理不尽な業務の多忙さから逃れるように光の道を拝みに行った福岡・福津の神社ドライブ

7月中旬。福岡にいた私は3連休にもかかわらず業務に追われていました。

7月19日からの3連休。私が勤務する会社は7月が決算月なので決算書と予算書の作成が必要になります。支店勤務の私は本来なら福岡の支店のものだけつくればいいのですが、上部組織の九州の本部の上司がメンタルで休んだため本部の決算、予算書も作ることになり、おまけに本部の上役が決算、予算を確認するためにやたら細かい資料を要求するものだから、もう大変な状態でした。

19日(土)は日中フル出勤、20日(日)は早朝から業務を始めましたがいい加減限界。自宅にもってきていた会社のパソコンを閉じて家を飛び出しました。

1時間ほど車を飛ばしてやってきたのは、福岡市の北にある福津市、宮地嶽神社。全国にある宮地嶽神社の総本宮です。参道は小ぢんまりとしているのですが参拝客は後を絶たず、地元の方の篤い信仰が窺えます。

本宮は階段の上にあるので、暑い最中でしたが頑張って登っていきます。階段を登りきったところで登りきった人たちが振返って今来た道を写真に収めています。どんな景色が見られるかというと、

こんな景色!鳥居の向こうにまっすぐ一本の道が海まで突き抜けています。

これは「光の道」と呼ばれる宮地嶽神社の参道。宮地嶽神社の一の鳥居は道の先の宮地浜にあります。朝鮮半島に渡ろうとする神功天皇が宮地嶽に祭壇を祀ったのが神社の始まりと言われていますが、この道は天皇が無難に朝鮮に渡ることを願って作られたのかもしれません。この道が「光の道」と言われているのは、

2月下旬と10月下旬、このように道の先に沈もうとする夕日を見ることができるから。JALがCMで取り上げたことで人気に火がつき、今は予約しないとこの景色は拝むことができないそうです。

さて、せっかく来たのでお参りすることにします。7月中旬で七夕の季節ということもあり、楼門は賑やかな飾り付けがされています。

こんな飾り付けでおでむお出迎えしてくれます。

拝殿か掛けられた大きな注連縄に目がいきます。直径2.6m、長さ11m、重さ3tで日本一の大注連縄で毎年約2反の田んぼで育てられた稲で作られているそうで、聞いただけで大変なありがたみを感じます。ここで、この業務の多忙さ、理不尽さから一刻も早く解放されることを真剣に願います。

宮地嶽神社は拝殿の向こうに8つの奥の宮があります。こちらをすべて参れば願いが叶うというので苦しい時の神頼み状態だった私はこちらもお参りすることにします。

奥の宮は社殿は小さく緑に包まれ、ひっそりとして神秘的な感じがします…と言いたいところだったんですが、神社に隣接した土地で夏祭りっぽいイベントが行われていて、ローカル歌手がライブをしていました。参拝を知る最中もLOVE PSYCHEDELICO風の歌声が耳に入ります。

奥の宮を飾る風鈴のトンネル。とっても涼し気なんですが、風が全くなくほとんど音が鳴らなかったのが残念です。その代わり今度はあいみょん風の曲調の歌が聞こえてくるようになりました。

宮地嶽神社の本殿から車を走らせて、宮地浜まで来ました。こちらが先ほどお話しした一の鳥居。ここから陸側が神の世界なので、昔の人たちはこの神社を海から拝んでいたのだろうと想像します。かつては神域だったこの浜も今は福岡の人たちの憩いの場となり、夏のこの時期は海水浴客でにぎわいを見せます。

時は夕方。もう少しすればもっと赤く染まった夕焼けが見えたのかもしれませんが、私は仕事を放置してここにきています。2日も休日出勤したのに資料はそろっていません。夕焼けは見たかったですがこの海を見ることができただけでも気晴らしに放ったので家に戻ることにしました。

8月になり、無事この苦境を脱して新たな環境に異動することができました。今は福岡時代と同じことをしているのに、理不尽な資料の山も要求されずにきちんと理解してくれる上長のもとで働いています。宮地嶽神社にお参りに行き、願を掛けた甲斐があったと感じています。

名古屋に異動して福岡は正直遠くなりました。ただ、いつか、いい環境に異動することができたお礼を兼ねて、あの光の道を一目見るためにまた宮地嶽神社に参拝しに戻りたいと思っています。

この記事の投稿で200週連続投稿となりました。

何事も長続きしない私がここまで続けられたのは偏に読者であるみなさんがあってのことです。ありがとうございます。これからも少しでも旅のヒントになる記事が書けたらと思っています。よろしくお願いいたします。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2025年9月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。