横須賀を歩いたら脳内に音楽が流れ続けた

記念館艦・三笠を眺めつつ横須賀市街へ

前回は横須賀市の沖に浮かぶ島、猿島をご紹介しました。


猿島からの帰りの船は三笠公園の隣の港に到着します。

三笠公園では記念艦三笠がお出迎え。1904年に勃発した日露戦争では連合艦旗艦として日本海海戦を戦った戦艦です。関東大震災に被災して沈没、引き揚げられたのちに除籍されて記念艦として横須賀港に係留されています。

日露戦争の際、戦艦三笠に座乗したのが東郷平八郎でした。日本海海戦での彼の功績をたたえ三笠の前には彼の銅像が建てられています。

さて、横須賀を訪ねるとき私の脳内には横須賀にまつわるいくつかの音楽が自然に流れてきます。このとき脳内に流れていた曲はこれでした。

ダウンタウンブギウギバンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。

セリフ調の歌詞と「あんたあの娘の何なのさ」の決め台詞が話題となり1975年の大ヒット曲となりました。ボーカルの宇崎竜童さんは横須賀出身だと信じて疑わなかったんですが、京都出身東京育ちだったのですね。

「港のヨーコヨーコハマヨコスカぁぁ」と口ずさみながら横須賀の町を中央駅方面に向かって歩きます。

この界隈の道路には不動産屋が多く並びますが、どれも英語表記。米軍で働く人たち向けの看板であることがわかります。この町の特殊性が窺えます。ちなみにここを走る車のナンバーはひらがなの部分が「Y」になっているものを多く見かけます。Yナンバーの多くは米軍及びその家族や退役軍人が所有している車両で、ここからも米軍関係者がこの町に多く住んでいることがわかります。

立ち飲み屋まで英語表記!!

横須賀発祥のアレを生んだ商店街

三笠公園から歩いて13分ほどで本町通りにやってきました。本町通りが正式名称ですが、この通りには別の名前があります。

「ドブ板通り」。この名前の方が一般に知れ渡っています。第二次大戦前に道路の通行の邪魔にならないようにこの通りの中央にあったどぶ川に海軍工廠からもらった鉄板で蓋をしたことからこの名がついたと言われています。現在はすべて撤去されておりその名残はありません。

戦後しばらくは米海軍向けの飲食店やバーなどが集まり夜の町としての性格を色濃くだしていましたが、現在は日本人の観光客も多く集まる日米の文化が融合した独特な商店街となっています。

ドブ板通りには「スカジャン」を売る店が多数あります。

このドブ板通りを発祥とするのが横須賀ジャンパー、通称「スカジャン」です。戦後日本に駐留する米軍兵が帰国する際に日本らしいお土産を欲しがり、ジャケットに虎や龍、富士山などのオリエンタルな図柄を背中に刺繍してもらったことが始まりといわれています。

その後その人気に目をつけた業者がこれを商品化。1950年代には横須賀だけではなく、日本、果ては海外の米軍基地にまで正式納入されるに至り1970年代には国内一般向けにも「スカジャン」の名で販売され人気となりました。

あちらにもこちらにもスカジャンの店は並びます。

さて、スカジャンには虎や龍のデザインが多いと書きました。先ほど紹介したドブ板通りのサイン表示にも虎と龍。となれば脳内に流れる音楽はこれしかありません。

クレイジーケンバンド「タイガー&ドラゴン」

さきほどいた三笠公園を舞台にしており歌詞中にも「スカジャン」が登場します。2002年に発表された新しい横須賀のソウルソング。「俺の話を聞け!」という独特のサビが印象的で頭から離れません。

「俺の!俺の!俺の話をきけぇ~!」と口ずさみながら通りを歩いていましたがあんまり歌うと不審者扱いされるのでお店に入ります。ドブ板通りは米軍兵が好んで食べたネイビーバーガーのお店も多く並んでいます。こちらもその一つ、アルフレッドさん。

ネイビーバーガーは米海軍の勤務中に提供されたシンプルなハンバーガーで赤味の多い100%牛肉をシンプルに調理しただけものです。それでもアメリカンサイズなのでボリュームは結構あります。当初は米軍内でのみ存在していたものですが、そのレシピが横須賀市に公開されて地域の名物として広まっていきました。

同じく米軍基地を持つ佐世保でもハンバーガーが広まりましたがあちらは目玉焼きやベーコンなどを挟む独自の進化をしていきました。地域によってハンバーガーの進化も変わる。面白いものです。

ヴェルニー公園を経て横須賀駅へ

ドブ板通りを抜けると汐入駅付近を通過して海辺の公園に出ます。JR横須賀駅にも近いヴェルニー公園は米軍横須賀基地の間近にあるため艦船を見ながら海辺を歩くことができる場所です。

公園の名のもとになったのはフランス人技師、レオンス・ヴェルニーで、彼の記念館がJR横須賀駅にあります。幕末、近代化する日本の意を受けてフランスから派遣されて横須賀製鉄所や海軍ドックなどを作り横須賀、ひいては日本の近代化の礎を作りました。

かつて活躍した戦艦・陸奥(むつ)の主砲も展示され軍事的な色彩も残す公園ですが、この季節には秋バラが公園を彩り華やかな姿を見せてくれます。

色とりどりのバラの花が公園に咲き乱れます。バラは品種がかなり多くて名前が覚えられないのがつらいところです。。。

JR横須賀駅に到着しました。ヴェルニー公園でバラを撮りながら脳内に流れていた名曲はコチラ

山口百恵「横須賀ストーリー」

1976年発表で地元・横須賀市出身の山口百恵さんが歌った最大のヒット曲です。若い人でも「これっきり これっきり もう これっきりですか」という歌詞は聞いたことありますよね?

思えば脳内に流れた横須賀所縁の3曲。どれもキャッチーな歌詞が印象的なものばかりです。ちなみにこの曲の作詞は阿木燿子で作曲は宇崎竜童。「港のヨーコ」と同じ横須賀繋がりの人たちです。

記念館・三笠を正面から。

江戸期から軍の拠点として栄え、戦後も米軍基地や海上自衛隊が置かれるなどして独特の発展を遂げた町、横須賀。軍と隣り合わせではありますが、他の町では味わえない風景を見ることができます。横須賀線や京急で首都圏からのアクセスもダイレクトにできますのでぜひそんな横須賀の町を歩きに来てみてください。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。