これは、先の池田さんの記事に対するコメントですが、池田さんも書かれていたようにライブドアのコメント欄は800字以内なので、記事として書きます。
情報の非対称性の存在を前提にすると、ミドルリスクの貸付市場というのは、安定的には存在し難いものだと考えられます。要するに、ハイリスクの借り手とミドルリスクの借り手を識別できないと「レモン問題」が起きて、ハイリスクの貸付市場しか成立し難くなります。もちろん実際は、担保を差し出せるその他のシグナルによって自らがローリスクであることを示せる借り手に関する市場は存在することになりますから、ローリスク向けの貸付市場とハイリスク向けの貸付市場に2極化するのが、理論的には、最も起こりやすい状況だと考えられます。
それでは、商工ローンとかがやっていたビジネスは、いったい何なのかということになります。商工ローンのみならず、ほとんどのノンバンクについて、一般の銀行に比べて、とくに審査能力が優れていて、ミドルリスクをハイリスクから識別できたとは考えられません。そもそも、商工ローンのマーケティングは、事前審査に力点などおいておらず、きわめて簡便な手続きで融資を実行するというものですから、リスクの識別に優れているとはとても思えません。
にもかかわらず、商工ローンがミドルリスク向けに貸付を行っていたのは、「取り立て」に自信があったからです。一般に金融取引は(現在借りて、将来返すという)異時点間にわたるものですから、その取引条件が価格(約定金利)だけであるようにみなすのは、基本的に間違っています。価格(約定金利)とともに、債務不履行時にどのような取り扱いを受けるかも、重要な取引条件になります。この債務不履行時の取り扱いに関して、普通の銀行は、法律上の制約や評判への配慮があって、一定限度の措置しかとれません。しかし、商工ローンは、そうした限度を遥かに超えた措置(その有名な例が「腎臓売って金返せ」という脅し文句)をとるわけです。
一、二年前に小林慶一郎氏が新聞に紹介記事を書いていたので、ご存じの方もいるかもしれませんが、かつてハーシュライファー(Hirshleifer)が、経済活動には production と conflict の2種類があると指摘しています。私が学生に説明する際によく使う例でいうと、学生が1万円の所得を得るには、例えばコンビニでバイトをして稼ぐ(production)と、親に泣きついて仕送りしてもらう(conflict)という2種類があります。あるいは、conflict という表現そのものであるような後者の例をあげれば、下級生を脅してカネを巻き上げるというのが考えられます。
個別の観点からすると、どちらも1万円の所得が得られるという点では同じですから、効率のいい方を選ぶことになります。すると、丸1日コンビニでバイトをするよりも、親に電話をする(あるいは、かつ上げをする)ということになりかねません。しかし、社会的な観点からすると、これら2種類の経済活動の意味は全く違います。前者は、新たな付加価値を生むといえますが、後者は、再分配に過ぎずパイを増やさないだけでなく、その再分配を実現するために費やされた労力は価値を生まないという意味で、むしろマイナスになります。
要するに、前者(production)は価値創造的で、後者(conflict)は価値破壊的な活動なわけです。ハーシュライファーは、多くの経済学者は経済活動というと前者のようなものしか想定せず、後者の存在を無視してきたと批判しています。しかし、既述のように、個別的には後者の方が有利で後者を選んでしまうということがあり得ます。それゆえ、後者のような経済活動を抑止するようなルールの導入などの制度設計が必要になります。後者のような活動をどれだけ封じ込められるかは、効率性の観点から決定的に重要です。なお、ハーシュライファーは、前者の活動を支える技術を technology of production と呼び、後者の活動を支える技術を technology of conflict(あるいは、technology of struggle)と呼んでいます。
