日本には社長が約170万人いるそうです。会社の数から個人事業者数を引いたざっくりした計算で人口の約1.5%が社長だとも言えます。雇用者数(役員を除く)は5650万人ですから100人に3人が社長になるのです。「石を投げれば社長に当たる」とは言いませんが、それぐらい社長の数は多いものなのです。
ずいぶん昔、知り合いが「俺、社長っていう名刺が欲しいんだよ。だから会社作ったんだ」といって見せてくれたその肩書は社長ではなくてCEOとあります。おいおい、君の会社、取締役会なんてないだろう、議長も何もあったもんじゃないだろう、と言いたかったのをぐっとこらえた記憶があります。
さて、社長にもいろいろあり、創業社長、プロ経営者、サラリーマン社長、更には規模も従業員ゼロで社長兼雑用係からドラマに出てくるような社長然としている方までいらっしゃいます。ひと括りにはできない社長業でありますが、サラリーマン社長が時として揶揄されるのはなぜでしょうか?
私はサラリーマン社長と創業社長の両方の経験があります。前者は会社の中で一歩一歩階段を登り詰めるわけですが、私の場合は同じ職場で同じ仕事をやり続けてヒラから頂点にたどり着きました。その点、特段新鮮味があるわけではなく、たまたま社長という肩書だけど社内的には課長待遇というそれこそ名詞だけ社長の世界でした。
この環境下では「同じ釜の飯を食う」という感覚は残っており、従業員と普通に接することができました。ところがそのあと、私が買収をするととたんに空気は変わります。私は完全に孤立なんですね。なぜかといえば「釜が違う」からであります。これは何を意味するか、と言えば運命共同体から一抜けしたということではないでしょうか?もっと崩して言うなら「死ぬときは一緒かどうか?」であります。
日本のサラリーマン社長には夕方になると従業員を集めて簡単なつまみと酒で社内懇談会をやっている人、社食で社員と触れ合う社長、若手社員を会議室によんでランチ会をする…といったコミュニケーションをとる社長さんは結構いらっしゃるし、それが案外美談として報じられています。
私は話は聞くけど飯は必要以上には食わないです。何故か、といえば判断力が鈍るからです。常に判断する時、誰かの顔が浮かんでくるようではだめなのです。社会はもっとシビア、だからこそ、船長として冷徹かもしれないけれど、ぶれてはいけないのです。
日経ビジネスの編集長インタビューに日本ペイントの田中正明氏が登場しています。田中氏といえば三菱UFJの副頭取までやって外に出され、産業革新投資機構(JIC)に行くものの「こんな安い給料でやってられるか」と席を蹴ってきた方です。「ケンカ マサ」とも言われているそうです。その後、日本ペイントの親会社となったシンガポールのウットラム社のゴー ハップジン氏に請われ、見方によってはウットラムに日ぺが乗っ取られたようになっていますが、ビジネスの規模としてはぐっと成長し売り上げでは10年で4倍になっています。
田中氏を評するほど私に情報があるわけではないですが、ぱっと見は「怖いおっさん」だろうと思います。本人が自信の塊で「口八丁手八丁」なタイプとお見受けします。しかし、経営者はこれぐらいのリーダーシップがあるべきなんです。従業員に寄り添うとか株主や取引先を慮るというのは駄目とは言いませんが、主客転倒でしょう。
その田中氏がインタビューで「当社は創業者とプロ経営者がパートナーになっています。だからリスクを取りやすい。サラリーマン社長の最大の関心事は、自分の任期中に会社をつぶさないこと、赤字にしないこと。成長させることではないんです」とズバリ切り込んでいます。私はこの後をもう少し聞いてみたかったのですが、記事はこれで終わり。多分、インタビューをした編集長もかなり苦労したのではないかと思います。
日本から新任の駐在員の方と話をしていると「私のお勤めはせいぜい〇年だから」という方がとても多いのです。つまり、〇年のことしか考えておらず、そのビジネスの将来どうするといったビジョンなど、かけらもないんです。その体質がサラリーマン社長にそのまま引きずられているといってよいでしょう。田中氏はこの点を突いているのだと思います。
社内のことは明るいけれど社外のことは全くダメ、ましてやこの1年コロナで、パーティーもなければ業界の集まりもないから情報取集もできず、「働き過ぎは駄目だよ、No残業で帰りましょう」となっているようではいけません。
サラリーマンがなぜ、心地よいのかと言えば、失敗しなければ給与を貰え、よく知っている仲間内がそばにいて、困苦を分かち合えるし、相談もできる、ある程度先のレールも敷かれているということかと思います。しかし、社長を含む経営陣はそれではだめです。今や、取締役会は社外取締役がほとんどでプロパーは社長一人も珍しくありません。あの孫正義さんもかつて社外取締役だった柳井正さんと相当やり合ったのはそれくらい、外のチカラと揉み合うのです。社長なんてやってられないよ、というぐらい責任は負わされ、使命を与えられ、飴と鞭となり、孤独で悶々とするものなのです。副社長以下の役員なんて社長が苦しめば「へへ、次は俺か」ぐらいの感じでしょう。
医者は「私、失敗しないので」でよいのですが企業経営者は「私、成長させますので」とならなくてはいけないのです。このリスクテイク、大変だと思います。何故なら戦争と同じでどう攻めるのか、自社の商品で攻略するのか、相手を買い取るのか、第三者と手を結ぶのか、無数の攻略作戦の大本営兼突撃隊の指示を出さねばならないのです。これは従業員が3人の会社も1万人の会社も同じです。
私の肌感覚ではこの意気込みがある人が減ってきているような気がします。かつて大企業病という言葉がはやったことがあるのですが、本当の経営できる人材不足に焦点が当たってくる気がします。外国人、それも日本人が比較的許容する欧米人ではなく、アジア系が主要日系企業につく日も近いかもしれません。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年3月15日の記事より転載させていただきました。