トランプ米大統領は27日午前、ホワイトハウスで記者会見し、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の指導者アブバクル・バグダーディ容疑者がシリア北西部で米軍特殊部隊の軍事作戦で殺害されたと発表した。米国側の説明によると、米軍特殊部隊は26日夜、8機のヘリコプターでシリア・イドリブ県のバグダーディ容疑者が潜む拠点を襲撃。バグダーディ容疑者は家族と共に逃げたが、最後は自爆したという。ワシントンからの情報では、死体は現場で即DNA鑑定され、同容疑者であることが確認されたという。
米海軍特殊部隊が2011年5月2日、国際テロ組織「アルカイダ」の指導者ウサーマ・ビンラディンを殺害したが、今回のIS指導者殺害は米軍のシリア撤退後のISの再編成を阻止する意味でも大きな成果と受け取られている。
興味深い点は、北朝鮮の独裁者、金正恩朝鮮労働党委員長がIS指導者の殺害ニュースをどのように受け取ったかだ。金正恩氏は対米交渉で強気に出てきた矢先だ。スウェーデンの首都ストックホルムで開催された米朝実務協議で、北側は「米国の対北制裁の緩和が遅れている」と不満を表明し、北代表団はその直後、「実務協議は失敗だ」と批判したほどだ。
北側の強硬姿勢の背後には中国からの経済支援がある。そのため、金正恩氏には対米交渉で余裕が出てきたと推測されている。それだけではない。金正恩氏はポスト・トランプを考え、非核化交渉の長期化を狙い、非核化交渉の優先度を下げたといわれている。
一方、金正恩氏と友人関係を維持したいトランプ氏は北側が非核化に応じる気配がなく、中国に急接近した兆候を見て、今回は親書ではなく、「IS指導者の死」というニュースを配信した格好だ。
冷戦時代、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領夫妻が1989年12月、民主化の新政権のもと射殺されたシーンのビデオが世界に流れたが、そのビデオを観た故金日成主席、故金正日総書記は真っ青になったという話が伝わっている。「次は自分たちだ」という恐怖にとらわれたわけだ。
トランプ氏はISの指導者の自爆ニュースを発表することで、文通関係の金正恩氏に「いつまでもぐずぐずしていると、こちらの忍耐にも限界があるよ」というメッセージを送ることになったわけだ。恣意的にそのようなメッセージを送ったのか、結果としてそのような効果が期待できるだけか、の判断は難しいが、IS指導者自爆ニュースは金正恩氏を含む世界の全ての独裁者への警告にもなったことは疑いがないところだ。
北朝鮮には、冷戦時代の東欧のポーランドの独立自主管理労組「連帯」やチェコスロバキアの「憲章77」といった欧米メディアに知られた反体制グループは存在しないが、体制の打倒を目指した言動がこれまで皆無だったわけではない。多くは事前に発覚し、関係者は処刑されてきただけだ。もちろん、龍川駅列車爆破事故(2004年4月)のように、軍部関係者の関与がなくしては考えられないような大規模なサポタージュや暗殺未遂事件も起きている。ただ、それらの事件が外部に知られることはこれまでほとんどなかった。
朴槿恵前政権時代、国家情報院は核開発を継続する金正恩氏の暗殺計画を練ったこともあった。南北融和政策を標榜する文在寅大統領が就任してからは、そのような計画は聞かないが、その一方、海外居住の反体制派が反金正恩運動を活発化してきた。
ハノイでの第2回米朝首脳会談の開催5日前の2月22日、スペインの首都マドリードにある北朝鮮大使館に何者かが侵入し、大使館関係者を拘束し、パソコンや携帯電話などを奪って逃げ去るという事件が生じた。海外で北施設への反体制派の活動が報じられたのは初めてだけに、金正恩政権に大きな衝撃を与えたことは間違いないだろう。
金正恩氏が核実験や核搭載の長距離弾道ミサイル発射の兆候を見せれば、トランプ氏は平壌に米軍特殊部隊を派遣し、金正恩氏の暗殺に乗り出す可能性は完全には排除できない。
世界がその行方を追ってきたIS指導者が殺害された。次は誰か、世界の独裁者は口にこそ出さないが、苦い思いで呟いただろう。シリアのアサド大統領、ロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領も米国のパワーを改めて確認しただろう。金正恩氏も例外ではないはずだ。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年10月29日の記事に一部加筆。