標題の二つの問題が典型的ですが、最近、霞が関(中央省庁)を巡って様々な問題が噴出しています。どうしてこういう問題が起こるのか、日本はこんなことで大丈夫なのか、再発は防げるのか、等々、気にされている方も多いように思います。かつて霞が関に勤務していた経験も踏まえ、これらの問題について、率直に感想めいたものを書いてみたいと思います。
予め断っておきますが、本稿は、これらの問題について個別事情を詳細にリサーチして分析を加えるものではありません。あくまで、大局的に官僚制のあり方などを眺めつつ、最近起きている現象の背景にある本質と思われることを率直に述べるものとしてご理解ください。ちょっと遠回りをしますが、遠景から近景に徐々に入って行く流れで認識して頂けると幸甚です。
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今から約15年前、当時経産省の官僚だった私が代表を務めていた「新しい霞ヶ関を創る若手の会」名義で、1冊の本が東洋経済出版社から出版されました。題名は「霞ヶ関構造改革・プロジェクトK」。省庁横断的な若手官僚たちの「やむにやまれぬ想い」を元に、計21名で、約2年をかけて検討された内容で、霞が関の問題とその原因、理解しておくべき時代の方向性と具体的改革案からなる書籍でした。(実際に実名を出したのは16名)
いわゆる中央省庁の縦割り問題や、非効率な業務実態などの背景やその直截的な原因などについて渦中にいる立場から率直に書き、具体的改革提案をした本ですが、中心的な問題意識の一つは、「官僚の専門性」の重要さでした。歴史的には、常備軍や官僚制は強くしっかりした国家・社会を作る土台として設けられた経緯があります。つまり、官僚制の本質的意義は「専門家集団として、王家やひいては国家を支えること」であるはずなのに、どうも日本の官僚制は、ジェネラリストとしての強さが過度に強調され、諸外国と比べて専門性が弱いのではないか、という問題提起です。
右肩上がりの成長を終え、失われた10年とも20年とも言われて不調に喘いでいた日本の官僚制に「専門性」が欠けているとなると、それは政策の国際比較で強国になれるわけがない、復活できるわけがないという出発点に立っており、専門家集団としての官僚制を日本も確立すべきとの大前提が本書にはありました。日本は財政・経済・農業・地方創生・医療・福祉・・・とほぼあらゆる分野で有効な手が打てておらず凋落の一途な中、各分野での事情の複雑さが増しているのに、政策立案者としての官僚が「当該分野の行政の専門家」ではあっても「分野そのものの専門家」ではないとなると、これはもう如何ともしがたい、ということを率直に書きました。
そして、専門性とは、平たく言えば、1)当該政策分野の現場で起こっている実情、2)当該政策分野で研究されている最先端の学説・理論などの研究内容、の双方か少なくともいずれかを熟知していることにほかならず、したがって官僚とは、当時(今も)一般的であった「総合的に力があるというゼネラリストタイプ」から、「個別分野などについて専門性が高い人材」である、という方向に認識も実態も変えなければならない、との前提に立ち、大きく、政策専門職(仮称)を中心に、バックオフィス機能を担う政策総合職(仮称)が支える形にすべきだとの認識を示しました。(詳細は同書に譲りますが、大臣や副大臣等の政治家との役割分担や、組織内のマネジメント職が担う機能については別途検討して書いてあるところです。)
この体制を実際に実現するとなると、本質的には、大量の「専門家」(現場経験者や、学識面での有識者など)を雇うしかなく、新卒者ではなく、いわゆる中途採用中心にせざるを得ないことが明らかですが、これが実際には簡単ではないことは誰が見ても明らかです。で、とりあえず、専門家ではないかもしれないけれど、せめて、人気があって倍率の高い難しい試験を突破した地頭の良い(はずの)キャリア官僚たちが、「専門家たち」から必死に学び、政策に反映させていくことに期待するしかない、となるわけです。
ここでようやく冒頭の接待問題に繋がってくるのですが、短期間で何とか国益のために専門的知識を身に付けようとすると、それはもう、業界の方、現場の方に話を聞くのが一番です。建前としては、「昼間に」「会議室に」業界の方々に来て頂いて、お茶でも飲みながら勉強をさせていただく、ということになりますが、一般的には、そうした「意見交換」では、それほど本音が聞きだせるわけでもありません。昼間だと1時間というのがせいぜいで、時間の制約もあります。
となると、仕事熱心で、真剣に現場の実情を聞きたい人であればあるほど、夜にじっくりと飲みながら話を聞く、ということになりますが、役所には、一般的な意味では酒食についての交際接待費がありません(色々な手続きを経れば、役所や部局のよっては、厳密には会議費的に支出が認められますが、潤沢にあるわけではありません)。普通の人間の感覚であれば、こちらからお誘いしているのに「割り勘で」とかは言いにくいので、ご馳走することになりますが、仮に割り勘だとしても、ポケットマネーでずっとそれをやり続けるのは官僚の給料では厳しいものがあります。となると、「権限を持っている人たちとお近づきになっておきたい」という程度の若干の下心をベースに、これまた仕事熱心に近づいてくる民間企業の方から話を聞くのが最良、と言うことになってしまうわけです。