かつて貸金業者や商工ローンが行っていた「厳しい取り立て」というのは、この闘争技術の1種であり、そうした技術が行使されると、社会的には価値破壊的な効果が生じると私は考えています。この取り立て技術は、前に述べたように、人間関係のような通常は譲渡不可能(non-transferable)な資産を無理矢理に譲渡可能(transferable)にする技術で、回収される価値よりも、その過程で失われる価値の方が遥かに大きい価値破壊的なものだと判断しています。こうした闘争技術の行使は抑制されなければなりません。
これは、念のために言いますが、効率性の観点から必要だといっているので、借り手が可哀想だとかなんとかといった話をしているわけではありません。むしろサラ金や商工ローンに手を出す借り手は愚かだと個人的には思っています。ただし、いくら借り手が愚かでも、商売としてやっている貸し手の側がまともだったら問題が起きるはずがない。それゆえ、問題の原因は貸し手側に大いにあるという理解です。そして、前に書いたように「原因は『厳しい取り立て』にあるので、本当はそれだけを禁止できればいいのですが、立証可能性等の問題を考えると、取り立て規制の実効化(enforcement)はきわめて難しい」、それゆえやむなく金利上限規制や総量規制を導入するということになったわけです。
したがって、「現状が最善でないことは当然で、次善どころか三善以下でしかない可能性も高いので、繰り返しになりますが、もっといい解決法があるということでしたら、是非ご教示下さい」といっているのだけれども、より効果的に闘争技術の行使を抑止する代替案は示してもらえていない。闘争技術が行使される可能性がない場合には、当事者が自発的に合意している限り、50%の金利であろうが、100%の金利であろうが、自由にやればよい。しかし、闘争技術が行使される明らかな危険がある時に、そういうわけにはいかない。この点を無視して議論してもらっては困るわけです。
なお、木村剛さんの日本振興銀行は、SFGC(旧・商工ローン)から債権譲渡を受けただけでなく、SFGCの社員を中途採用して、引き続き実質的に同じ業務を続けさせているようです。日本振興銀行も、新銀行東京と設立の趣旨は同じようなものだったのに、後者がボロボロになったのに対して、たくましくやってらっしゃる。さすが、「金融道」を分かっているのですね。
コメント
非常に意義のある記事を読ませていただきありがとうございます。
破産もせず借金を返さないなら、取立てを受けるのは当然のことでしょう。厳しい取立てが問題ですが、規制するのは難しいなら、破産に関する法律を整備すればよいのではないかと思います。ようは借金を返せない人は簡単に破産できるようになれば、厳しい取立てを受けずに済むでしょう。
私は個人破産に関する法律をあまり知りませんが、中小企業が倒産するとオーナーが自殺に追い込まれる現実を考えると、現在の個人破産は多くの人にとって死に相当する罰でしょう。もうちょっと時代にあった個人破産ができるようになれば、取立ての問題も自殺の問題も解決されるのではないでしょうか。
新銀行東京の場合は審査が杜撰であったばかりでなく、返済が滞っても、積極的に取立ても行ってなかったようです。厳しい取立ては、程度にもよりますが、金融業に限らず必要ではないでしょうか。法に触れるような取立て行為であれば取り締まればすむことです。悪質な借家人のブラックリストを作る是非が紙上を賑わせてますが、融資を受ける法人、個人の中には、最初から返済の意思が無いのに借りる者もいます。サラ金や商工ローンの顧客の中には、そういう不埒な連中も多いのです。蛇の道はヘビとも言います、SFGCのみを責めるのも気の毒な気もします。サラ金被害者の会というのがありましたが、借金を踏み倒して、本当の被害者は誰だと思ったりしました。
(授業をさぼって)アルバイトするよりか、親から一万円もらって授業を受けたり、その時間に一人で勉強したりした方が、よっぽど学生にとって将来の価値を生むのでは?もっとも、勉強熱心な学生にしかあてはまりませんけどね。
