仕事が嫌なときどうするべきか:識学コンサルが語る“逆算の働き方”

玉村 嘉隆

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「仕事が嫌だ」と感じる時、私たちはどう向き合えばよいのでしょうか。また、そもそも人はなぜ働くのか──この根源的な問いに対する答えを求めて、識学名古屋支店長の尾崎幸一朗氏にインタビューを行いました。

自動車部品メーカーからの転身、独立起業、そして現在の組織コンサルタントとしての経験を持つ尾崎氏が語る「働く意義」と「仕事との向き合い方」は、多くの働く人々の心に響くものです。18歳で父親を亡くした経験から形成された人生観も交えながら、仕事を「目的」ではなく「手段」として捉える視点や、組織の中での自己実現について深く掘り下げていきます。

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尾崎 幸一朗(おき こういちろう)氏
株式会社識学 名古屋支店長。大学卒業後、愛知県の自動車部品メーカーに就職。26歳で副業としてコーチング等を始め、27歳で独立。32歳で東京へ進出し、法人2社の経営を経験する。その過程で得た成功体験、特に失敗体験から学んだ組織づくりの知見を活かし、現在は識学理論に基づいたコンサルティングを提供。「企業が元気になれば社会も元気になる」という信念のもと、日本企業の生産性向上に貢献している。

玉村 嘉隆(聞き手) フリーランスSEOコンサルタント
Webマーケティング支援会社にてCTOを担当。現在独立してフリーランスのWebマーケティングコンサルタントとして活動中。

仕事が嫌になる原因は9割が人間関係。楽しさは「手段」としての成長実感から

玉村:仕事が嫌でたまらないときの向き合い方について、まず率直に伺いたいのですが、尾崎さんご自身、仕事が嫌だと感じたことはありますか?

尾崎氏(以下、敬称略):私の場合、仕事内容そのものよりも、職場における人間関係で疲れて「嫌だ」と感じることがほとんどでした。例えば、相手の言っていることがよく分からなかったり、思うように自分のやりたい仕事が進められなかったり、良かれと思ってやったことが誤解されたりする時です。仕事が嫌だと感じる時の十中八九、90%以上が人間関係に疲れた時です。

玉村:逆に、働いていて「好きだ」「楽しい」と思ったのはどんな時ですか?

尾崎:やはり「男の子精神」というか、「これをやってのけたらみんなびっくりするな」というような気持ちがあります。例えば、幼い息子に虫を捕まえて見せびらかしたら驚くだろうな、という感覚にも似ていて、そういう時に楽しさを感じますね。

ただ、私にとって仕事の位置づけは「目的」ではなく、あくまで「手段」です。自分の人生設計を実現するための手段として、今の仕事を通じて着実にステップアップや成長を実感できた時に、「よし、しめしめ」と、働くことが好きだと感じますね。

特に識学社員として働いていると、お客様の業績が大きく変わったり、かけていただいたコスト以上に利益が残ったりして、「ありがとう」と言われる時が嬉しいです。実際に識学サービスを導入するとそれなりの費用がかかりますが、売上は変わっていないのに利益が増えたというケースもあります。そういう時は、本当の意味でいい仕事をしたなと感じ、家に帰って美味しいお酒を飲みたくなります。

「やらされている感」を乗り越えるには?仕事を人生の「手段」と位置づける

玉村:以前、自動車部品メーカーにいらっしゃった頃は楽しかったですか?

尾崎:当時は「やらされている感」がかなりありましたね。もともと学校の先生になるのが目的で、社会経験を積みたくて一旦会社に入社したんです。入社したら自分の目的はそこで一つ達成してしまったような感じで、20代前半の頃は「なんでこんなことをやらないといけないのか」とよく思っていました。

玉村:その経験も踏まえ、今まさに「仕事に行きたくない」と感じている方にアドバイスはありますか?

