人を見て法を説く

ライフハッカーに今年9月、「職場を壊すダメな上司に共通する4つの行動」と題された記事がありました。その行動とは、①手柄を独り占めして責任を転嫁する、②何が起こるか予測しにくい環境にしてチームを不安にする、③不信の種をまく、④アメよりムチを使う、とのことです。①②③は特段の論評を要さぬもので、指摘される通りだと思います。

④に関し私見を申し上げるとすれば、アメもムチも何等か考えて行うでなくて、人間に対する愛や部下に対する思い等々、様々なものの結果として時にはアメに時にはムチになったりするのではないでしょうか。つまりは、之をやればアメ・之をやればムチといったような話ではなくて、己の部下に対する愛情から「この人の成長の為こうしてやるのが良いだろう」といった思いを抱き、それがアメになったりムチになったりする、ということだと私は思っています。

例えば、『ビジネスに活かす「論語」』(拙著)第一章の「相手に合わせ、学ぶ意欲を大事にした孔子の教育法」の中で、私は次の通り述べました--孔子は「仁」という徳について教える場合にも、ある者には「それは愛だよ」と教え、別の弟子には「それは忠恕のことだよ」と、全然違った形で教えました。そのため、後世の人から、孔子の教えは一定でないと批判されることもあるのですが、それは矛盾しているわけではなく、ただ相手の人物としてのレベルに応じて説明の仕方を変えているだけなのです。そのようにして、弟子の足りないところを伸ばし、行き過ぎているところは抑え、個々の弟子の人格をできるだけ十全なものに近づけようとしたのでしょう。

また『論語』の「先進第十一の二二」でも、「人を見て法を説く」孔子流の教え方が見られます。それは、弟子の子路(由)及び冉有(求)夫々から「道理を聞いたら直ちに実行しても宜しいでしょうか」との質問を受けた孔子が、子路には「父兄(両親)が此の世にいる時に、どうして道理を聞いて直ぐに実行できようか」と、冉有には「道理を聞いたら直ぐに実行しなさい」と答える場面です。即ち、子路は積極的な人間で直ぐ行動に移すタイプなので、「父兄がいたら道理を聞いて慎重に事を行え」と、冉有は常にビクビクしながら物事を処理しているような男なので、彼を励ます意味で「直ぐに実行しなさい」と言っているのです。

このように、孔子は3000人と言われる自分の弟子夫々の性質・能力を見極めつつ、夫々に適したやり方で色々な教えを説いて行きました。人に応じ皆答え方が違ってくる中でハッキリしていることは、孔子の弟子に対する愛や信のあらわれであります。これまで私自身も教育者としての孔子の素晴らしさに学ぶべく、部下に対する愛情を持って個々に指導を心掛けてきたつもりです。だから、部下一人ひとりの成長を真剣に願う時、それは時としてアメになったり時としてムチになったりするものです。


編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2021年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。