st_uesugi さんのご意見に基本的には賛成です。現在でも自己破産の件数は増大しており、最後の救済手段とはなっていますが、もっと個人破産をしやすくすればいいいのではないかと私も考えていました。しかし、借り手のモラルハザードとかの問題があって、そう簡単ではありません。そして、破産しやすくすると、モラトリアムの話と同じで、それを予見してそもそも貸さないという行動が生じます。闘争技術を行使するつもりがそもそもない善良な貸し手まで、貸し渋りに走らせるという弊害が無視できないのです。
--池尾
hogeihantai さんは、もう少し現実を知った方がよいと思います。とりあえず、
・須田慎一郎『下流喰い―消費者金融の実態』ちくま新書
でも読むことを薦めます。また、貸金業改正に至る経緯に関しては、
・井手壮平『サラ金崩壊―グレーゾーン金利撤廃をめぐる300日戦争』早川書房
が、客観的でいいかと思います。
なお、「法に触れるような取立て行為であれば取り締まればすむ」というようなことであれば、誰も苦労しません。制度を実施(implementation)したり、規制を実効化(enforcement)すること自体、コストを要する問題なのです。「立証可能性等の問題を考えると」と書いている意味をまるで分かっていないのですね。
--池尾
>もっといい解決法があるということでしたら、
効果的な制度改革手段として、売掛債権の回収方法から「手形」をなくすか、大企業の使用を止めさせるか、手形の期限を最長2ヶ月以下にする方法が考えられます。
また、「当月末締め」の「翌月末払い」の慣習もなくして、納品ごとにインボイスを発行し、発効日から最長60日以内に支払うようにすれば、企業の資金計画の作成がシンプルになるのではないでしょうか。
小規模製造業で、材料調達から製品出荷までの時差が長い(2ヶ月以上)の場合の措置としては、バイヤー側で国内L/Cを開かせるように(行政指導)して、そのL/Cを担保として銀行から融資を受ける事により対応可能かと考えます。(アジアの零細メーカーは、このようなファイナンスをしばしば利用しています)
>立証可能性……..
すみません。この部分、読んでませんでした。
bobby2009さん
最近大企業では、手数のかかる手形発行を止め、手形の期日に銀行振り込みをする会社が増えてます。手形がないと、割り引くことも出来なくなるので、中小企業は益々苦しくなります。日本の場合、米国に比べて、FACTORING(債権譲渡)が非常に未発達です。これが簡単に利用できれば、町金融に頼ることも減ると思います。
現在、日本では債権者が債務者の取引先に債券譲渡依頼書を出すと、譲渡者はまず倒産予備軍とみなされます。L/C担保で銀行融資を受けることは日本でも簡単にできます。B/L買取時に融資額は相殺されます。
コンビニでバイトして稼ぐ場合も、今の日本のような慢性的な総需要不足の中では、椅子取りゲームのごとく他の労働者の所得を奪うだけで、新たな付加価値を生んでいるとは言えない(=conflict)ような気がするのですが、どうなのでしょうか?
というのも、事後的にはある経済活動がproductionだったのかconflictだったのかを判別するのは比較的簡単だと思うのですが、事前にはどちらであるか分からない場合が多いように思えるためです。
消費者金融の場合は基本的に資金用途が「消費」なので、強すぎる現在バイアスの悪影響を弱めるための規制強化が正当化できると思いますが、事業者金融の場合は基本的に「投資」なので、資金用途の平均期待利回りと金利の大小関係によってproductionかconflictかが変わってきそうな気がします。
極端な例を出すと、メガバンクがトヨタ自動車に1%の利子で無担保の融資をしたとして、もしトヨタ側の資金用途の期待利回りが仮に1%を下回っていたとすれば、その融資はconflictなのではないでしょうか?
