形式を「税方式」と考えるべきであり、財源を消費税等の“税”で賄っているから「税方式」、“保険料”で賄っているから「保険方式」と考えるのは短絡的な発想である。
むしろ、問題の本質は、受益と負担のリンクの強度の違いにある。つまり、財源が税でも受益とのリンクが強い(=負担分は将来返ってくる)ならば「保険方式」的な性質をもち、財源が保険料でもリンクが弱い(=負担分が将来戻ってくるとは限らない)ならば「税方式」的な性質をもつ。
そこで、今回は、この社会保障財源である税と保険料の本質的な違いについて、現役期と引退期の2期間しか生存しない個人の「生涯予算制約式」をベースに、簡単に考察してみよう。
■ 消費税は比例賃金税の性質をもつ
この理解には、まず、社会保障(年金・医療・介護)がない経済で、消費税と賃金税の同等性についての理解を深めるのがよい。
その際、消費税がなく、比例賃金税のみで財源調達を行っている経済を最初に考える。このとき、賃金税率をtwとして、個人の生涯予算制約式は以下のようになる。
現役期の消費+引退期の消費(割引価値)=(1-tw)×生涯賃金
この式の右辺は生涯の手取り賃金を表すが、左辺はその範囲内で現役期の消費と引退期の消費を賄うことを意味する。もっとも、両親などの親族から遺産や贈与などを受けるケースも多いが、通常、その金額は生涯賃金と比較して相当少ないから、ここでは省略する。すると、(1)式の両辺を(1-tw)で割り、1+tc≡1/(1-tw)と書き直すと、以下に変形できる。
(1+tc)×現役期の消費+(1+tc)×引退期の消費(割引価値)=生涯賃金
この式は、課税前の生涯賃金の範囲内で生涯の消費を賄おうとしている個人がいるとき、その現役期と引退期の消費に税率tcの消費税を課しているのと同じである。つまり、仮に賃金税がtw=20%のときにtc=25%の消費税を課すならば、基本的に消費税と比例賃金税は同等であり、消費税は比例賃金税の性質をもつことを意味する。
なお、中央政府の財源には賃金税、地方財政の財源には消費税が望ましいとの議論もあるが、消費税が比例賃金税の性質をもつ場合、この議論の妥当性には疑問の余地がでてくる(注:そもそも、地域ごとに消費税率が異なると、いくつかの地域を跨って活動する企業の取引が煩雑になるとの指摘もあるが…)。
■ 財源調達の本質的違いは受益とのリンク
では、社会保障(年金・医療・介護)のある経済で、いまの保険料の性質を考えてみよう。まず、保険料をτとすると、現役期の負担はτ×生涯賃金であり、引退期にはその負担のφ倍の給付(割引価値)を受け取ることができるとする。このとき、個人の生涯予算制約は以下となる。
現役期の消費+引退期の消費(割引価値)=[1-(1-φ)τ]×生涯賃金
ここで、tw=(1-φ)τとすると、(3)式は(1)式と同形となり、さらに、1+tc=1/[1-(1-φ)τ]とすると、(3)式は(2)式とも同形となる。
賦課方式の社会保障で得をする世代はtw=(1-φ)τ<0であり、損をする世代はtw=(1-φ)τ>0である。特に、社会保障の受益と負担のリンクが弱く、その負担分が将来返ってこないとき(φ<1)、社会保障の財源が見かけ上は保険料でも、強制加入であるとき、それは実質的に賃金税、つまり「税方式」的な性質をもつ。
逆に、社会保障の受益と負担のリンクが強く、その負担分が将来返ってくるとき(φ=1)、社会保障の財源が見かけ上は消費税でも、実質的には「保険方式」的な性質をもつことを意味する。
以上は、経済学の専門用語で「定常状態」と呼ばれる簡単なケースの考察であり、このコラムでの詳しい説明は省くが、「移行過程」と呼ばれるケースや企業部門が存在するケースなどでは、税や保険料の帰着についての微修正が必要となることはいうまでもない。また、社会保険方式を採用しつつ、社会保障の財源を消費税とする場合、現実問題として、納税や社会保障などに利用する国民基礎番号を導入しても、各個人の消費を厳密に把握することには限界があるから、受益と負担を完全に一致させることはできない。
だが、このような限界を前提にしても、生涯賃金をある程度把握できるならば、一定範囲での負担の推計は可能であり、上記の議論の方向性は大幅には変わらない。このため、改革にあたっては、財源が税か、保険料かという議論よりも、むしろ、受益と負担のリンクを世代間・世代内でどう位置付けるのかという視点の方が重要であり、税と保険料の本質的な違いは何かを十分に念頭におき、検討を行う必要がある。
コメント
財政学・社会保障の入門レベルの教科書は多いけれど、学部上級・大学院レベルの「教科書」はないです(いくつかの文献を収集するのに苦労するという意味です)。ナンセンスな議論が蔓延するのを予防するためにも、学者が何人か集まって標準的な教科書をつくったほうがいいと思います。
税は国民に返さなくてよいお金であり,保険料は国民に返さなくてはならないお金というのが本質的な違いだと思います。公務員は国民に返さなくてもよいお金を単年度ごとに自分らの好きに使いきってしまいたい(=人件費)のであり,保険料だと将来の国民に返さなくてはいけないので手を付けられないのです。社会保障を税で賄うようにすると,せっかく国民から徴収し,自分らの給料として優先的に確保したお金を,まずは国民に返さなければならなくなるので嫌なのです。しかし,税金というのは元々国民のために集められたお金ですから,優先的に社会保障に使われるべきでしょう。
理屈の上では仰るとおりですが、問題の本質は、国民が政府を信頼できるのかどうか、という一点に掛かっているといえるのではないでしょうか。
今の財政状況を見て、国民が考えるのは、保険料を払っても返ってこないつまり 受益 < 負担 ということになるのだろう、と思っているのではないかと推察します。
スウェーデンのように小さな国で政府に信頼があれば、財政再建も簡単なのでしょうが、政府にこれだけ信頼感がないと何をやっても、国民は負担を嫌がるでしょう。
このままでは確実に破綻するので、大規模な資産課税でも一遍にやってしまい(どうやってという問題はありますが)、出直した方がましかも知れません。 理屈の上では簡単なことなのに実行ができないのは何故か、なぜリフレ派のような明らかに財政破綻に突き進もうという勢力が存在するのか、というのは、社会というのは科学的には動いていないということでしか説明できないんでしょうか。 私は半分ヤケ気味です。
菅原晃
「税と保険の本質的な違い」ということで、興味を持って読みました。
税は全員、保険は該当者というのが、本質的な違いです。
しかも、税収は全ての人に還元され、保険は該当者全員に還元されないということも本質的な違いです。
保険は、「リスク」に対応するために「払う」ものです。ですから、本来は、「使わない(もらわない)」ことが望ましいものです。
民間保険の「生命保険」「自動車損害保険」「医療保険」「火災保険」いずれも、「使わないにこしたこと」はありません。掛け金が戻らない(使わない)ことが「最上」です。
公的保険の「雇用(失業)保険」「介護保険」「医療保険」も同様です。「使わないにこしたこと」はありません。「年金保険」が微妙です。高齢(110歳)になっても生きるリスク?に対処する反面、「もらわなければ損」というモノになっています。
この意味において、「年金」は税でも構わなくなっています。