コーヒー一杯、10万円……。やってしまった。
いつかはやるのではないかと、ずっと気をつけながら、扱っていたつもりだったのだが、書斎のテーブルの上に置いた、机の上のコーヒーカップにかつんと手が当たってしまい。思いっきり、メインで仕事に使っているノート型のMacBook Proにコーヒーがぶっかかってしまった。その瞬間に電源が落ち、反応なし。慌てて、タオルで吹いて、ドライヤーを3時間まわしたのだが、返答なし。ロジックボードまで吹っ飛んだのはほぼ間違いない。
緊急を要するので、午後の予定をキャンセルして、すぐに秋葉原の修理専門ショップに持ち込んだ。「どうしようもないですね」とは店員の方のご意見。ロジックがやられているとなると、それだけで6万円かかり、キーボードもやられていて側の交換には4万。「多分諸々洗浄なども含めると、15万円は修理代にはかかりますね」 つまり、新品買う方が安い。マックはかなりカスタマイズされたハードウェアであるため、市場にWindowsに比べ汎用パーツが出回っていることが少なく、修理代が下がりにくいのだそうだ。
もちろん、液晶モニターなど全く問題なく動作しており、どうもハードディスクも安全そうな感じに見えた。何か使い道がないだろうかと食い下がったのだがが、「オークションサイトなどで、ジャンク品として販売するしかないでしょうね」との話。はあ、とため息は続く。多分、売れても二束三文というところだ。
コーヒーを理由にiMacの購入を選択
仕事で必要なので呑気に選んでいる余裕もない。そのため、いろいろ考えたのだが、MacBook Proからテスクトップ型のiMacに移動する決断をすることにせざる得なくなった。もう一度悲劇を繰り返さないためには、部屋での利用はノートではまた繰り返すリスクを感じるようになった。これで「コーヒーをひっくり返しても、キーボードが吹っ飛ぶだけで、もう大丈夫ということで」。こんな理由で買う人ってどれぐらいいるのだろう。世の中が、この月曜日に発表になった新型のMacBook Proの話題に持ち切りで、秋にはiMacの新型が出てくるのがわかっているのに、選択肢はなかった。
それで、たまたま、昨日Timemahineで、バックアップをしていたおかげで、あっさり現状の環境を引き継げた。MacBook Pro 2010 Midを買って、ちょうど3年。初期はまだ使い勝手がわからなかったのが、だんだんと身体になじむようになって、最初はあまりにWindowsとの哲学の違いに、戸惑った物のだんだんと自分の手足へと変わっていった。
20年前のことも思い出させるエモーショナルなアップル製品
ところでMacはやっぱり、エモーショナルな製品だと思った。同じ値段のWin機に比べるとスペックは劣るし、割高だし。だけど、やっぱり人気がある。それは、エモーショナルな部分に訴えているからなんだろうなあということを改めて感じた。
自分の3年使い続けていたMacBook Proとこういう形で別れなければならないのは、本当に自分の身体の延長線上にあった腕をももぎ取られるような強い「喪失感」を体験した。何本このマシンで原稿を書いたのかわからない。これまでいろいろなパソコンを買い続けてきたけど、ここまで、パーソナルな心理まで入り込んでいたハードウェアはなかったなあと思う。
もう20年ほど前になるが、大学時代に初めて購入したMacintoshは「Classic II」だった。最初の発表時のデザインを踏襲したデザインはなんとも愛嬌があった。9インチの狭いモニターに白黒。パソコン通信をちょっとずつ速くなっていたのを使っていた。16万7000円で、当時は学生が買うにはかなり覚悟のいる金額だった。
その後、「Classic II」は新型を買うための資金を作るために手放したのだが、今でも、売るんじゃなかったのではないかと、後悔することがある。もはや使い物にはならないことはわかっているが、それほど、どこかエモーショナルに訴える何かを持っていた。
その後、Windowsに移行した。スティーブ・ジョブズの復帰前でラインナップを広げて混乱が進んでいた時期だ。それが今では、iPhoneをきっかけに今ではMacユーザーに戻ってしまった。10年というのは一区切りというが、見事に時代の流れは変わってしまった。
その鍵は、すでに使い尽くされた言葉であるけど「エモーション(共感)」であることはわかっている。人の心の奥底にまで深く印象を与えられるような何かを生み出すことができるのかという時代にどんどんと変わってきている。だけど、それを工業製品として作ることは本当に難しい。ただ、Macという製品が何か特別なユーザーの心の深いところにまで入り込んでいることを改めて感じさせた事件だった。
しかし、コーヒー一杯が10万円……高い勉強料だった。
ネットをみていると、一週間放置しておくと、復帰したというケースもあるので、今はそれを祈るようにお願いしている状態……。でも、「彼」にきっともう会えないのだろうなと思うとやはりどこか寂しい。私は「彼」のことが、とても好きだったのだろう。
筆者の新しい環境