地方創生
石破内閣が誕生してからは政府の政策課題の一つに「地方創生」があげられるために、私もアゴラへの寄稿をする際に「地方創生」というテーマをいくつか取り上げてきた(金子、2024a ; 2024b ; 2024c ; 金子・濱田、2024)。
いずれの論文も40年にわたるコミュニティ研究から導き出した「コミュニティのDLR理論」を下敷きに使って、日本の地方を活性化して、その積み上げで日本全体を元気にできればという願いからである。
コミュニティのDLRのモデル
図1は、これまでにもたびたび紹介してきた私自身の「地方創生モデル」であり、コミュニティの方向性としてディレクション(D)と住民の力とリーダーシップのレベル(L)を接合して、資源(R)としての社会資源を新しく加えた理論化の試みといえる。
方向性(D)について
このうち(D)は、どのような「まちづくり」をめざすかに関連していて、抽象的には「快適なまちづくり」や「共生社会」でも構わない。この意味で、地方創生は「まちづくり」の方向性をはっきりさせることを優先する。
歴史的には、120年前の柳田國男による分類である生産町、交易町、消費町のどれに該当してもいい(柳田、1906=1991)。柳田が使った当時の事例でも、現在と未来への関心から再度選べば、現代日本の地方創生実践のための素材となる。
地方創生の事業化と長期的継続化
一般的に言えば、地方創生の大原則は、自らが発掘した事例分析とともに他者による事例研究を合わせて、そこからの独自の路線を切り拓くことに尽きる。
過去10年間の経験からは、地方創生の事業化と長期的継続化の重要性が学べる。なぜなら、単年度で仕掛けた事業やイベントが成功しても、翌年度何も行わないのなら、それは地方創生にはなりえないからである。
その意味で、単発的なイベントは地方創生事業には不向きであり、事業として長期化する戦略がなければ、「まち、ひと、しごと」の融合にも役に立たない。
主体(L)としての地域住民の力
次に、地域での主体(L)としての地域住民の力は、①リーダーシップをもつ小集団の存在、②異なる世代の協力、③新しい来住者との交流などによって高められる。
異なる世代間の協力は、地方創生事業を長期化させるためにも重要な意味を持つ。異なる世代は地元の若者や中年や高齢者だけではなく、外部の人でも地域移住者でも構わない。なぜなら、地域移動の経験者は比較の視点を持ちやすいために、時として新しい観点がそこで生まれるからである。
地域移動の経験者
このような地域移動の経験者はいくつかの特性を持っている。その多くが、
- 一度は大都市生活の経験がある。
- 長期的なビジョンをもち、地域住民に具体策を示せる。
- すべての人々がビジョンの賛同者にならないことも認識している。
- 人と人を結びつけるネットワークづくりの才能がある。
- 地域を情報発信源にする意欲をもつ。
- 自営業や定年後という立場で、比較的自由に時間がとれる。
地域移住者は、このような特性を持ちやすく、コミュニケーション力に恵まれる人もいるため、地方創生の「まちづくり」に貢献する場合も多い。
移動者層が地元で示す違和感がきっかけとして機能する
また移住者が地元で示す違和感が、元来の地域住民(local people)がもつ力を刺激することは確かである。
一般に地元の人も移住者もともに人間文化資本(human cultural capital)を持っているから、それぞれに固有の学力、能力、資力、資格、経歴、名声、家格などが総合的力を構築する素材になる。これらが合わさって(L)としての住民の意欲・力量となる。
リーダーシップは実行力と統率力の二本立て
もう一つのレベル(L)には、地域でのリーダーシップがあげられる。
住民の意欲・力量と不可分なリーダーシップをここで加えるのは、何らかの事業や業務をスムーズに行う際には、「実行力」(P、パフォーマンス)に富んだ個人もしくは小集団が必ず必要になるからである。同時にその事業や業務は単年度で終了しては地方創生につながらないから、「統率力」(M、メインテナンス)に優れた個人もしくは小集団の活動もまた求められる。
ただしこれまでのところ、地方創生でも一人のリーダーが実行力と統率力双方に優れていることは稀なので、リーダーシップは集団指導体制による方がうまくいきやすい。
リーダーシップのPM理論の応用
2013年から始まった地方創生政策は、旧来の国土設計思想である新全総や列島改造論などにみる平準化志向とは異質な特徴をもっていて、むしろ格差を是とする競争原理に裏打ちされた政策である。そのためにも、地方創生に関わるリーダーシップは、「実行力」(P、パフォーマンス)と「統率力」(M、メインテナンス)の二本立てになる(三隅、1984)。
資源(R、リソース)
