人口学の用語で、「人口慣性」という言葉がある。現時点の出生可能女性数が、次世代の子供の数を規定してしまうということだ。
70年代半ばから、合計特殊出生率が2を割り込んでいた日本が、それから30年もの間、総人口の微増ないし維持ができていたのは、戦後のベビーブームの「慣性」によるものだ。現時点における人口減少傾向も、すでに「慣性」がついていて、どんな対策を取るにしても、この先50年程度は人口減少は止めることができない。
つまり、出生率がどう変化しようが、今世紀中葉には、8000-9000万人程度まで人口が減少することは、所与の事態であるとして、福祉や税制の制度設計をしなくてはならないということになる。
社会政策的には、総人口よりも年齢別人口構成の変化の方が重要だが、これも、政策ぐらいでは変えることができない。大規模な戦争、伝染病、飢餓などが起こらないと考えられるので、死亡率の予測幅は非常に狭いからである。
65歳以上の老年人口比率は、2055年にピークに達し、現在の2倍近い、43%となる。一方、15歳以下の年少人口は、6.6%と、これも現在の半分となる。こちらは出生率次第で増える可能性がある。生産年齢人口は、66%から51%に減少する。
老年人口は確かに増えるが、年少人口も減少するため、生産年齢人口割合は、大して低下しない。生産年齢人口割合が全体の半分になる事態は古今未曾有ではない。1920年代の日本は高度成長していたが、年少人口と老年人口を入れ替えると、2055年の日本の人口構成となる。
子供の世話と老人の世話は同じではないから、1920年代の状況が再現されるとは言えないが、必ずしも高齢化社会が沈滞した暗い時代になるわけではないとは言える。
なお、現在政府が行っている出生率向上政策は、もしも成功した場合、皮肉なことに、人口問題をより深刻化させる。子どもが増えれば、すぐに生産に貢献するということはない。生まれてから生産可能人口に加わるまでの20年くらいは、老年人口と同じく、社会の負担となるからだ。
つまり、出生率向上政策は、もしも成功したとしても、人口減少も高齢化も止めることはできないし、逆に社会問題(生産年齢人口割合の減少)を深刻化させる。
19世紀から、欧州では少子化が進行し、様々な施策が行われてきたが、成功例はあまりない。つまり、「高齢化を止めるために出生率向上が必要」という話は、出生率向上が高齢化の進行阻止にならないばかりか、それ自体が実現困難なのだ。
少子化政策は、出生率向上ではなく、子育て支援に政策目的を修正してはどうだろうか。少子化が止まらなくても、核家族化社会では、子育てに社会的支援が必要なことは確かだからだ。