ですから、「闘争技術が行使される可能性がない場合には、当事者が自発的に合意している限り、50%の金利であろうが、100%の金利であろうが、自由にやればよい」と書いているわけで、金利水準の高低で価値破壊的かどうかが決まるわけではありません。また、よかれと思ってやったことが惨憺たる結果を招くようなことが実社会ではしばしば起こりますから、実際の活動を仕分けすることは難しいというのは、ご指摘の通りです。
ただし、私が問題だと考えているのは、意図的に他人から収奪することを目的としたビジネスを行う人達がいるということです。いわゆる悪質商法の類は、他人を騙したりして儲けることを意識的にやっているわけです。この種の活動を許していては、「市場の質」が劣化してしまうので、そうした種類の活動については抑制をする手だてを工夫しなければならないということです。
--池尾
>借り手のモラルハザードとかの問題
自己破産の要件は緩くする一方で、刑事罰を科すことにしてはどうなのでしょう。
取り立てが債務者にとって自殺するほど苦しいことなら、数年の懲役は受け入れられるのではないでしょうか。
そもそも、借りた金を返さないのは、窃盗と変わるところがないので、刑事罰を科すのは、所有権の保護ともいえます。
過酷な取り立てに闘争技術の側面があることはわかっているつもりです。
しかし、同時にそれは、政府が守ってくれない所有権を、自分たちで守っているという面もあると思うのです。
>問題だと考えているのは、意図的に他人から収奪する…
悪質だから儲かる、儲かるから、新規参入が増える、競争が激しくなるから、貸し出し金利も下がるのではないのでしょうか?この種の金融業が合法、違法にかかわらず、競争がある限り、金利は合理的水準に収束するというのが経済学の教えるところではないのですか?
この世には違法なビジネスは多数あります。売春、麻薬は日本では違法です。違法であるが故に、需要のわりに、供給が少なく、価格は高い。それ故、闇社会が大儲けして栄える。マフィアの資金源にならぬよう、売春、麻薬を合法化している民主国家も多数あります。金利は法律で抑えるものでなく、市場原理に任せるべきではないでしょうか?法定利息なるものは禁酒法と同類に見えるのですが、いかがでしょうか?
初めてコメントします。
難しいのは回収ノウハウ=収奪ビジネスではないというところです。信用ビジネスの効用はケースバイケースだからです。
金利水準に天井を設けたり、返済猶予を義務化するような一律な法制化に対して、米国のように収奪ビジネスには収奪弁護士(?)を対峙させる方法もあると思います。法律的にはPredatory Lendingを禁止するという抽象的なものしかありません。個別対応は裁判でということです。
経済がサービス化するなかで、規制緩和、市場化を推進すると、個別問題を解決するニーズが出てくるのが必然だと思いますが、日本はそんなニーズをビジネスチャンスと考えないですよね。
この問題については、少々古い本ですが「誰が「商工ファンド」を潰そうとしたか – 加納明弘」を読んでみられると良いかと思います。「腎臓売って金返せ」から始まる商工ローン・バッシングがいかに理性を失ったものであったかが分かります。ちなみに取り立て行為の規制違反や恫喝で逮捕者がでたのは日栄(の子会社の日本信用保証)で、SFCGの前身である商工ファンドではありません。
商工ファンドは消費者金融に大きなイノベーションをもたらしました。金利の大幅な引き下げと法的手段による取立です。70年代まで年100%を越えていた貸出金利を大幅に引き下げたこと(参考:本書P45 http://j.mp/9HE6X )で、それに付いてこれない非効率なヤミ金を減少させ、法的手段によることで返済時のトラブルを大きく減らしたのです。
-続き-
そして商工ファンドの平均貸出期間は8ヶ月で、貸し倒れ比率は5%台です。これは短期の資金需要に応えた事業であることは明らかで、悲惨な多重債務者は例外だと考えるべきでしょう。
本書によれば金利引き下げは「この第一段階の金利引き下げ余力は、主として弘信商事などからの外部資金調達の成功に由来するもの、第二段階は保証人付き無担保ローンの成功によるものだと解してもよいだろう。(P.77)」としています。つまりコストの高い暴力による回収を無くすことが金利の引き下げに繋がったのです。
金融経済についてはかなり素人ですが、コメントさせてください。
池尾さんの議論のご趣旨は自分なりに理解できるつもりで、また池尾さんの書かれた他の文献では既に触れられているのかもしれませんが、以下の2点を確認させてください。
1)
闘争的な技術の行使を防ぐためには、現在の措置は「三善」だとしても正当化されうるというのが、池尾さんのご見解だと思いますが、闘争的な技術の行使によってもたらされうるマイナスは、2007年以降の中小企業倒産の増加によるマイナスと、同程度と見積もっておられるのでしょうか?