社会学では、確実に社会的な価値がある目標を達成する手段になるものはすべて資源(R、リソース)とみなすから、天然資源だけではなく、地理的資源、産業的資源、歴史的資源、人的資源などとしてもよく使われる。したがって、地方創生にも産業分野である農業資源が用いられるのは当然だが、その社会資源はもちろん農業だけには限定されない。
むしろ地場産業の一環として農業を正しく位置づけ、地理的特性や産業的利点を活かした各種製造業(織物、陶磁器、家具、伝統工芸、特産品など)と観光資源(歴史的建造物、自然景観、食文化など)と組み合わせる方向性(D)が望ましい。
ゴジラがシンボル
今回は、その方向(D)のシンボルに生誕70周年になるゴジラを使った福岡県筑前町での試みを紹介したい。しかも、稲わらによる「わらゴジラ」であり、地産地消の実践になった。
いうまでもなくゴジラは1954年に公開された国産の「大怪獣」である。監督は本多猪四郎、特撮技術監督が円谷英二、脚本が村田武雄、そしてゴジラ登場シーンで繰り返し流されて、当時の子どもでも覚えたゴジラ映画音楽は伊福部昭が担当した。それは単なる怪獣モノではなく、当初は同じ時期に「第五福竜丸事件」に触発された反水爆を根底に持つ社会派作品としても位置付けられてきた。
ゴジラ映画の特徴
1. 1954年3月1日、マグロはえ縄漁のさなかにアメリカが水爆実験をビキニ環礁で実施した。被災した「第五福竜丸」はアメリカが設定した危険水域の外にいたが、爆発の威力が想定以上だったために、爆発で飛散したサンゴ礁の破片など大量の死の灰(放射性降下物)を浴びてしまった。そのため、帰国後に乗組員の多くが急性放射線症と診断され、そのうちの一人である無線長が半年後に死亡した。その他の乗組員も様々な症状を訴えるようになり、この事件は日本では反核運動が高まる契機となった。
2. 現代では全滅したと思われていた古代恐竜が、その当時行われたビキニ環礁での水爆実験の放射能を大量に浴びてゴジラに変身したというストーリーにより、映画「ゴジラ」は単なる娯楽作品ではなく、「水爆大怪獣映画」とされ、日本社会に大きな反響をもたらした。
ゴジラは「核の恐怖の象徴」
3. 映画「ゴジラ」では、ゴジラは「人間が生み出した核の恐怖の象徴」として位置づけられ、日本に上陸したゴジラは、繰り返し東京を始めとした日本の大都市を破壊する。そのシーンは人間が生み出した怪獣=核が人間の社会と文化の破壊を象徴するが、最終的には自衛隊の最新鋭の火器により葬られるか、海底深く隠れてしまうという終わり方が多かった。
4. 中期のゴジラ映画になると、キングギドラに象徴される宇宙大怪獣の地球来襲をゴジラが単独で迎え打ち、ゴジラが勝つか、もしくは引き分けてしまうという筋書きに変更された。
5. 初期の国産ゴジラ映画を何回か繰り返し見ていた私も、子ども心に「核は危ない≒怖い≒いけない≒禁止」というメッセージが刷り込まれてしまったように思われる。
6. 体長50mのゴジラが街を破壊するシーンでは数多くの火災、ビルや自動車などの瓦礫の山、鉄道・送電線・港湾・道路などの社会的インフラの崩壊と炎上が常にあり、これらが太平洋戦後10年間の食糧難や就職難などの日常性がもつ「出口塞がり」を一時的にせよ忘れさせた。
7. 自衛隊が繰り出す最新鋭の科学的武器が水爆汚染ゴジラには威力を発揮できなかった場合も多く、そのことにより高度文明の限界が伝わってきた。
合併20周年記念のゴジラ
さて、今回ゴジラが出たのは福岡県筑前町安の里公園ふれあいファームである。所用で11月中旬に福岡と佐賀に出かけていて、たまたま新聞でそれを知り、現地に出かけてみた。そこでのゴジラは、2005年に夜須町と三輪町が対等合併してできた筑前町20周年記念の作品であり、写真3葉のように、私の印象では第1回のゴジラをモデルにしたような姿であった。
その筑前町は福岡県のほぼ中央部に位置して、肥沃な田園地帯が広がり、農業を主力産業とする。米、麦、大豆、野菜、果物などの農産物の他に養鶏業も盛んで、自給率は150%を超える3万人ほどの農村である。
「巨大わらかがし」としての「わら細工」のゴジラ
私が注目したのは、ゴジラの製作が「わら細工」使用だったからである。
農業地帯なので、コメの収穫後には稲わらがたくさん出るが、これは文字通り地元資源である。それを徹底活用していくつもの工程を経由しながら、最終的に高さ10mで体重5.7トン、そして口先から尾の先端までが11.7mの巨大ゴジラを作り上げた住民の熱意とリーダーシップ(L)が伝わってきた。
その狙い(D)は、生誕70周年を迎えたゴジラの製作を、筑前町合併20周年記念行事の一環に組みこむことにあった。
10年の歴史を持つ「巨大わらかがし」製作
