橋下徹氏に期待するもの

松本 徹三

これから日本の政治はどうなるかが五里霧中の中で、橋下氏は一つのキャスティングボードを握ったと見ていいだろう。閉塞感にやりきれなくなってきた国民の多くが、「彼の様な人間が国政に大きな影響力を持ったらどうなるだろうか」と秘かに期待を膨らませ始めている事は間違いない。一方で、反橋下の言説の多くは、「政策」ではなく「生い立ち」や「コミュニケーション手法」などを問題にするものが多く、一般にレベルが低い。


「赤字の大阪府を放り出して、大阪市に横滑りし、今度はそれも放り出して国政にしゃしゃり出るのか」などと言っている人達がいるが、彼は「大阪市と大阪府の二重構造を解消するのが財政健全化の出発点」「国政の壁の為に地方自治のあるべき姿が実現しないのなら、自分の手で国政を変えるしかない」と言っているのであり、彼の以前からの発言と現在の行動との間には矛盾はない。「ハシズム」批判が大阪市長選ではさしたる効果を生まなかったのを見ても分かるように、こういう「批判の為にする批判」に同調する有権者はそんなに多くはないだろう。

彼が最近出した「船中八策」をざっと読んだ限りは、少なくとも私には「違っているな」と思うところは何もなかった。この中の多くはごく当たり前の事だが、このような「当たり前の事」をはっきり言う人が今まではあまりいかったわけだから、「全くその通り。あんたがやってくれ」と膝を打つ人は結構いるだろう。「船中八策の詳しい内容は未だ固まっていない。これから維新塾で大いに議論して詰めて行く」というのも、これまた真っ当な仕事の進め方だと思う。

「国にとって最も大切な『防衛問題』が八策の中には含まれておらず、憲法改正の問題も『国民投票の結果に従う』というだけでは、『国を任せるに値する人物』と評価するわけにはいかない」と言う人は結構多く、これは一応筋の通った批判だが、現時点では特に目くじらを立てる程のことでもないと思う。自分自身に確たる考えがない限りは、「国民の考えを率直に聞き、それに従う」というやり方が正しいと私は思う。少なくとも、その得失を十分考え尽くしてもいない段階で、口先だけで大見得を切ってしまうよりはずっと良い。

逆に、彼が提唱する「道州制」や「首相公選論」や「参院廃止論」を標的にして、「思いつきだ」とか「非現実的だ」とか言って批判する人もいるが、これもおかしい。彼は何もこれを「すぐやれ」と言っているわけではないし、「これが認められないのなら俺は降りる」と言っているわけでもない。一つの目標を示し、時間をかけて議論していこうと提案しているに過ぎない。そもそも、こういう問題は、誰かそれなりに力のある人が本気で提案して、議論を盛り上げていこうとしない限りは、何時までたっても永久に実現しないのだから、この時期での彼のこういった提言は、評価されてこそ然るべきであり、批判されるいわれはないと思う。

この様に言うと、私は完全に橋下シンパであると受け取られるかもしれないが、現時点では未だそうだとも言えない。多くの人が口にする「危うさ」を、私も未だ少しは感じているのは事実だ。しかし、一年ぐらいの間、大阪で実績を上げる一方で、衆議院で40-50ぐらいの議席をもった野党のリーダーとして筋の通った行動を積み重ねてくれれば、何時の日か、私も、彼を「日本に新しい時代を築くリーダー」として強く推すのにやぶさかでなくなるかもしれない。何となくそんな予感を抱かせるものを彼は持っている様に思う。

取り敢えずは、「大阪維新の会」が衆議院での一大勢力となれば、現在の閉塞感を打ち破る効果は明らかに出てくるだろう。政局がらみで全てを判断し行動する傾向のある既存政党と異なり、橋下氏は全てを是々非々で判断してくれるだろう。政策ごとに与野党が同調したり反発したりしてくれるのであれば、国民としては随分物事が分かり易くなる。(逆に、現在の様に、野党が「何事にも常に反対する」だけのものになってしまえば、政策の遂行は至るところで停滞せざるを得ず、国民は救われない。)

