国会で議論されるべきこと

古川 賢太郎

今日の参議院本会議で「原子力賠償支援機構法」が成立した。この法案に至るまで、3.11に発生した福島第一原発事故から、我が国では急に「原発ヒステリー」が巻きおこり、国会ではこのテーマを梃子に支持を取り付けようと、あの手この手の提言が発せられた。しかし、それらの議論の対立軸は混乱しているように思う。


議論の対立軸は多岐にわたる。

原発推進<=>原発反対
自然エネルギー推進<=>自然エネルギー反対
電力自由化推進<=>電力自由化反対
東京電力救済<=>東京電力法的処理
増税支持<=>増税反対

これらの主張は色々な組み合わせで提示されるが、その組み合わせがどうもおかしいのではないかと思う。例えば、原発反対と自然エネルギー推進がなぜ結びつくのか?何故、東電救済は被災者救済や電力安定を後ろ盾として主張されるのか?政界でも論壇でも様々な議論が行われているが、さっぱりわからない。

そこで、自分なりに整理をしてみたい。僕は市井に生きる”小市民”として、国民負担に対する基本方針によって整理しようと思う。即ち、国民に対して高負担を求め高福祉を提供するのか、低負担で低福祉を提案するのか、だ。所謂、”大きな政府”と”小さな政府”を軸として考えてみたい。

”大きな政府”にとって、電力を含むエネルギー政策は公共の福祉に大きく関わるために、国が”企画”し、”運営”すべき公共事業として捉えられる。広く国民が求める低価格で安定した高品質で”安全”な電力供給を実現するために、政府と強く結びついた=規制などによって政府の統制下にある機関に投資して技術開発を進めたり、事業課を推進したりする。そのため、菅首相が退陣要件に挙げた自然エネルギーの全量定額買取法案は政府の導き出す自然な政策となる。事実、これまでも自然エネルギーには多くの補助金が注がれてきた。

この全量定額で電気を買い取る主体として、政府の統制下の九電力の配電独占は必須であり、その代わりとして地域独占体制は維持される。自然エネルギーの推進についても、別に九電力は指をくわえて待っているわけもなく、これまでと同じく事業化にのりだす。NHKが地デジの開発をしたように、九電力は、例えば不安定な自然エネルギー電力を安定した高品質の電気に変換する技術などは、政府主導の下東京電力などが開発するだろう。それらの主要技術は九電力が独占して、有利な条件で自然エネルギーを推進し補助金を得ることになるだろう。

しかし、このままでは電気料金が上がることになるだろうから、安価な電気を提供する使命を果たすために、政府は原発も静かに推進するだろう。しばらくは注目を浴びるので控えるだろうが、国民の関心が薄まったならば必ずや原発に回帰するだろう。エネルギー全体の管理統制を考えたとき、原子力だけを手放すことはありえないからだ。だから、大きな政府では東電を救済しなければいけなくなる。政府が特定の業界を牛耳るときに、最も大きな企業を抑えるのが効率的だ。東電を救済し、業界全体への統制を強め、安全なエネルギー行政の遂行に政府が責任をもつのが”大きな政府”の方針となる。

大きな政府の方針では自然エネルギーも原発も推進し、(事実、現在でも推進している)九電力による地域独占を維持し、そのために東電を救済する。この際、増税や電気料金値上で国民負担は大きくなるが安定した品質の良い、安全な、そして何より安心できる高い福祉を還元できると考えるのだ。

逆に小さな政府では国民負担の最小化を基本方針とするため、東電は法的処理によって破綻する。事業売却によって賠償の原資を集め、不足する部分を政府が支援する。この場合は保証の全額ではなく一部が国民負担となる。事業を売却するため、新規参入を許すことになる。東電以外のエリアでも段階的に地域独占が緩和されることになる。

補償にせよ、事故処理にせよ、国民負担による対応は一部となるので大きな政府より国民負担は小さい。しかし、新規参入した電力事業者の提供する電気の安定性に一定のリスクはあるため停電などは増えるかもしれない。だが、電気料金は下がっていく。安定した電気を求める人は、自家発電を補助的に利用したり、変電設備を設置する必要が出てくるかもしれない。家電品の電源アダプターは大型化、重量化するかもしれない。

しかし、そこには技術開発の余地もある。小さな政府の方針では、原発の推進も反対も、自然エネルギーの推進も反対もない。一定の条件をクリアするならば、後は市場で消費者が選択するのであり、政府がどのエネルギー源じゃないといけないと指定することはない。この様な対立軸に沿った議論が国会で行われるべきなのだと思う。

だから、今日成立した「原子力賠償支援機構法」は大きな分水嶺であった。個人的には残念なことに、「大きな政府」勢力が勝ってしまった。しかし、この法案は「脱原発」とは何の関係もないし、事故現場の復旧にも今後のエネルギー行政の先行きにも何も寄与しない。原発被災者への賠償が速やかに行われる・・・という理由が挙げられているが、東電に対して一時的なつなぎ融資を政府が保証すれば問題はない。それよりもこの法案の成立によって、東電は事故に対する責任を本質的には負わなくてよくなったということの方が問題である。

与党・民主党は元より、野党第一党の自民と公明党も賛成に回ったこの法案は、被災者救済よりも東電救済、九電力の地域独占維持に寄与するだろう。被災者救済は、この法案の成立如何に関わらず、政府が支援して実施すべきものだ。政府はこの法案によって、エネルギー行政の瑕疵に対する責任も取らなくてよくなった。過去に行政執行を担っていた自公と現在の執行者の民主が結託すれば、行政上の瑕疵は闇から闇に葬られるだけだ。結局、みんなの党の松田公太議員がつぶやいたように「同じ穴の狢」なのである。

古川賢太郎
ブログ:賢太郎の物書き修行