虚無の山賊と第三の案

ある貧しい村が隣の豊かな村を羨み、徒党を組んで襲撃した。何回かはうまくいったが、何度も襲撃される隣村は、やがてだれも住まなくなり、二つの村とも消滅した。だが、いま、政治で同じことが行われている。高税で財政を再建しても、経済が破綻すれば共倒れ。改革で行政を縮減しても、公務が停滞すれば行詰り。目に見える敵を勇ましく攻撃しまくるのは、即席で世間の人気を得ようとする山賊政治家の常套手段。しかし、それは、右から奪って左に与えているだけ。略奪した獲物を手柄と誇るが、じつは自分ではなにも生み出してはいない。だから、いずれ結局、左から右へ戻さざるをえなくなる。そのツケは、余計な操作をしただけ、ムダに大きい。

かつて消費者の味方を標榜し、規模を楯にメーカーを締め上げ、全国に君臨した一大スーパーチェーンがあった。納品するメーカーは、その山賊的な力に屈し、スーパーの身勝手な安い値付けに甘んじるしかなかった。だが、その後、多くのメーカーが、苦労してより良い商品を開発し、他にまともな販路を確保して、次々と取引から去って行き、残ったのは弱小メーカーのクズ商品ばかり。このため、消費者もやがてこの大手スーパーを見捨て、結局、他のチェーンに解体吸収された。

近年もまた、御客様第一主義とやらの経営者個人の理念を従業員たちに無理やり共有させ、過労や自殺に追い込んで平然としている山賊経営者たちがいる。一将功なりて万骨枯るの言葉とおり、従業員を搾取して、客にサービスを提供し、人気を横取りしているだけ。だが、もっとも身近にいて、ともに働いている仲間の従業員たちの個々の気持さえまともに掌握できない、する気もない経営者が、さらに多様な事情を抱えた御客様のことなど理解できるわけがない。優秀な人材、優良な顧客ほど、彼の下を去り、カスしか残らず、すでに世間も見放している。

他方、二つのパン屋さんの話。ブレッドさんは神経が繊細。朝が弱く、五十個のパンを焼くのがせいぜい。コッペさんは体力自慢。入念に百個練ってガンガン焼くが、焦がしてしまって五十個しか売りものにならない。隣あわせで、たがいにライヴァル心を燃やしていたが、ある日、いつものようにブレッドさんが遅く起きてくると、隣のコッペさんが店先で胸を押さえて苦しんでいる。あわてて介抱し、コッペさんの入念に練った生地をブレッドさんが繊細に焼き上げ、百個ができた。以後、二人は、いままでどおりの売り上げを維持しながら、ブレッドさんはゆっくりと遅くまで寝ていることができ、コッペさんも体に無理をせずに働き続けることができるようになった。

つい先日、『7つの習慣』で世界的に著名なコヴィ博士の新刊『第3の案』の翻訳が出た。私もサンプルを戴いて読んだが、まさに、勝ちか負けかの二者択一ではない、この種のウィン・ウィンへの道が論じられている。経済学者や経営学者からは、そんなのは昔から囚人のディレンマ、パレート最適化、シナジー効果などとして、よく知られていることだ、と鼻で笑う声が聞こえてきそうだ。しかし、知っていて、なぜできないのか?

コヴィ博士の独創的なのは、このディレンマを乗り越える難しさを人間のアイデンティティの危機として捕らえたところ。人は、自分のアイデンティティに固執し、暴力だの、罵倒だの、法律だの、利益だの、ありとあらゆる強権を発動し、他者を支配することで、つまり、相手を沈黙させ、表面的な行動を服従させることで、うまく納得せしめえた、と勘違いする。だが、そんなことをしたところで、相手もまた、よけいに自分のアイデンティティに固執し、内心の反発を強めただけで、そんなところからはけっして本当の相乗的なシナジー効果など生まれえない。機会を見て、いずれ逆に復讐してやろう、と憎しみを募らせるだけ。

むしろ第三の案によって真の利益創造を図る政治や経営で重要なのは、自分とは絶対的に異なる生身の他者の存在を丸ごと容認し、その存在こそを最高の好機として捕らえ直す、根本的な発想の転換だ。無理に理解しあう必要などない。百万代言を並べ立て、徹夜至暁に論じ合ったところで、他人は他人。かえって要らぬことを言って、たがいの不信を深めるだけ。だいいち、相手がなにをどう考えていようと、結果としてうまくいきさえすればいいではないか。たとえば、動けぬ花は蜜を作り、空飛ぶ蜂が花粉を運ぶが、べつにあれは、双方が話し合って始めたことでもあるまい。

だが、この第三の案でもっとも問題となるのは、もともとまったくアイデンティティに欠けている、先述のような山賊的な人物や組織。彼らは何者でもなく、ただ他者から奪うことだけが、自分の虚無を打ち消す方法になってしまっている。彼らは、もとより、よりよい結果など求めてはいない。ただ他者を屈服させることそのものが、最高の生きがいだ。そのためには、自分が滅びてもかまわないと本気で信じている。実際、相手もろとも地獄に引きずり込んでやる、という自暴自棄のチキンゲームを仕掛けることで利を得た経験が何度もあり、そのせいで、その方法こそ次も必勝と信じてしまっている。

いかにも米国的楽観主義でウィン・ウィンの第三の案を自画自賛するコヴィ博士も、あとがきの方で、じつはこっそりこの種の虚無の山賊たちに対する方策を紹介している。それは、No Deal 、関わらないこと、関わりを断つ努力をすること。横暴な山賊スーパーチェーンに苦しめられたメーカーは、より良い商品を開発することによってこそ、本当の意味でウィン・ウィンになれる真のパートナーと新たに出会うことができた。山賊政治家、山賊経営者、山賊上司、山賊夫や山賊妻の下に、あなたの未来は無い。あなたからさらなる譲歩を引き出すことしか考えていない相手に、交渉や説得、説明など、時間のムダ。みずからを磨き、とっととそこを離れて、あなたが真に生きる場、ともにウィン・ウィンを模索できる真のパートナーを探そう。 

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)