しかし、それは一朝一夕に完成した作品ではない。合併して成立した筑前町10周年記念行事として始まった「巨大わらかがし」としての毎年の作品作りが先行していて、イノシシ、零戦、ティラノサウルス、大仏など9作品の経験がこれまでにあった。そして今回その延長線上に、20周年記念として「ゴジラ」作品が誕生したのである。
加えて、収穫後の稲わらは秋の資源として「豊穣の象徴」でもある。この資源をメインにして、「筑前若者(わっかもん)会」、町民の有志、ボランティアなど300人が力を合わせて、1カ月半の作業により「わらゴジラ」が完成したのである。
結果として、例年の2.5倍のわらを使い、過去最大の「巨大わらかがし」が誕生し、ギネス世界記録にも「わらで作った最も大きいフィクションのキャラクター像」として認定された。
作業の工程
製作にはいくつもの工程があり、まとめると、①稲刈り後のわら取り、②ゴジラの設計図書き、③土台作り、④鉄鋼に木材や竹を使った骨組みづくり、⑤竹張り、⑥部分製作、⑦「とば編み」といわれる編み込んだわらで肉付けして、手足や体全体の製作、⑧顔製作、⑨全身へのわら貼りなどに分けられた。
2月下旬には解体
9月中旬から作業に入り、11月初めに完成して、安の里公園ふれあいファームに置かれた「わらゴジラ」は、2025年2月下旬には解体される予定だという。
何しろ太陽光に加えて、雨風雪などに24時間見舞われるため、稲わらが劣化するのは避けられないい。これまでの9作の「巨大わらかがし」も同じ運命をたどったようである。
電線の鉄塔とゴジラ
ゴジラ映画のファンならば、映画の何シーンかでは、ゴジラが日本各地に上陸したあと、電線の鉄塔をなぎ倒して前進する姿をご記憶であろう。「写真3」はまさしくそのなぎ倒す直前にあり、この配置に感動したのは私だけではなさそうであった。
安の里公園ふれあいファームに滞在したのはせいぜい30分程度であったが、カメラ持参の同好の士とおぼしき人たちもまた、このゴジラと電線の鉄塔の配置の見事さに感嘆の声を上げていた。
コミュニティのDLR理論からのまとめ
今回製作された「わらゴジラ」は、D(方向性)の観点から言えば、農業・農村に特化した筑前町における五穀豊穣・収穫感謝祭の象徴である。そのうえで、生誕70周年で世界的に周知されているゴジラを収穫後の稲わらによって製作し、これを合併20周年記念のモニュメントにしたところもまた、石破内閣が重視する地方創生としての「まちづくり」の方向性が鮮明に認められる。
次にL(住民の力・熱意・リーダーシップ)に関しては、リーダーシップの実行力(P)と統率力(M)は、地元の地位おこし集団である10名ほどの「筑前若者会」のメンバーにあり、このグループを取り巻く形で町民有志やボランティアが参加したとまとめられる。
三つ目のR(資源)には、地元産の稲の収穫直後に大量に出る稲わらの活用があげられる。他にも土台作りや骨組みで使用された木材も竹などもおそらくは地元産なのであろう。
約4か月で撤去するのは惜しい
「わらゴジラ」の写真を撮りながら、これまでの「巨大わらかがし」が数か月で撤去されたことを踏まえて、せっかくギネス世界記録にも認定されたのだから、どこかで保存していただき、数年間でも公開していただければと願うものである。
筑前町が公表している『第2次筑前町食料・農業・農村基本計画2024~2033(概要版)』でも、「みなみの里の来場者数(年間)」の現状が45.7万人を10年後には50.0万人へ、「ど~んとかがし祭の参加団体数(年間)」の現状32団体を40団体までに増やすという目標が掲げてある。
このギネス認定の「わらゴジラ」は、そのような10年後を目指した「関係人口」増加にも貢献するのではないだろうか。知名度が世界的なゴジラのオリジナルの作品を、筑前町における地方創生という大きな目標にも役立ててほしい。
【参照文献】
- 金子勇,2011,『コミュニティの創造的探求』新曜社.
- 金子勇,2016,『「地方創生と消滅」の社会学』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2018,『社会学の問題解決力』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2024a,「『地方創生』の積み上げで時代を動かそう」アゴラ言論プラットフォーム2024年10月20日.
- 金子勇,2024b,「地方創生」における高齢者の役割」(上)アゴラ言論プラットフォーム2024年10月29日.
- 金子勇,2024c,「地方創生」における高齢者の役割」(下)アゴラ言論プラットフォーム2024年11月3日.
- 金子勇・濱田康行,2024,「『地方創生』10年後の課題と方法」アゴラ言論プラットフォーム2024年9月20日.
- 三隅二不二,1984,『リーダーシップ行動の科学』有斐閣.
- 柳田國男,1906=1991,「時代と農政」『柳田國男全集 29』筑摩書房:7-227.