尾崎:気持ちが滅入っている時に「頑張れ」とは言えませんが、一つ視点を変えるきっかけとしてお伝えしたいことがあります。それは、かつての私のように仕事そのものが「目的」になってしまっていないか、ということです。もしお金を稼ぐことだけが目的だと、人はより楽な方へと流れてしまいます。

しかし、自分の人生における大きな目的を定め、その達成のための「手段」として今の仕事を見ることができれば、日々の目標や積むべきキャリアが明確になるはずです。今感じているしんどさの多くは、目先の作業に追われ、その先にあるはずの道筋が見えなくなっていることが原因なのかもしれません。

単調な作業にも意味を見出す。定量的な目標で成長を可視化する

玉村:世の中にとって必要な仕事だと分かっていても、やりがいを感じにくい方もいると思います。そういう方への心の持ちようについてアドバイスはありますか?

尾崎:単調作業は、毎日同じことの繰り返しでしんどいと思います。昔の西洋では、目的のない石運びを繰り返させる刑があったそうですが、目的のない作業を繰り返すと人はおかしくなってしまいます。

しかし、同じ量の石を運ぶとしても、「ここに橋をかけよう」という目的があったり、その橋を利用する人が喜ぶ未来像をイメージしたりできれば、運んだ分だけゴールが近づくのでモチベーションが上がります。今やっている単調作業の先に、どれだけのお客様に貢献しているのかを考えたり、自分なりの小さな成長を確かめられる目標設定と達成を繰り返したりすることで、日々の達成感や将来的な社会貢献のイメージが作れ、単調な作業も違って見えるかもしれません。

玉村:その際に、従業員一人ひとりが意識することに加え、管理職が「その仕事がどのように役立っているのか」を具体的に示すことも重要ではないでしょうか?

尾崎:そうですね。管理職の視座から見える景色を伝えることで、部下が自分の仕事の目的や意義を理解し、意識が変わる事があるでしょうが、絶対とは言えません。それ以上に部下の成長を実感させるために、具体的かつ定量的な目標を設定することが重要です。

例えば、学生の頃の身体測定で5ミリでも身長が伸びていたら嬉しかったように、どんなに小さな成長でも数値化することで、客観的に成長を確認できます。「あなたはこれだけ良くなっている」と実感させてあげることが大切です。

玉村:処遇についても、公平かつ可視化された基準が重要ですね。

尾崎:はい。人の成長は個人によって異なるので、処遇は公平かつ平等に評価する必要があります。会社として求めている基準を明確に設定し、それを達成していれば昇給額を多く、満たなければ少なく設定するなど、数値化された定量的な評価が重要だと考えています。

「逃げ」か「前進」か。その選択は自分の目的・目標達成に繋がるか

玉村:昔は「石の上にも三年」、最近は「つらかったら逃げてもいい」という風潮がありますが、その見極めはどう思われますか?

尾崎:目的・目標という軸で考えると、「逃げる」ことがその場から離れることで「前進」になるのか「後退」になるのかが重要です。自分の目的・目標達成のために今やっていることが無駄だと思うならば、「石の上にも三年」どころか「三秒」で移動した方がいい。前進のための新しい選択であれば、それは「逃げ」ではないと思います。

ただ、目的が不明確なまま一時的な感情で転職するなら、次の環境でも結局「嫌だ」という感情はついて回るでしょう。どんな環境であれ、「嫌だ」と言う感情の根本原因を消し去る事は出来ません。

また、オーバーワークとハードワークの違いも見極める必要があります。体調を崩すほど自分を追い込むのはオーバーワークです。ただ、自分の限界を知らずに「これがマイペース」と言っているうちは、まだ手の内でやっているに過ぎないので、まずは思い切り振り切ってやってみることも大切です。

玉村:本人が「オーバーワークだ」と思っていても、実はまだやれるというケースの見極めはどうすればいいでしょうか?

