仮想通貨の始まりは平安時代!? 平氏の経済戦略に見る通貨の力

ビットコインに代表される暗号資産は、①米や布と違ってそれ自体に価値がありませんし、②有価証券ではない(会社や不動産の価値を表していない)から、「仮想」と言うべきでしょう。ビットコインなどは、従来「仮想通貨」と呼ばれていました。

「仮想」であるにもかかわらず「通貨」として認められている不思議な存在です。

そして、①米や布と違ってそれ自体に価値がなく、②有価証券ではないため会社や不動産の価値を表していないという点では、日本円などの「法定通貨」も同じです。

私達は、物心ついた時から、コインやお札を価値がある物と思い込んでいますけれども、よく考えてみれば不思議です。

日本史上最初の「仮想通貨」は和同開珎?実質的には平安時代末期の宋銭でしょう!

①それ自体に価値が無く、②物の価値を表していない「仮想」の存在でありながら「通貨」として定着したモノ、この記事ではこれを「仮想通貨」と呼びましょう。

この定義でいう「仮想通貨」の起源は、和同元年(708年)に発行された和同開珎です。

和同開珎
Wikipediaより

しかし、なかなか流通しませんでした。朝廷は、711年銅銭を蓄えた者には官位を与える旨を規定した「蓄銭叙位令」を定め、銅銭に価値があると知らしめるよう努力したのですが、徐々に銅銭は廃れていきました。

和同開珎が発行されて間もないころには銭1文で米2kgが買えたが、9世紀中ごろには買える米の量は100分の1から200分の1にまで激減してしまったとのことです。ですから、日本初の仮想「通貨」と呼ぶには不十分でしょう。

そもそも、①それ自体に価値が無く②物の価値を表していない「仮想」の存在を、価値がある物だと信じ込ませることは難しいのです。

では、実際に流通した最初の「仮想通貨」は何かというと、平安時代末期に流通し始めた宋銭でした。

日本史教科書の平氏についての記載、本当に納得できました?

中学生・高校生のころ日本史の教科書で平安時代末期を読んでいて、疑問点がありました。

一つ目が、「平氏は、日宋貿易により巨万の富を得た」という点です。

二つ目は、宋から輸入した物として、「銅銭」が挙げられていたことです。現代で言えば、「日本が米国から米ドルを輸入する」というような奇妙な話です。

平清盛像
Mirko Kuzmanovic/iStock

「通貨発行益(シニョリッジ)」こそが平氏の富の源泉だった!

ここからは、私の推測です。

  • 平氏は、宋から輸入した銅銭を通貨として人々に使わせた(まずは、部下への給与として使った)が、その際、宋で用いられている価値とは異なる価値で使わせた。
  • 宋での価値と日本での価値の差分を、平氏がサヤを抜く形で利益を得ていた。

例えば、平氏が米1俵を宋に輸出すると銅銭1枚を入手できたとしましょう。その銅銭を日本で「銅銭1枚には米5俵の価値がある」と言って日本国内で人々に使わせれば、平氏は、米4俵分の利益を得ることができます。

つまり、平氏は、宋から持った銅銭を人々に流通させて「通貨発行益(シニョリッジ)」を得た。これこそが平氏の富の源泉だった、というのが、私の推測です。

中国の当時の状況からは、平氏が「(シニョリッジ)」を得ていたと思える!

この推測を裏付ける状況証拠もあります。

  • 当時の中国では、銅の精錬のために石炭(中国北部で産出していた)を用いていたが、満州系の金王朝との戦いに敗れ中国北部の領土を失ったため、石炭の入手が困難になりました。
  • これにより、南宋では、銅鉱石から銅を精錬するためのコストが著しく上昇し、銅鉱石から銅を精錬するより、銅銭を潰して銅を得る方が割安になってしまいました。
  • そのため、銅銭を潰して銅を得る行為が頻発、南宋の政府は、銅銭を潰して銅を得る行為を厳しく処罰していました。

つまり、南宋王朝は、貨幣を発行することにより「通貨発行益」を得るどころか、「通貨発行損」を重ねていたのです。

12世紀半ばの東アジア
Wikipediaより

平氏は、それを分かったうえで、①自ら銅銭を作って流通させて「通貨発行益」を得るのではなく、②鋳造費用よりも低い価値で流通している南宋の銅銭を日本に持ってきて、市場価値に沿って(あるいは通貨発行益を乗せて)流通させ、「通貨発行益」を得る政策を採ったのでしょう。

平氏が富を得ただけでなく、旧来の権力者を没落させた!

宋銭が流通し始めるまで、朝廷の財政が絹を基準として賦課・支出を行う仕組みとなっていたように、絹が通貨として機能していました。そのため、絹は、衣服の素材としての価値に加え、通貨としての価値が上乗せされて評価されていた、いわば、「のれん」が乗っていた訳です。

しかし、宋銭が流通しはじめることで、絹の持っていた通貨としての価値が失われ、絹の価値が下落しはじめました。

宋銭を流通させようとする平氏と、反対する後白河法皇の確執が深まった1179年、法皇の側に立っていた松殿基房や九条兼実が「宋銭は朝廷で発行した通貨ではなく、私鋳銭(贋金)と同じである」として、宋銭の流通を禁ずるように主張したという記録があります。

旧来の権力者たちがこれほど攻撃的になったことも、平氏の通貨政策により、従来の権力者たちが大量に所有していた絹の価値を下落させることで従来の権力者の富を奪っていった影響がいかに大きかったかの現れと言えそうです。

「奢れるもの久からず」とか、平清盛は東大寺を焼き討ちにした祟りで熱病になったとか、平氏は酷い言われようをしてきましたが、平氏の通貨政策は、800年以上前とは思えないほど巧妙だったと思うのです。

ひるがえって、21世紀の仮想通貨に関する状況を見ると、従来の権力者たちが、自国領内でビットコインなどが流通するのを見過ごすだろうか、通貨発行権をそう簡単に手放すだろうか、という懸念はやはり残るのです。