フランス革命についての省察(アーカイブ記事)

オリンピック開会式の王妃マリー・アントワネットの生首をさらす演出が論議を呼んでいる。これはフランス革命を賛美したつもりだろうが、実態はそんなきれいごとではなかった。同時代にイギリスの政治家エドマンド・バークはこれを強く批判した(池田信夫blogの再掲)。

フランス革命についての省察 (光文社古典新訳文庫)

「天賦人権」は迷信である

バークはフランス革命の初期に、この盲目的な暴動は流血の大惨事になり、軍人の独裁に終わるだろうと予言した。実際にナポレオンが皇帝となり、全ヨーロッパを侵略して500万人の犠牲者を出したが、今もこれを「近代社会を切り拓いた偉大な革命」と評価する人がいる。

バークは保守派といわれるが、古典的自由主義の元祖でもある。それはルソーの『社会契約論』やマルクスの『資本論』のように人々を行動に駆り立てる思想ではなく、ほとんどの記述は同時進行の出来事に対する批判である。体系的な理論が展開されているわけでもないので、いま読むとわかりにくく、これが人気のない原因だろう。

バークの思想は、社会を合理主義で設計することは間違いのもとだというコモンローの精神である。これは同時代のヒュームやスミスと同じく、社会は漸進的に進化していくもので、人間が「設計」してもうまく行かないという経験論である。

フランス革命の人権宣言は天賦人権を宣言し、国家主権が国王ではなく国民にあると宣言したが、バークは天から与えられた人権などないという。

国政に関して、各人がどれだけの権限、権威、あるいは発言力を持つべきかとなると、これは「人間の基本的権利」にかかわる事柄ではなく、「文明化された社会人」にかかわる事柄である。ならば、単なる人間と「文明化された社会人」の相違は何か? それは社会的慣習を受け入れたかどうかなのだ。

「国民主権」はフィクションである

このように普遍的な人権を否定し、それぞれの社会で受け継がれた慣習や伝統を大事にするのが、バークの保守主義である。人はどんな権利も生まれながらにもってはいないし、特定の絶対的な権利をもつべき先験的な理由もない。ここで国家の統合の根拠となるのは抽象的な「人権」ではなく、伝統的な慣習で形成されたコモンローである。

中川八洋氏も指摘するように、これが合衆国憲法の基本理念であり、フランス革命の人権宣言と違って、最初の合衆国憲法には「人権」も「平等」も出てこない。合衆国憲法はバークの保守主義にもとづいてデモクラシーを抑制する制度なのだ。

そこでは上院議員は州議会が選出し、大統領も国民が直接選べないで「選挙人」を選ぶ。民主主義が暴走して、フランス革命のような衆愚政治になることを恐れたからである。連邦派と各国の妥協の結果、知事は「統治者」(governor)なのに、連邦政府の元首は会議の「まとめ役」(president)という名称になり、その法的な権限は実際にはほとんどない。

バークはアメリカ独立革命を支持したが、合衆国憲法には「国民主権」という思想がない。国家の究極の決定は非人格的な法の支配によって行なわれるからだ。アーレントは「政治における最大のアメリカ的革新は、共和国において主権を徹底的に廃止したこと」であると述べた。

フランス革命は民主主義によって行なわれたわけでもない。ルイ16世は民主的な立憲君主制を提案したが、民衆はそれを拒否して王党派や聖職者を処刑した。すべての国民が主権者になることは論理的に不可能であり、議会政治はそういうフィクションで成り立っているのだ。