尾崎:本人が「無理だ」と認識していたら、やはり無理になってしまいます。そのため、それを客観的に上司が部下の可能性を見て、「まだ時間があるよ」「まだこんなことができるよ」と目標設定してあげることが重要です。

その結果、部下も「あと2日あるから何かできるんじゃないか」と考えるようになります。今まで10日かかっていたものを3日でやれと言われて、「絶対無理だろう」と思っても、できてしまうことがありますよね。

玉村:上司が部下をストレッチさせてあげることが大切なんですね。

尾崎:そうです。我々は「時感覚」と呼んでいますが、部下は上司が「3時間でやれ」と言ったら、3時間以内でやる方法を考えます。上司の立場であれば、「無茶ぶりかな」と思うことでも一旦振ってみると、部下は何とかして達成しようと頭を使います。それでも本当に頭を絞り出して「3時間では無理です」となるのであれば、その時に相談してもらえばいいと思います。

仕事は人生の「手段」。リスクを伴う「ありがとう」にこそ価値がある

玉村:「人はなぜ働くのか」というより根本的な問いについてお伺いします。多くの人は生活のために働いていますが、働くこと自体を「生きる目的」とする人もいます。仕事とは、人間にとってそこまで重要なものなのでしょうか?

尾崎:働くことの意味や意義は、時代や世代によって大きく変わります。私は昭和54年生まれですが、平成生まれの妻にリゲインのCM「24時間戦えますか」を見せたら、「これってブラック企業の歌だよね」と言われました。生きてきた環境が違えば、同じものを見ても全く違うように感じるんですね。

その上で、私自身は働くこと自体が目的ではなく、手段に過ぎないと思っています。自分の人生の終着点をどう描くか。それをイメージできれば、今の仕事がそこに向かうための有効な「手段」になっているかどうかで判断できるはずです。

そして仕事の醍醐味は、他者評価を報酬という形でわかりやすくスコア化できる点にあります。ボランティアでも感謝はされますが、仕事ではお客様もリスクを負っています。そのリスク以上の価値を提供し、結果にコミットして初めて、本当の意味で社会から「ありがとう」という感謝をいただくことができるのです。

玉村:仕事が目的ではなく、レスポンスや他者からのフィードバックが日々返ってくることが楽しい、ということでしょうか。

尾崎:そうだと思います。やはり人は人から感謝されたいのではないでしょうか。自己重要感や自己受容感といったものを満たしていきたいのだと思います。

組織の中で自分を成長させる。経験値を積み、次のステージへ

玉村:AIが普及し、働かなくても生きていける世界が来るかもしれません。そうなった場合、人はどうするでしょうか?

尾崎:たとえ経済的に働く必要がなくなっても、人は何かしらの社会活動を続けると思います。ただ資産を運用し、家で動画を観て過ごすだけの受動的な生活では、きっと満たされないでしょう。やはり、社会との接点を持ち、人と繋がっていく活動を求めるはずです。

さらに、私個人としては「父親としての役割」も大きな動機になります。子供たちに「親父を超えるぞ」と目標にしてもらえるような存在でありたい。何かに熱中して打ち込む姿を、彼らに見せていきたいという思いは強いですね。子供が親を目標にしてくれること、それは親冥利に尽きる事だと考えています。

玉村:組織で働く意義についてですが、向いていないと感じる仕事でもやりがいや意味を見出すことはできるのでしょうか?

尾崎:「向き不向き」をどう捉えるかによりますが、自分の人生の目的達成に向かっていない仕事であれば、自己実現は難しいかもしれません。しかし、不得手なことでも、目的達成のためにどうしても必要なのであれば、その壁は突破するしかありません。

私たちはこれを「ブレークスルー」と呼びますが、困難を乗り越えることで「こんなこともできるんだ」と新しい自分に気づくことがあります。実際、私は元々SEだったのでコミュニケーションは苦手分野でしたが、自分にとって必要だと思って克服してきました。

玉村:職場の中で自分が何の役に立っているのかわからない、ただの歯車だと感じている方はどのように考えるべきでしょうか?

