本年1月に発表された「The Longer Telegram; Toward a new American China strategy(より長い電報:米国の新対中政策へ)」という米国の元外交官・政府関係者が書いた匿名論文が話題だ。(https://www.atlanticcouncil.org/content-series/atlantic-council-strategy-paper-series/the-longer-telegram/参照。また、より原文に近いexecutive summary概要について読みたい方は一つ前のブログを参照してもらいたい(「米国の長期的対中戦略「新X論文」の概要」)。)
冷戦時の対ソ戦略の「封じ込め」政策の基礎となったと言われるジョージケナンの長電報(the long telegram)、いわゆる「X論文」にちなんで名づけられた対中戦略を論じた非常に長い論文である。筆者は、長らく米国の外交・安全保障に携わってきた者なのだろう。日本ではまだ余り紹介され論じられていないが、米国内、中国、インド、シンガポール他世界各国にて様々な同意や反論が寄せられている。そのことだけでも素晴らしい論文だと思う。良い論文には何か言いたくなるものだ。深く納得する何かがあったり、反論したくなる独自の主張が含まれているということなのだ。
自分自身読んでみて、賛同するところが多かったが、疑問に思うところもあった。いずれにせよ、この論文の最大の貢献は、中長期的な対中戦略を策定する必要性を各国に認識させたことにあると考える。今、中国はさらに大きく変貌しようとしている。バイデン政権になった米国は、より冷静に米中のパワーバランスの現状を認識した上で、中国に対するポリシーレビューを行っている。おそらくこの新X論文とそれに関する論争は多いにバイデン政権の対中戦略の影響を及ぼすのではないか(既に及ぼしているようにも感じる?)。
一応ざっくり読み通したが(80頁もある!)、論点について多層的な記述(つまり、あちこちに何度も出てくる)をしているためまどろっこしい(筆者の中では概念的に整理されている)ところもあるので、階層別の記述を無視して、独断と偏見で新X論文のポイントを挙げておく。忘れている部分もあると思うので、また読み直したらいろいろ出てくるかもしれないがご容赦願いたい。
また、同論文に寄せられた主たる反論ととりあえずの自分の感想も書いておく。いずれにせよ、強烈に、日本として中長期的な対中戦略が必要だと痛感する。この点については何とかしていきたいと思っている。
1.新X論文のエッセンス
気になる点に絞っても、相当な分量になるので、非常に端的に新X論文の主旨について書いておくと、
「中国共産党ではなく習近平が強権的拡張主義な中国の問題の本質。したがって、共産党政権打倒ではなく、習近平降板又は習近平に政策をより協調的に変更させることを米国の戦略目標とすべし。そのための手段として、中国内政に習近平に批判的なエリート達(実は一杯いて共産党内では習近平反対派と賛成派で分断されている)に影響を与えるべし。「2013年までの中国」に戻れば米国は中国と協調して共存できる。
実現のための手段として、米国自身の力を回復し、かつ、米国の同盟国・パートナー国と連携して経済的、政治的な中国依存を減らし、軍事的にはレッドラインを明確にして中国の行動を抑止する。これを何十年か続ければ達成される。(なお、その過程の中で、中国人民自身が中国共産党一党独裁体制に疑問を持つ可能性もある。)」ということだと思う。
2.新X論文のポイント
(1) 米国にとっての最大の挑戦は習近平の下で益々権威主義的になる中国の台頭である。今のところ米国にまともな対中戦略はない。今こそ、「習近平の中国」に対する戦略目標(strategic goal)を明確にしたオペレーショナルなレベルまでカバーする超党派で政権交代があっても追及可能な長期的な対中戦略が必要である。(中国の方は対米長期戦略がありしかも一定程度成功してきた。)
(2) ケナンはソ連の内的矛盾からソ連は自重で崩壊することを前提に戦略を立てたが、中国はそこまで脆弱ではなく、中国の共産党体制が内部崩壊することを前提とすべきではない。ただし、中国の内政のダイナミズムに着目することは必要。
(3)中国の内政のダイナミズムに着目し対中戦略は習近平をターゲットとすべし。
米国の対中戦略は、中国共産党全体ではなく習近平国家主席に集中する(lazer focused)べきだ。同じく共産党一党独裁であっても、習近平氏の前の5人の指導者たちの下での中国は基本的に現状維持勢力であり、米国とも協調できた。中国が現状変更勢力となったのは習近平氏個人の強権的な政策と毛沢東的思想によるものである。これまでも米国は中国政府と中国人とは区別してきたが、それだけではなく共産党のエリートと習近平とも区別すべきだ。
