顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久
日本の新たな「国家安全保障戦略」など安全保障3文書が閣議で決定された。新たに決められた「反撃能力」の保持など、戦後の日本の安保政策を大きく変える内容である。その内容がそのまま実行されれば、日本も自国の防衛という点でやっと世界の他の諸国と同等の方向に歩み出すこととなる。この動きには日本国民の間でも圧倒的に支持が多い。
だが大手メディアでは朝日新聞だけが猛反対の大キャンペーンを打ち上げた。その骨子は日本の防衛自体を危険な悪のように特徴づけ、中国や北朝鮮の軍事脅威にはほとんど触れない。日本がすぐに他国への攻撃や侵略を始めるかのような絵図を描くのだ。
その朝日新聞のヒステリックな日本の国防への反対をみていると、この新聞は日本にとっての「国宝」なのか、あるいは「反日」か、「国害」かと、いぶかってしまう。「国害」というのはきちんとした日本語ではないが、日本国にとっての害悪という意味である。
ここで私があえて使う「国宝」という表現は当然ながら皮肉であり、逆説である。長年の朝日新聞ウォッチャーとしての私はこの新聞ほど反面教師としての価値が高い存在は日本でもまず他に類例がないと思っている。まじめな話、日本あるいは日本国民が自国の進むべき道について分岐点で迷ったとき、朝日新聞を読んでその主張をのみこみ、その正反対の道を選べばよい、日本はうまくいく、と思うからである。
朝日新聞のこの役割には明白な実証例がある。いずれも日本の国運を左右する歴史的な重大分岐点での出来事だった。
第一は日本の独立に関してだった。1951年の日本の独立につながるサンフランシスコ対日講和条約について日本国内では全面講和か、単独講和か、で意見が分かれた。全面というのはソ連などの共産圏諸国をも条約の相手に含めて、という意味だった。単独というのは実は多数講和だったが、朝日新聞などはあえて、ソ連などが入らない講和条約に「単独」というレッテルを貼って、反対した。
結果として日本は多数講和の道を選び、独立を果たした。だがもし朝日新聞の主張する「全面講和」を待っていれば、独立は大幅に遅れ、外交的にもソ連寄りとなり、日本は破滅に近い末路をたどったことだろう。
第二は日米同盟についてだった。1960年に日本はアメリカとの間で日米安全保障条約を結び、現在の日米同盟の基礎を築き始めた。
だが朝日新聞はこの日米安保条約に反対した。社説での正面からの反対というよりも、他の紙面をすべて動員しての手を変え品を変えの大反対だった。だが日米同盟が戦後の日本の選択肢として成功だったのか、失敗だったのか。その答えは明白である。
もし日本国が朝日新聞の主張に同調して、日米同盟に背を向けた場合、当時の東西冷戦の厳しさからすれば、どうしてもソ連寄りとなっただろう。そのソ連がどんな末路をたどったか。この点でも朝日新聞の主張は日本にとって大まちがいだったことは明白である。
だから日本は迷ったときには、朝日新聞の主張と反対のことをすれば成功するのだ。つまり朝日新聞は日本にとっての貴重な反面教師なのだ。その価値はやや誇張すれば国宝級である。
朝日新聞はその後もとくに日本の安全保障については日本に害を招く主張を続けてきた。いま全世界がその効用を認めるミサイル防衛にも朝日新聞は反対だった。次元は異なるが、日本の防衛庁を防衛省にするという案にも朝日新聞は反対だった。「そうすると日本は危険な軍国主義の道をたどる」というのである。
今回の日本政府の安全保障政策の転換にも朝日新聞は猛反対である。日本政府が苦労の末に決めた「反撃能力」の保持も朝日新聞は勝手に「敵基地攻撃能力」と呼称を変えることを宣言した。政府の公式政策の名称を一新聞が勝手に変えてしまうのだ。そしてその勝手な名称を日本政府の公式政策の名称であるかのように一貫して報じていく。
この独善は私たちが「朝日新聞」の名称を「反日新聞」と勝手に変えて、公の場で使い続けるという暴挙、愚挙に等しい。
朝日新聞は今回の「国家安全保障戦略」などの新採用への反対の理由として「熟議がない」「国民への説明がない」とも述べる。だが熟議も国民への説明も実際にはあったのだ。そしてなによりも、朝日新聞が熟議や国民の説明が十分にあったと判断すれば、政府の決定に賛成するのかを問いたい。なにがなんでも反対だろう。
その反対の本音に近いような部分では朝日新聞は「日本が軍事大国になる」とか「歯止めがなくなる」と主張する。核兵器も持たない、正規の軍隊もない日本がどうして軍事大国になれるのか。まして朝日が示唆する「日本が他国に一方的に攻撃をかける」というシナリオはどんな妄想でもあまりに非現実的である。
しかし朝日新聞が最も朝日らしい本領を発揮するのは「歯止め」という言葉の使い方だろう。防衛論議での歯止めといえば、普通ならば日本に脅威を与え、侵略や攻撃をしかねない敵側、潜在敵側の危険な動きに「歯止め」、つまり抑止のブレーキをかけることを意味する。
ところが朝日新聞の説く「歯止め」というのは日本に対する抑止のブレーキのことなのだ。日本の安全保障を論じるのに、その日本こそが最も危険な存在だから歯止めをかけておかねばならない、とする倒錯した主張を朝日新聞はいつも中心に据えてくるのだ。
朝日新聞のこの立ち位置は明らかに日本ではない。日本の安全を考える政策論の冒頭がその日本自身をまず抑えねばならない、という理屈なのだ。この理屈は中国や北朝鮮など防衛面で日本を明らかに敵視する立場の側を代弁している。
だから朝日新聞はどこの国の新聞なのか、という疑問がわくことになる。朝日の主張の歴史をたどっても日本の防衛を強化する政策、そして日米同盟を強化する政策にはすべて反対してきた。この立場は中国とまったく同じである。
私が北京に駐在した2000年ごろも、中国政府機関は日米共同のミサイル防衛構想に連日のように激しい反対を浴びせていた。同時に朝日新聞もまったく同様のミサイル防衛反対のキャンペーンを展開していた。日本の防衛政策に関しては中国政府と朝日新聞の主張は奇妙なほど一致してきたのだ。
今回もそのおなじみ「中国政府=朝日新聞」という連帯の反対キャンペーンがすでに始まった。日本の安全保障を他の諸国並みにする「反撃能力」にさえ大反対するキャンペーンである。
朝日新聞のこうした基本姿勢をみると、日本の国家や国民を守る能力を日本自身が高めることに反対しているわけだ。となれば、どうしても「反日」という形容がふさわしくなる。日本の国益を害する「国害」という造語ふうの表現も生まれてくる。
だから日本の安全保障に関して朝日新聞は反面教師としての「国宝」であり、日本国の多数派の立場を敵視するという意味での「反日」、さらには日本の基本的な国益を侵害するという意味での「国害」なのだと総括せざるをえないのである。
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古森 義久(Komori Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2022年12月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。