ここ十数年間の民主党政権の政治を振り返って見ると、2009年の政権交代の意味がよく見えてくるし、「次の政権交代はこういう形ではいけない」という教訓も得られる。

自民党の長期政権下で日本の政治体制の老朽化が進み、明らかに変化を求めていた国民は民主党に飛びついた。しかし、民主党、社民党、国民新党の連立政権は、「多くの異なった思想信条を持つ人が政権を取る為だけに集まった」という色彩が強く、その政権運営は当初から混乱した。「情報公開」を進め、自民党時代には聖域だった「奥の院」に切り込み、「第一次事業仕分け」を行ったところまでは大変良かったのだが、具体的な政策では経験不足から来る未熟さを露呈し、特に外交面では大きな失点があった。

それ以上の最大の問題は、そもそも政権をとった時に掲げたマニフェストが、「事業仕分けさえすれば膨大な無駄があぶりだされて財源が確保される」という誤認に基づく「大盤振る舞いのバラマキの約束」だった事だ。この誤認はすぐに明らかになったのだから、本来ならこの事を率直に認め、国民に陳謝した上でバラマキ政策を大幅に修正しなければならなかった。そうしなければ国家財政が破綻するのだから、そうするのが当然だった。しかし、そこに未曾有の大災害が襲った。

今の時点で国民が何よりも求めているのは、「復興」と「財政危機の回避」をはじめとする緊急性の強い政策の速やかな実行である。「解散総選挙やそれに付随する様々な政争は後回しにして欲しい」と、多くの人が思っているに違いない。

小沢一郎氏などは「自動的に民主党の大幅議席減につながる現時点での解散などもっての他」という考えだろうし、「選挙に不利な増税などに邁進する野田首相は狂気の沙汰」とも思っているだろう。しかし、民主党という政党の利益や個々の議員の思惑には、国民は何の興味も持っていない。「既に破綻しているマニフェスト」を死守することに声援を送る国民は少ないだろう。

事ここに至れば、巷で噂されている様な「復興政策と財政再建案を決めた後での解散総選挙(話し合い解散)」が一番理にかなっている様に思う。自民党が本当に国の為を思うなら、その為の「密約」があろうとなかろうと、元々自分達の考えに近い野田首相の現在の政策を支持しないのは筋が通らないし、野田首相が本当に国のためを思うのなら、自民党の協力を確実にする為に「密約」でも何でもすればよい。

如何なる場合でも、今度の衆院選は見通しの効かない大混戦になるだろう。選挙にかけては百戦錬磨の小沢氏といえども、なかなか良策が思いつかないだろう。「縮小する民主党」と「既に小型化している自民党」が、引き続き二本の柱として残るだろうが、恐らく「二大政党対峙」の姿とは程遠い姿になるだろう。

第三極を形成する事になるだろう「維新の会」や「みんなの党」、「石原新党」や、場合によれば「小沢新党?」等は、お互いに無理に提携せずとも、政策ごとに自らの立場を明確にして是々非々を貫けばよいと思う。第三極の核は恐らくは橋下氏になるだろうから、彼がこのような形を志向する事が最も重要だ。

しかし、現実問題としては、衆院で絶対多数を持たない政権の運営はきわめて難しいから、どこが第一党になっても色々な形での連立を模索する事は間違いない。そして、一番可能性が高いのは、選挙前の協力関係を引き継ぐ形での「民主」と「自民」の大連立だろう。小沢氏は誰からも警戒されるだろうし、橋下氏は自らの将来の為にも安易に連立に乗るべきではないからだ。渡邊氏には求心力がなく、石原氏はもはや過去の人に過ぎない。

人の思いは様々だろうから、私個人の思いなどはまあどうでも良い事だが、私としては、大連立政権がしばらくは日本を安定軌道に乗せ、その間に橋本氏が健全な野党として力を蓄え、更に多くの同志を募って、いつの日か「新しいリーダー」として日本に真の改革をもたらす事を期待したい。

その為にも、橋下氏は、次回の選挙では不用意なマニフェスト等は掲げない方が良い。先の民主党の失敗を他山の石として、「目標とする政治のあり方(哲学思想)」は堂々と述べても、人気取りの為の安易な約束は避けるべきだ。