長崎県北部・平戸市に来ています。
平戸は平戸藩・松浦(まつら)家が長年居城としてきた平戸城をもとに開けた城下町です。
平戸城は平戸港を見下ろす小高い丘の上にあります。
海辺にあり、全国で猛暑日が続出する中にあってもこれまで1日しか猛暑日を記録したことがないという平戸ですが、それでも夏は暑い。汗だくだくになりながら丘を登り城を訪ねます。
現在の天守は昭和37年に再建されたものです。
内部は資料館になっていて、平戸城を始めとした平戸の歴史を知ることができる資料館になっています。平戸に最初に城が築かれたのは1599年。当時は日の岳城と呼ばれていました。塔のような一風変わった城。残っていたら国宝級で多くの観光客がこれを観に平戸にやってきたことでしょう。残念ながらこの城はわずか13年で城主が自ら放火して消失してしまいます。
その後は陣屋を居城とした松浦家ですが、100年を経てようやく再建されたのが今の天守のような平戸城です。平和な江戸時代に城の再建が認められたのは東シナ海の警備の必要性があったからといわれています。
松浦家は16世紀後半に頻繁にやってきた明や西洋からの船を積極的に受け入れて貿易に力を入れました。貿易のためにキリスト教を広めることが有利と考え布教を認めたことでこの地は今もキリスト教徒が多くいる場所になっています。
天守の最上階に上がって平戸の街並みを眺めます。トンビが目の前の空を旋回していました。対岸には観光ホテル、右手に再建されたオランダ商館があります。17世紀初めごろにはそのあたりにオランダの交易施設が存在していました。
平戸の港は西洋の古い地図でも「Firando」として紹介され遺されていました。なんとなく面影がありますね。港の先にある円い島は黒子島。
こちらが今の黒子島。地図に書かれたそのままですよね。くろこじまと読みますが、黒子はほくろとも読めます。海上にポツンと存在するほくろのように見えます。
西方、見奏(けんそう)櫓の向こうに見えるのは九州本土。平戸城は平戸瀬戸を挟んだ島側に位置します。船が主な移動手段だった時代、町の中心は本土ではなく良港に恵まれた島側に築かれました。
見奏櫓は二の丸北側に位置する櫓。今は休憩所になっていて大航海時代のオランダの様子を描いた絵画が飾られています。平戸の様子ではないですが、この時代の西洋の様子を知ることができます。
懐柔(かいじゅう)櫓の向こうに平戸大橋が見えます。平戸と本土を結ぶ唯一の橋です。懐柔櫓は今はなんとホテルになっていて宿泊することができます。
こちらに宿泊して一日城主になったつもりになるのもいいかもしれません。
ちなみに私が宿泊した旗松亭さんからも平戸城がきれいに望むことができました。
城内にある亀岡神社は明治期に移転してきました。松浦氏所縁の神社であり、松浦氏が居城にしてきた天守が見守る場所に鎮座しています。
港側のオランダ塀から望む平戸城。港のどこからも平戸城はその姿を拝むことができます。江戸時代にはこの地に君臨する松浦家の権威を象徴する存在となり、今ではなくてはならない平戸のシンボルとなっています。
平戸に来られたら是非一度足を運んでいただき平戸の歴史を学びつつ城の姿を眺めながら港町を歩いて見ていただきたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。