2)現在、ノンバンクへの資金需要の(一部の?)代わりとなっているといわれるヤミ金融は、闘争的な技術の行使の事例に入るのでしょうか?入るとした場合、現在の措置はこの部分については効いているとはいえないように思えますが、ヤミ金融を考慮に入れた場合についても、1)のような比較では、双方のマイナスはおおむね同程度と考えておられるのでしょうか?
この問題は当事者でないとわからない点が多いのですが、あるノンバンク関係者から、この記事について、Eメールで次のようなコメントをもらいました。
<私は池尾先生を尊敬していますが、本件については金融庁の情報に依存しておられ、現場をよくご存じないのではないでしょうか。商工ローンのビジネスの肝が取り立てにあるというのは誤解です。SFCGの大島謙伸が作り上げた属人的なビジネスモデルはご指摘のとおりですが、他のノンバンクがすべてそうであるとするのは、あまりにも乱暴です。たとえば、沖縄のジャパンクレスという商工ローンを見てください。>
yashiharaさん。ご質問の点については、前の記事の後半でふれています。逆に質問したいのですが、1)の質問の前提は貸金業法の改正が中小企業の資金繰り悪化につながっているという前提でのもののようですが、そうした因果関係を裏付ける証拠とかデータとかをお持ちなのでしょうか。お持ちなら、是非ご教示下さい。また、ヤミ金は闘争技術そのものですが、2)の質問はヤミ金が拡大しているという前提に基づくものでしょうか。もしそうなら、ヤミ金が拡大しているという証拠とかデータとかをお持ちなのでしょうか。お持ちなら、是非ご教示下さい。
--池尾
池田さん。すみません。私は「商工ローン」を一般名詞としては使っていませでした。もっぱら、日栄とかSFGCを指すものとしてして使っていました。しかし、「SFCGの大島謙伸が作り上げた属人的なビジネスモデルはご指摘のとおりです」ということですので、論旨に本質的な修正の必要はないかと思います。ノンバンクをいっぱしとからげにしたつもりはなかったのですが、今後はもっと気を付けます。
--池尾
当事者間の自由な取引に政府が介入すべきケースとは?例えば麻薬の売買のように、当事者だけが痛い目をみるに留まらず、それが蔓延することで社会全体が劣化すると考えられる場合でしょう。
何かを規制する(非合法化する)という事は、その取引がばれた場合の懲役・罰金というリスクプレミアムを課すということです。それは当然価格に転嫁されるので、需要は減るはずだと。
しかし非合法化された領域が広いほど、闇社会のビジネス領域も広くなります。ですから、闇社会ビジネスを極小化し、効能:害悪比を最善にするポイントを探して規制する事になります。
そこで金利の場合、何%がその規制ポイントとして適当なのかという話ですが、池田さんは今のレベルでは低すぎるとお考えなのだと思いますが、池尾さんはどの程度が適当とお考えでしょうか?
