「犯罪事実を認めない限り、長期間にわたって勾留が続き、自白し、起訴事実を認めるのと引き替えに釈放される」という日本の刑事司法における「人質司法」の悪弊が、これまで多くの被疑者・被告人に、耐えがたい苦痛を与え、身柄拘束から免れたいがために自白し、無罪主張を諦め、それによる冤罪も生み出してきた。
公判で全面的に罪を認めて保釈された後に、認否を覆して無罪主張することは、法的には可能だが、裁判所はそのような主張をまともに取り合うことはない。要するに、保釈を得ようと思えば、「無罪を諦めなければならない」ということだ。
そのような「人質司法」の常識に反し、全面否認のまま保釈され、検察に衝撃を与えたのが日産の前会長カルロス・ゴーン氏だが、もう一つ、私が弁護人として、「人質司法」の常識に挑戦し、異例の展開となっている事件がある。
青梅市発注工事をめぐる談合で逮捕・起訴されたS氏の事件だ。その事件の判決が、今週金曜日(9月20日)、午後1時半に、東京地裁立川支部で言い渡される。
昨年7月、警視庁捜査二課は、青梅市役所への捜索を含む強制捜査を行い、青梅建設業協会会長の建設会社社長であったS氏を「談合罪」で逮捕した。NHK全国ニュースでも、新聞各紙でも大々的に報道されて注目を集めた事件だった。
逮捕当初からS氏は容疑事実を全面否認していたが、昨年9月に開かれた初公判では、公訴事実を全面的に認め、第2回公判で結審の予定となった。それ以降は、マスコミに報道されることも殆どなかった。
公訴事実を認めたS氏は保釈されたが、その後、私が弁護人を受任、第2回公判で、罪状認否を変更して全面無罪を主張した。初公判で起訴事実を認めた時点で、検察官請求の証拠がすべて証拠採用されており、通常は、その時点で、刑事裁判は事実上決着する。
しかし、この事件は、そうはならなかった。一旦は公訴事実を認めながら罪状認否を覆した被告人の訴えに、裁判所は真剣に向き合い、証人尋問等の本格的な否認事件の審理が続けられてきた。
今年7月19日の論告弁論で裁判は結審、検察官の求刑は「罰金100万円」だった。「罰金100万円」なら、在宅捜査で略式請求すればよかったはずだ。警視庁捜査二課が市役所を捜索したうえで被疑者を逮捕し、80日も勾留した事件ではあり得ない求刑だ。検察官は、有罪立証の大半が崩されたことで半分「白旗」を上げ、求刑を懲役刑から罰金刑に落としてきたということだろう。
しかし、検察官のこれまでのやり方は、罰金決着などで誤魔化されるようなものではない。検察官は、事実を否認していたS氏の保釈請求、接見禁止解除請求に徹底して反対し、疲弊したS氏を、保釈を得るためやむなく初公判で起訴事実を全面的に認めるところまで追い込んだ。
本件の有罪・無罪は、「人質司法」を悪用した検察官の企みそのものの是非を問うものだ。もちろん、我々が目指すのは、「完全無罪」である。
発端は、2018年9月初め、私の法律事務所ホームページの「問合せアドレス」に届いた、「藁にも縋る気持ちでメールしました」という書き出しの長文メールだった。青梅市の建設会社の元社長S氏の妻(Sさん)から、談合事件で逮捕・起訴された夫のことで助けを求めてきたものだった。
この公開アドレスに届く刑事事件に関するメールは、法律的に決着がついていて、誰がやっても救う余地が全くないものが多い。しかしその中に、稀にだが、私が力を尽くしてみるべきではないか、と思えるものがある。Sさんのメールもその一つだった。
メールによると、S氏は、5月から何回も任意で長時間の取り調べを受け、7月5日には、早朝から自宅に多数の報道陣が押しかけ、警察に連絡して指示に従って出頭した後に逮捕され、談合の事実を否認し続けていたが、起訴されたとのことだった。
前年に癌の手術をして1年しか経っておらず、体調も心配だし、零細企業で社長がいないと会社が成り立たない。保釈請求をしたが却下され、接見禁止のまま2カ月も身柄拘束が続いているとのことだった。
弁護士に家族との接見禁止一部解除の請求をしてもらったが、妻も、S氏に代わって社長を務めている次女も、会社の経理を担当している妹も、「会社と関係がある」という理由で却下。長女も「10年以上前に会社に携わっていた」という理由で却下、会社とは一切関係ない長男との接見禁止解除をお願いしたところ、弁護士から、「あまり何回も申請すると裁判所に印象が悪くなるのでやめましょう」と言われて諦めたとのことだった。
がんの手術から十分に体力が回復していないS氏が長期間留置されていることで、体調が悪化していないか心配で、一目でも会ってどんな様子か確認したいとSさんが思うのは当たり前だと思うが、面会すらできない。弁護士からは、「本人が、9月19日に予定されている初公判で起訴事実を全て認めると言っている」と聞かされているとのことだった。
Sさんのメールは、以下のように締めくくられていた。
現在の弁護士さんは、私にはどうしても検察やら裁判所に印象を悪くしてはいけないと、弁護側に立ってくれてない気がしてなりません。「もう公判も近いのだからその日まで待てば良い」とも言われますが、本当に安心して待っていて良いのでしょうか?夜も寝られない日がずっと続いてます。どうかどうかお力をお貸しください。
直ぐにSさんに電話をかけ、2日後に面談の時間をとり、事務所に来てもらった。その話を聞いた限りでも、談合罪に問われるような事件なのか疑問だった。公判で公訴事実を争い無罪を主張する余地は十分にある事件だと思えた。