すなわち、現在、中国共産党のエリートの中でも習近平の広大な野心とリーダーシップについて大いなる異論があり、共産党内には分断がある(divided)。ただ、今や習近平が権力を掌握してしまったため、今は自分や家族の立場や命を怖れている状況にある。このような内在する亀裂線(internal fault line)を利用し、共産党のエリート達に、米国と対抗する秩序を作り上げるよりも米国主導の協調的国際体制の中で行動することが中国にとって国益に最も叶うのであり、領土拡張をしようとしたり中国式の政治モデルを他国に輸出しようとしないことこそ共産党の最善の利益だと結論づけさせることこそを目的とすべきだ。
(4)習近平の戦略目標は以下のとおり。
・米国を技術力で凌駕する。
・ドル覇権を崩す。
・台湾、南シナ海、東シナ海において米国と同盟国の介入を抑止できるレベルの軍事的能力を備える。習近平は、米国との(軍事)衝突は不可避と考えている。
・中国に傾いている国々を中国側に引き寄せる。
・ロシアとの関係を改善し、米国が中国からロシアを引き離せないようにする。
・一帯一路を中国の地政学的影響圏に変えていく。
・国際機関における中国の影響力を拡大し、人権や国際海洋法などについて中国にとって都合の悪いアジェンダを中国にとって都合の良いものに変える。
(5)米国はアメリカのパワーの4つの根本的な源泉を死守するべきだ。それは、①軍事力、②ドル基軸通貨、③技術力、④自由や公正や法の支配といった価値の力である。
(6)同盟国・パートナー国が死活的に重要。米国の強みは多くのまともな同盟国やパートナー国がいることである。中国の同盟国は、北朝鮮、パキスタンなど中国にとって助けになるよりも負担になる国ばかりだ。ただし、ロシアは別。なので、中ロ連携が進まないように米国は米ロ関係を改善すべきだ。
米国は、同盟国と統一的に対中行動を取るべく同盟国との戦略調整を十分行うこと。QUADの強化が重要であるが、特にインドにもう一押し働きかける必要あり。中国は韓国を自陣に取り込もうとしている。ゆえに日韓関係の改善が必要だ。
(7)米国は、殆どの国にとって中国が最大の貿易相手国である事実を認識し、同盟国やパートナー国に対してはパワーバランスの面の貢献だけではなく、彼らの政治経済に渡る広いニーズに対応するべきである。具体的には、米国市場を開放し、ODA含め経済支援も積極的に行うべし。カナダとメキシコを北部米国経済圏として再構築すること。TPPにも復帰すべき。米国一国では中国の経済規模に劣るとしても、こうした自由貿易圏を作れば、米国にとっても同盟国にとっても中国依存を減らし、対中牽制となる。習近平にとっても「結局は経済」(”It’s the economy, stupid.”(※クリントン大統領の名言))。習近平が地位を降りることになりうる最大の要因は安保その他何でもなく、経済での失敗である。
(8)ロシアとの関係を改善(rebalance)すること。ロシアが米国に友好的になるとかましてや同盟国となることはあり得ないが、これ以上、露中連携に追いやるべきではない。ロシアは米国の脅威ではない。もっとも、中国もこの点は十分認識しており、米ロ関係が改善する前に中ロ関係を進展させる努力をしている。
(9)レッドラインを明示するべし(台湾の武力解放、南シナ海、尖閣諸島の奪取を許さないことを明確に)。「強さを尊敬し弱さを軽蔑する」という中国のリアリスト的戦略文化に留意。習近平は米国との衝突は避けがたいと思っているが、中国は当面の間は、米国との軍事衝突を避けたいと考えている。(米国に負けたりするようなことがあれば共産党体制が揺らぎかねないため。)
(10)米国自身の国力の回復強化が必要
・5Gなど経済インフラへの投資。
・テクノロジー、エンジニアリング、STEM教育、大学、科学技術研究への投資。
・AIなど先端技術イノベーションにおける米国の優位の維持。
・正しい移民政策により、米国の人口が、若年層人口が多く増大し、他の先進国や中国が苦しめられている少子高齢化の問題を回避すること。また、世界の優秀な人材(best and brightest)が米国に留学に来続けること。
・財政悪化の方向を正すこと。
・社会の分断の改善。
・孤立主義ではなく国際協調体制の維持拡大していくことについて米国自身が政治的決意を固くもつこと(political resolve)。
(11)戦略的協力を継続する分野(中国の入った核軍縮枠組み策定、宇宙・サイバーについての二国間条約策定、気候変動、グローバル感染症、北朝鮮の非核化)を明確にすること。
(12)思想(Idea)の競争における勝利、すなわち自由で民主的な価値や国際協調体制についての世界的信任を取り戻すこと。
