ニューズウィークの電子版に、レジス・アルノー氏の「こんなに政治家がダメでも日本が機能している理由」というエッセーが出ています。内容は、日本の政治家は「アフリカの中流国家」ぐらいのレベルなのに、日本の都市は清潔で犯罪も少ない。大震災があっても人々が整然と行動するのはなぜか、という話です。
これは問題の立て方が逆です。日本の政治家がダメなのは、日本が機能しているからなのです。日本は主要国としては唯一、対外侵略を経験したことがなく、大規模な内戦も16世紀にあっただけの異例に平和な国でした。そのため共同体が安定していて知識水準が高く、近代以前には国家という暴力装置も政治家も必要としなかったのです。
私もかつて災害報道を何度も経験しましたが、公式の役割も命令もなしに、全員が徹夜で作業するエネルギーはすごいと思いました。こういうときは、プロデューサーは何もすることがなく、現場からの問い合わせに対して判断するだけです。現場の自律性が高く、情報共有の密度が高い日本の組織では、指導者の仕事は現場の調整だけなのです。
これが『失敗の本質』でも指摘されている「兵士は優秀だが将校が無能」という帝国陸軍以来の組織の原因です。これも本当は「兵士が優秀だから将校が無能」というべきでしょう。こういう集団でリーダーになるのは、和を乱さないでチームワークを最大限に発揮する人です。陸軍でいえば、石原莞爾ではなく東條英機のような、凡庸だが敵の少ない人がリーダーになるわけです。
こういう内向きの指導者は、平時にはいいのですが、有事に弱い。戦略的な決断ができず、手続き論や前例にとらわれて、ずるずると泥沼にはまってしまいます。今の民主党政権は、戦争末期の日本軍のようなものでしょう。もう敗戦確実なのに、指導者があきらめないで犠牲が増えてゆく。
こういう組織が変えられるかというと、私は悲観的です。1000年以上続いてきた日本人の行動様式が、そう簡単に変わるとは思えない。変わる可能性があるとすれば、国民がちゃんと機能するのをやめることでしょう。政治家が政局に明け暮れていても日本が機能しているから、彼らはそれに甘えるのです。企業は日本を脱出し、若者は年金を拒否し、日本経済がボロボロになれば、ダメな政治家は淘汰されるかもしれない。それにはまだ10年はかかりそうですが。