以上、拙い文章でうまく実情が説明できているか分かりませんが、一言で象徴的に書けば、「昼間に会議室で現場の実態の話を聞くことはできる」という人はいても、「昼間の会議室の方が、夜の接待の会席よりもより詳しく話を聞ける」という人はほぼ皆無であるということです。仕事熱心であればあるほど、後者を希求することになります。場合によっては、現場に精通している人たちと飲みながら「一緒に政策づくりに励む」なんてこともかつては良くありました。日米交渉などで、日本側の強硬な態度にほぞを噛んだ海外勢が一番羨み、かつ脅威に感じていたのが、日本の政治家や官僚と業界の一体感でした。規則は規則ですので、もちろん、今となっては、ルール違反はご法度ですが、かつては役人が奢られることは普通にありました。
私が外国勢でも、最強の官民一体の経済大国日本を倒すには、日本のメディアを使って「不正だ、不透明だ」と攻撃し、倫理法などを作らせてこの強みを奪おうとしたでしょう。実際に日本は、先般の山田氏ではないですが、7万円で大騒ぎになって事実上クビになる、かなり「清廉潔白で綺麗な国」になりましたが、かつてのような官民が一体となって国益を実現しようとする深い絆は無くなる方向に進んでいます。私は今回失脚した実力派官僚とされる谷脇氏とは一面識もありませんが、業界全体を仕切れ、NTT統合などによって日本の通信・IT企業の競争力を高めようとする意志と実力を持った方という噂も聞きます。色々な小さな不正は根絶できず、「不浄」によるオリも溜まるが全体としては強いというチームと、チリ一つない綺麗な状態を目指していて素晴らしいものの余裕がなくギスギスする中で全体としては弱いチームと、どちらが国民にとって幸せか、一考の余地があると思っています。
GoranQ
さて、ここまで、本来的に専門性が必要な官僚が、その実力不足を補うべく民間人と飲みながら良くも悪くも「互いに良く知った関係」を築き、詳細な情報を吸い上げたり一緒に政策づくりをして行ったりするというメカニズム、そのやり取りの中で奢り奢られるということも出てくるという、いわば「不都合な真実」について書きましたが、今回、問題になっているのは、主に局長以上という結構な幹部レベルでの話です。かつては、係長や課長補佐のレベルで、こうした業界との夜の付き合いが割と普通に行われていた印象がありますが、仄聞している限りでは、一般的には、今は、こうした若手のレベルではこうした付き合いはあまりないと聞きます。
より正確に書けば、今の若手官僚は、構造的にそうした関係が築きづらいようです。通常業務で忙しすぎたり、疲弊しすぎたりしていて、とてもそんな余裕はないという声を聞きます。どうして余裕がないかと言えば、短期的には、コロナ対応や、最近「グリーンとデジタル」と総称されますが、平常時の業務に加えて、時代が大きく揺れ動く中での臨時業務が激増しているからです。また中期的には、「働き方改革」がじわじわ広がる中早く帰らねばならず、相当なスピードで日中に大量の業務をこなさなければならず疲弊度が高まっているという声もあります。女性官僚は帰宅後に引き続き家事を負担するケースが多く、また、男性も家事・育児参加の必要性が声高に言われる中、その負担を増やしています。そして、長期的には、霞が関には、昔からずっと「新しい仕事は増えても、従来の業務をスクラップしづらく、しかも財政難の中で人員は増やせない」という構造問題があります。更には、そういう状況を横目に、ここ何十年もの間、徐々に、かつてほどの優秀層が霞が関を選ばなくなってきていて質の劣化も指摘されます。
こういう中で、若手官僚たちは、疲弊し、ミスを多発させているという構図が浮かび上がってきます。マクロには若手に厳しい構造が明確ですが、ちょっとおじさんらしいことを付け加えるならば、ミクロには逆もある気がします。すなわち、昔は、法制局などでは良く怒鳴られたり、それが嫌な上司から過激に詰めをくらったりしていたものですが、「パワハラ」認定されてしまう昨今は、そうした厳しい詰めもかつてよりは減っているようです。そうした個別局面での「緩さ」が、ミスが多発している一つの遠因にはなっているかもしれません。
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こうした状況に鑑みれば、業界の人たちとのスムーズな意見交換や官民連携を踏まえての政策づくりなどを促すべく、中長期的には、役所側に使い勝手の良い(例:酒席への支出もより簡便にOKにするなど)接待費的な予算をつけてあげても良いと思いますし、そもそも論としての専門家の採用が欠かせません。デジタル化が特に注目を浴びている昨今ですが、さすがに、地頭だけでこの施策を乗り切るのは難しいということで、デジタル庁には100人規模での中途専門家の大量採用が実施されると言われています。
そんな中、短期的には、法案作成などの官僚の業務負担を減らすため、ミスのチェックなどは、少なくとも負担が極大化している現下の情勢では、役所側に厳しく対応させるだけでなく、そもそも国会側でしっかりチェックして修正すれば良い体制を作るとか、はたまた、そもそもの役人の国会対応の負担を減らすとか(質問の早めの通告など)、立法府側の協力が死活的に大切だと思われます。
何より、かつてのプロジェクトKではありませんが、若手がもっと声を上げても良いような気もします。究極的には、この部分においてもデジタル化(デジタイゼーション/デジタライゼーション)による業務の効率化が大きな鍵となりますが、デジタル庁発足を前に、若手が考える具体案などを提出していくべき時かもしれません。