一度、Sさんと接見して、詳しく話を聞き、私に弁護を依頼する意思があるかどうか聞いてみることにした。しかし、その時点の弁護人に依頼して、接見でSさん本人の意向を確認してもらったところ、「保釈で早く出たいので、公判で事実を争う気はない」ということだった。それが本人の意思である以上、私が出る幕はない。Sさんに電話をして、「初公判で事実を認めるということのようなので、弁護士さんに保釈をとってもらってください」と伝えた。
「ただ、初公判で事実を認めた場合でも、弁護人が交代すれば、その後に認否を覆して争う余地はないわけでもない。保釈で出てきたら、証拠や資料を持ってご主人と事務所に来てください」と言っておいた。
9月19日の第1回公判で、S氏は、起訴事実を全面的に認め、検察官請求証拠がすべて同意で取調べられたことで、保釈された。数日後、妻のSさんと娘さんとともに、証拠の写しを持参して私の事務所に来たS氏から、これまでの経過と事件の内容を詳しく聞いた。
S氏の説明は、以下のようなものだった。
青梅市が発注した大型土木工事の1期工事をO社が受注施工しており、他社はどこも、2期工事はその業者が随意契約で受注するものと思っていたが、青梅市は指名競争入札で発注することになった。
そんなときに「O社は受注しない」という話を聞いたので、工事の採算が厳しい工事のために受注業者がなく、入札不調になる可能性があると思った。その場合、工事発注が大幅に遅延し、青梅市に迷惑がかかる。建設業協会会長として、青梅市とは、地元業者への発注をお願いしたり、災害協定等でも協力する関係だったので、地元業者が受注せずに入札不調で青梅市に迷惑をかけることは避けたいと思った。
建設業協会の会員である数社の業者に連絡して指名を確認し、受注意思の有無を尋ねたが、どの業者も「受注する気はない」とのことであった。そこで、S組が、赤字受注も覚悟して、予定価格をわずかに下回る価格で入札して受注した。
連絡した業者は、指名業者のうち親しい業者だけで、10社の指名業者のうち3社には連絡すらしなかった。やむを得ず自社で受注しなければということなので、連絡しなかった業者が低い価格で入札して落札してくれれば、それに越したことはないと思ったからだ。
S氏の話のとおりであれば、談合罪には当たらず無罪だと思った。
入札に参加する業者間で意思連絡を行うこと自体、公共調達のコンプライアンス上好ましいことではない。しかし、そのような行為にも様々な目的や態様があり、連絡をとることがすべて「犯罪」に当たるわけではない。
刑法は、「公正な価格を害する目的」あるいは「不正の利益を得る目的」で談合した場合のみを犯罪としている。後者は、談合金の分配を約束して、談合による利益を山分けしようとした場合など、犯罪性が明白な場合だ。過去に談合罪として摘発された事件のほとんどは前者の「公正な価格を害する目的」による談合だ。そういう意味で、談合罪の主観的要件とされている、「公正な価格を害する目的」は、まさに「犯罪性を根拠づける要素」だ。
「公正な価格」について、判例では、「当該入札において、公正な自由競争によって形成せられたであろう落札価格」とされている。工事受注であれば、「談合がなく、公正な自由競争によって形成されたであろう価格」を上回る価格で落札する目的があった場合に、犯罪が成立し、その目的がなければ、入札参加者間で意思連絡を行った事実があっても、犯罪は成立しない。
一般的には、談合が行われることで、複数の業者の受注希望が一つに絞り込まれ、それによって落札価格が上昇し、その分発注官庁側に不利となる。だからこそ、談合行為が、「納税者の利益を損なう犯罪」として処罰の対象とされるのである。
どの業者も受注したくない工事について、業者間で話合いをして、赤字覚悟で受注する業者を決めた場合などは、むしろ、発注官庁にとって利益になるので、談合罪は成立しない。本件でS氏が主張しているとおりであれば、「公正な価格を害する目的」が認められず、談合罪が成立しないのである。
私は、S氏の弁護人を受任した。2018年10月10日東京地裁立川支部で開かれた第2回公判で、S氏は、罪状認否を変更し、弁護人の私は以下のように無罪を主張した。
Sさんが指名業者数社に連絡したのは、受注意思の有無を尋ねただけで、他の業者にはもともと受注意思はなく、談合によって、受注予定業者を1社に決めたのではない。通常は、入札参加者すべての間で合意が成立して受注予定者が決まるのが談合であるが、Sさんは、3社の業者には連絡すらしておらず、3社の出方は全くわからなかった。
また、受注する気があるかどうか尋ねても答えてくれなかった業者もいた。このような事実関係であれば、そもそも「談合」とは言えないし、「談合」だとしても、犯罪成立要件である「公正な価格を害する目的」がない。
もちろん、S氏を談合罪で起訴している検察官の主張は前提が異なっていた。指名業者の検察官調書は、すべて「談合」を自白したような内容になっており、S氏から連絡を受け、「S氏からS組の受注に協力するように頼まれ、受注に協力すると約束した」とされていた。それらの供述調書が、既に、同意書証として証拠採用されており、それらの信用性を否定する必要があった。
しかし、その内容には、不合理な点や事実と異なる点が多々あり、弁護側立証で崩していくことは不可能ではないように思えた。
そこから、約10か月、検察官との法廷での激しいバトルが続いた。
その幕切れが、冒頭で述べた今年7月19日の論告・弁論だった。
第1回公判で公訴事実を全面的に認め、検察官請求証拠にすべて同意して保釈された事件での無罪判決という、「人質司法の常識」を覆す結果になるかどうか、9月20日の判決に期待したい。
郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所