勝てない自民党
今一つ、争点と盛り上がりに欠ける衆院選がスタートした。
自民党内では、自民党刷新と銘打って、人身御供にされた20名の議員が、党の公認を得られなかったり、重複立候補が認められないことで、苦しい選挙を強いられることになっているが、それは何も、政治資金不記載問題で取り沙汰された議員に限ったことでは無いだろう。
自民党全体への風当たりが強く、過去をほじくり返されている杉田水脈議員のように、今回の衆院選出馬を諦め、来年の参院選に鞍替えする道を選択した議員も多い。表向きは立憲民主党を離党した形になっている蓮舫氏も、野党陣営でありながら、今回の衆院選では勝ちきれないと判断して、来年の参院選を待つ候補もいる。
蓮舫氏の場合、東京都知事選で大した結果も出せず、仮に小選挙区で東京15区に出馬しても、既に人気は凋落の一途だと自覚してるから、出馬を断念したのは間違いない。もう、蓮舫氏のような自民党批判姿勢の野党議員は流行らないのだ。国会議員ではなくなったことでようやく、そのことに気づいたのではないだろうか?遅いけど。
野党の支持率は相変わらずで、これで政権交代を目指すを豪語するのもいかがなものか?と思うが、ご本人たちはきっと、大真面目なんだろう。無理だけど。
さて、今回の衆院選。自民党が議席を減らすのは、致し方ないこととして、どれほど減るかによって、前回の拙稿のように、自民党の方向性が決まると言っていい。
石破総理自身が、議席が減ると予想しているのだが、トップが衆院選前からそんな弱腰だから、特に当落線上にある議員は気が気でないだろう。誰を応援演説に呼ぶかの戦略にしても、真っ先に総理総裁が外されるような政党で、団結力を誇示できるとは思えない。つまり、前述の自民党刷新のイメージ戦略として、石破茂を担ぎ上げたはいいが、当の本人が、もうオワコン状態だと、今更ながら自民党議員は気づいた。
石破茂を改革派の旗頭と思っているのは、地方のオールドメディア視聴者だけであって、実態は、大きく乖離して石破茂を総裁にした自民党に呆れ返る有権者の声が聞こえているかは、大いに疑問だ。オールドメディアの影響を受ける地方有権者、高齢者は、なんだか小難しい言い方で、自民党議員なのに自民党の政策を批判してるように聞こえる石破茂をかっこいいと思ってるんだろう。
実際に石破茂が総裁になったことで、統治能力も、具体的政策にしても、野党との駆け引きにしても、メディアに出るようになったら途端に舌鋒鋭く訳のわからないことを並べるオッサンの姿は鳴りを顰め、支持率低下にビビりまくっている総裁の姿ばかりが目立つ。
総理総裁になることが目的の男を総理総裁にしてしまったが故の悲哀だ。そんな男を選ばざるを得なかった自民党の不幸なのである。
総理総裁になって何をやるかを問われ、「ルールを守る」と、小学生並みの掛け声しかあげられないとすれば、有権者一人一人は自分の企業のトップが小学生並みの頭の持ち主だと気づいた時、その企業の先行きが不安になるのは当たり前だろう。今の自民党議員の多くがそう思っているに違いない。小学生でも、ルールを守ると言ってる連中ほどルールを守らないことを知っている。
確かに自民党の政治資金不記載問題は、法の抜け穴を突いたあり方だったかもしれない。同時に、国会議員はその抜け穴を熟知しているので、国会議員の誰もがその抜け穴を利用したいという欲求に駆られるのも事実だろう。
橋下徹氏 因縁のれいわ大石あきこ氏と直接バトル「不記載」「違う」「言い訳」府知事時代から因縁 名誉毀損裁判も
れいわ新選組の大石あきこが良い例で、他人の不記載は裏金だが、自分の不記載はミスを訂正しただけとなる。このダブルスタンダードが今の野党の全てと言ってもいい。有権者の多くが指摘しているのが、まさにこのダブルスタンダードなのだ。
政治は国民生活を第一とすべきで、その意味では綺麗事の羅列だ。しかし綺麗事と一言で片付けられない。国会は立法府だからだ。立法にあたっては綺麗事で良いのだ。法律論や内閣法制局における予備審査を経る過程は、一般国民には理解が及ばない部分もあるため、表面上は綺麗事を整えるための法整備と捉えても間違ってはいない。しかし、国会には立法府という側面の他、権力に対する魑魅魍魎が蠢く世界が存在する。特に、55年体制が維持されてきた平成の頃まではそれが続いた。
しかし、れいわ新選組の大石あきこみたいな、国会法を無視して投票時にプラカードを掲げてアジテートする活動家然とした国会議員が出てきたり、それを統制できない貧困ビジネスを繰り返す山本太郎のような党代表が出てきたことで、もはや、55年体制の国会ではないことが明白になった。
つまり、自民党による統治が効かなくなってきているのである。
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以後、
・次の自民党
続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。