元消費者金融に勤めていたものです。
今回の上限金利の引き下げですが、現場にいたものとしては
これでよかったんじゃないかなという感想です。
情報の非対称性等という難しい言葉を使わなくても、
「マトモに返すことがほぼゼロに近い相手に貸してもよいか?」
ということだと思います。
すでに2,3件借りている顧客については最終的に返すのは、
一割にも満たず、基本的に破産か他人に肩代わりしてもらうかのどちらかです。
また、貸金業規制法もかなり厳しく取立てを規制していましたが、どれだけ法整備していたとしても、何十年この業界をやっていた人間が規正法である日いきなり変わるわけではありません。またそれは借り手も同様です。
当時上限金利や総量規制についても特例を設けようという話はありましたが、私の会社ではその特例の本来の意味でのビジネスを行うという事ではなく、
それを抜け穴として旧態依然の業務を続ける事ばかりが議論されていました。
現在池田さんが指摘するように様々な制度上の問題点はありますし、過払金制度は酷いものだと思います。
が、結局は貸し手借り手が変わらない限りは業界自体もかわらないため、一度焼け野原にしてから新しいビジネスを立ち上げさせようと言う金融庁の考え方かと思っています。
また、今までの貸し金関連の記事は全て読みましたが池尾さんも池田さんどちらも理論が先に立っていて現状から剥離しているように感じます。2007年から始まった貸金関連の事件はもっと多分単純なものだと思います。
yondemasuyoさん。なにせ本職が一応大学教授なので、理屈っぽい書き方になっているかもしれません(嫌みに聞こえたら、ご免)が、上で書かれていることは次の記事で私が書いたことと大差ないように思います。貸し手にもう少し節度があって、借り手がもう少し賢明だったら、こんな乱暴なことをしなくてもよかったはずだというのが、貸金業法の改正を担当した大森・参事官(当時)の感想ですが、私も全くの同感です。
--池尾
池尾様:
コメントへのご回答、ありがとうございました。ただ、私の質問は、因果関係ではなく「双方のマイナスは等しいのか」と聴いたものです。また、専門家でもない私に、経済学者同士の議論のように「データがあるのか?」と聴かれるのも、奇異な気がします。
経済学者の方が或る一定の方向の主張をされて、それに基づいて或る経済政策を擁護される場合、一素人としては、「この人は、どのくらいの範囲を視野に入れて議論をしているのだろう?たとえば、あの話とかは勘定に入れているのだろうか?」という疑問を感じることがあり、そうした点をお聴きできれば、というのが、私の質問の趣旨でした。
経済学者は経済学者ないしそれに準ずる人にのみ説明の責任を負うのであって、一般人の疑問にまで答えられるものではないとしても、経済政策というものの影響は、無菌室での実験と違って、その場にいる経済学者たち以外にも及ぶ気がします。もちろん経済政策全体の責任を一部の経済学者だけに求めるつもりはありませんが、一部の経済政策の影響だけを受ける一般人という者は存在しない訳ですから、専門家にとっては或る意味無茶な質問をさせて頂いた次第です。失礼致しました。
>立証可能性等の問題を考えると、取り立て規制の実効化(enforcement)はきわめて難しい
簡単ですよ。違法な取り立てに対して懲罰的賠償責任を負わせればよい。
なぜ立証可能性が難しいのか、それは単にコストの問題です。
違法な取り立てに対して、債務の数百倍から数千倍の懲罰的賠償責任が発生すれば、優秀な弁護士が着手金無しで一生懸命面倒見てくれると思います。完全歩合制でね。
これは貸し手にとって大きなリスクですから違法な取り立てを行わない事になり、enforcementは保たれます。
「違法な取り立てに対して懲罰的賠償責任を負わせればよい。」
jayo2008さんのコメントにある「収奪弁護士」を見て私も同じことを考えました。自然界においてもある生物の戦略を逆手に取って自己の子孫を残すという戦略を取る生物がいます。害虫を駆除するためにその害虫の天敵を利用するというのもよく聞く話です。「価値破壊的な戦略を取る外道を嵌める戦略」を取る弁護士が活動出来るよう法を整備すればいいのです。
違法な取り立ても、完全に無くなればいいというものではなく、ある程度は必要悪として存在していると思います。
例えば、お金を散々借りた挙句、そのお金を宝石などに換えてどこかに隠したり、誰かに渡した後、それを無くしたとか、盗まれたとか主張された場合、債権者はどうすればいいのでしょうか。
これは実際のところ、法的手段で解決できる問題ではなく、言葉を選ばなければ、殺すしかないということになると思います。
債務者はそうなることを恐れる為、抑止力が働くのですが、
倒産しかかった中小企業の経営者は、そういう自覚が無く、ただ借りれるからという理由だけで借りてしまうので問題が起きました。
そうなることを防ぐために、法規制が必要になったのではないかと思います。
それに、殺されてしまったら、弁護士に頼ることもできませんよね。