前回訪日した時、東京の某デパートで物産展をやっており、たままたそこを通りかかったのですが、週末だったこともあり、黒山の人だかりでした。まるで昭和のデパートを見ているようで、ある意味なつかしさすらこみ上げてきました。ところが他の階に行くと集客できているフロアとできないフロア、あるいはニトリやユニクロなどがテナントで入っているところにはそこそこ客がいるものの他のエリアは概して閑古鳥が鳴いている感じでした。
9月末で三越伊勢丹が二つの地方店を閉めました。都心の一等地ですら閑古鳥が鳴くのですから地方のデパートは閑古鳥すらいない状態だったのでしょうか?日本百貨店協会が発表する百貨店売上統計の中に地区別というセグメントがあります。
9月は消費税駆け込み前で前年同月比2割増とあまり比較検討できないのですが、8月を見ると10大都市は5カ月ぶりにプラス、それ以外の地方都市では28カ月ぶりプラスとあります。これは10月以降再び落ち込むというパタンになるのだろうとみています。特に地方のセグメントで28カ月ぶりプラスが消費税増税前の駆け込みの特需ならば増税がなければ統計上はもっと悲惨なことになっていた可能性もあります。
私にとってデパートとはかつてのショーウィンドウというイメージがあります。デパートで買い物をしたか、といえば時々はしましたがなぜか手が伸びにくかったのは価格が高かったことがあると思います。
デパートではなくても他にも店があるという選択肢が生まれ始めた時代だったのでしょう。それ以前はショッピング=デパートという等式が成り立っていた時代でした。そう考えると消費者と販売側の多様化に対してデパートとの立ち位置関係が40年前からギャップが生まれ、徐々に大きくなっているともいえます。
デパ地下ブームなどでその場しのぎを続けてきたもののここにきてオンワードが大量閉店に動くなどデパートの特権が薄れてきています。私がデパートで買い物をしなくなった理由は①広すぎて歩くのが面倒くさいこと、②選択肢が多すぎて選びきれないこと、③店員がうざいこと、④デパートの紙袋がいけていないこと、⑤価格的メリットが少ないことでしょうか?(私が秘書時代にはつけ届けは高島屋で、と決まっていました。包装紙の価値が一番高かったからです。)
ダメ出しばかりで申し訳ないのですが、デパート自身が百貨店というより不動産業としてテナントへの場所貸し業と化したことで「歌を忘れたカナリア」ならぬ「売るのを忘れた百貨店」状態なのだろうと思います。デパートの友の会は聞いたことがあると思います。そこはシニアの集まりです。確かにシニアはお金を持っているかもしれませんが、活気には程遠い状態です。
ターミナル駅の一等地にあるデパートの再生は日本の消費を楽しくさせるかどうかの大きなカギを握っていると思います。冒頭紹介したように物産展などイベントをすると人は集まります。ならば各フロア、もっとイベントだらけのデパートにしたらどうでしょうか?
ファッションショーでもインテリア教室でも着こなし術を教えるイベントとか、いろいろあるでしょう。ものをモノとして売る時代は終わりました。ものをエンタメに載せながら売る時代です。なぜそれを買うのか、買う理由を売り手が後押しするのです。そして参加者に共鳴させることではないでしょうか?
例えば行列店には自然と行列が長くなるようになっています。これは人の心理でそれはお得だろうと勝手に思うからなのです。そういう活気づくりが百貨店には欲しいのですが、残念ながら百貨店経営者が高級店へこだわりすぎてプライドが邪魔しているように感じます。あたかも若者の来るところではない、と拒絶しているような店づくりなのです。でも人が集まるのは物産展とニトリとユニクロなんです。経営者は顧客を正視していないのではないでしょうか?
本筋であれば地方の百貨店ほど残しておきたいコミュニティの集まり場所かもしれません。知り合いに会うのは病院の待合じゃ元気も出ないのではないでしょうか?一等地の活かし方、別に高級ブランドが全てではないと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年10月29日の記事より転載させていただきました。