(13)長期的には、中国人民が共産党の唱える世紀の題目(中国文明は永遠に強権的な将来にある)に疑問を持つようになる可能性は十分ある。が、それは中国人民が選択することである。他方、米国の今後数十年の戦略は、中国共産党指導層に今後の戦略的方向性を変更させることにある。そのためには、米国自身が自信を取り戻すことが必要である。米国民がこれからの世紀においても米国がグローバルなリーダーシップを発揮する能力があることについての信念を取り戻すことが必要であり、その過程で、同盟国や友人が米国に対する信頼を取り戻すことが重要である。
2.主たる反論
新X論文に賛同する声がある一方で、多くの反論もある。典型的な論点は以下のとおり。最も多いのは、習近平氏個人に集中することという新X論文の核心についての異論のようだ。筆者も最初から反論がこの点に集中することは予想した上で執筆したようだ。
(1) 習近平個人をターゲットにすることは無意味である。なぜなら、習近平前の中国の指導者たちも習近平と同じ考えを持っていたわけで、米中の緊張関係は前任者たちのときからあった。習近平が降板したとしても中国の問題はなくならない。(Paul Heer他)
(2) 習近平への集中は中国の反発を呼びエスカレーションを招く。
(3) 習近平以外の中国のエリートの考えをどのようにして変更させるのか。米国は中国の内政に影響を及ぼすことに成功したことがないではないか。(Daniel Larison)
(4) 新X論文は余りにも中国脅威論に偏っている。中国はさほど野心家ではない。世界覇権を狙ってはいないし、領土拡張主義者でもない。既存の秩序を壊す気もない。中華の強権的世界秩序を築くことなど到底無理でそのような目標を追求することは中国にとって有害無益とわかっている。(Daniel Larison)
(5) 米国が世界のリーダーに再びなろうというのは無理。そんな力はないのであって、現実を受け入れて普通の国になるべきだ。トランプ政権下で随分信用を無くしたこともある。(Daniel Larison, Martin Wolf)
(6)ロシアと接近なんてとんでもない。
3.とりあえずの感想
(1) 新X論文の提案する「米国がなすべきこと」にはほぼ全て同意する。米国が米国自身の国力を上げることも、同盟国との連携進化拡大も、台湾の軍事侵攻や南シナ海、尖閣に対する軍事行動などレッドラインを定めることも重要だと思う。TPPに復帰したり北米経済連携を再構築したりと安心の経済枠組みを作ることも賛同する。ロシアについては異論もあるようだが、ロシアをこれ以上中国寄りにおいやらないため、ロシアとの関係改善を行うべきことも同感だ。おそらく反論している論者たちもさほど異論はないのではないか。
(2) 「新X論文」の肝である、習近平への「全集中」については、習近平国家主席が中国の強硬路線に大きく影響していることは疑いなく、したがって、習近平主席が降板すれば、中国がより穏当になる可能性は高いと思うので、その意味で同意できるものの、鄧小平や胡錦涛は現状維持勢力であったので、そこに戻すことを目標とするというのは、少々ナイーブではないか。日本はその当時でも尖閣諸島に対する圧迫を受けていたし、南シナ海が埋め立てられたのは習近平時代よりずっと前にさかのぼる。
(3) もっといえば、「一見良い子になった中国」は、欧州の警戒を解き、ゆれる東南アジアを取り込み、米国とも上手くやって、対中警戒勢力に「邪魔」されることなく経済的にも技術的にも軍事的にも拡大し、現在の体制を維持したまま、より強大な存在となることだろう。その時は、本当の中国の世紀がくるのかもしれない。それが幸せなことなのかどうか、その時に共産党一党独裁のままの中国が同時に真の意味で自由で開かれた世界を愛し、近隣国の領土に対する野心を放棄した存在となっているのかどうか。中国が真の変化ではなく「トウコウヨカイ」に戻っただけの状態なら、却って、力を結集できる素地のある現状よりもより巧妙に悪化する可能性だってある。
(4) いずれにせよ、中国は、100年マラソンともいうべき長らくの戦略に基づき行動しているとしたら、我々の側が即時的反応をするだけでは対処できないことは明らかだ。中国のような何十年にわたる戦略を持つことは民主主義国には難しい面があるが、「自由主義陣営側」が長期的な対中戦略を持とうという試みは必要なことだと思う。日本は中国と一衣帯水にある。安定し平和な中での中国との共存を願っている。残念ながら、現在、その状況は様々な中国の領土拡張的行動、人権を無視した行動により損なわれている。日本自身、日本としての対中長期戦略が今以上に必要な時はないと思う。新X論文とその世界的論争は、日本が長期の対中戦略を練る上で良い視座を提供してくれている。取り急ぎ。
編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏(自由民主党、大阪選挙区)の公式ブログ 2021年2月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。