尾崎:仕事を通じて報酬をいただいている以上、その先には必ず喜んでいる方、助かっている方がいるはずです。全く役に立っていないということはないと伝えたいです。せめて、今やっていることが自分の目的や目標に繋がっているという実感を得られるといいでしょう。

私は大学時代に居酒屋でバイトしていましたが、目的は魚をさばけるようになることでした。ですから、たとえ最初の仕事が皿洗いであっても、「この経験が最終的な目的に繋がるんだ」と考えながら取り組むことができました。また、単調作業が好きではないので、勝手に楽しむように工夫していましたね。ゲーム感覚にしてしまうというか。

玉村:出世コースから外れた場合、どこに働く意義を見出すことができるでしょうか?

出世コースのルールが大事だと思います。もし上司の主観で評価が決まり二度と復帰できないようなら、私なら会社を変える選択肢も考えます。しかし逆に、ちゃんと実力主義で、たまたま今回結果が出なかっただけなら、それを受け入れて努力し直すしかない。実力主義であれば、きっかけさえつかめば大きく成長することもできるでしょう。

私も識学に入社して半年くらいの時に評価点で8点を取ったことがありますが、弊社には「視点スライド」という理論があり、過去の評価は過去のものとして切り離されます。そのため、すぐに「次はどうするか」と未来に向けて生産的に考えられるのです。

玉村:組織の中で自分の存在意義を感じるために、私たちは何を意識して仕事をすればいいでしょうか?

尾崎:公平かつ平等に評価される評価制度のもとで、しっかり評価を獲得し続けることです。会社から与えられた評価項目を達成できれば、自分が会社の役に立っていると実感できるでしょう。

独立を考えている人も、まずは組織の中で求められていることに応え、経験値を貯めていった方がいい。RPGと同じです。いきなり丸腰でラスボスに行くより、まずできるところで経験値を貯め、パワフルな仲間とパーティーを組んでクリアした方がいいでしょう。

玉村:確かに、組織の中で職位が上がっていくほど、仕事の抽象度も上がって難易度が高くなります。そうした能力を段階的にレベルアップさせていくイメージですね。

尾崎:そうだと思います。上に行けば行くほど自由度が増し、様々なことにチャレンジできる権限が与えられますが、逆に言えば、発想力がないと何も動けなくなります。

漠然と目的地だけ示されて「あとは任せる」と言われた時に、下積みの経験がないと対応が難しいでしょうね。そうした対応力を培っていくこと自体が、働くことの一つの意味と言えそうです。

玉村:そうですね。

人生の終着点から今を見る。父の死と「墓碑銘」が教えてくれたこと

玉村:定年退職後、「糸の切れた凧」のようになってしまう人もいます。どう生きていくべきでしょうか?

尾崎:定年後に「糸の切れた凧」のようになってしまうのは、仕事が目的になっていると、定年がゴールになってしまうからではないでしょうか。定年は人生のチェックポイントのようなものです。人生100年時代、残された人生をどう彩っていくかを考えるべきです。

忙しい方ほど先のことを考える余裕がありませんが、どこかで立ち止まって、先を見て自分の目的・目標をしっかり定めることが重要だと思います。

玉村:18歳の時にお父様を亡くされた経験が、人生観や仕事観に影響を与えた部分はありますか?

尾崎:私の人生の第2ステージはその日から始まりました。父の葬儀に200人から300人が集まったのを見て、私は悲しいというよりも誇らしかったんです。人生最期の日にどうなるのか。父以上に自分の別れを惜しんでもらえるのか、感謝の言葉をいただけるのか、それが私の人生の価値そのものなのかなと18歳の時に教えて頂きました。

父よりも多くの人に集まってもらえるような生き方ができたら、亡くなった父も誇らしく思ってくれるのではないかと思いながら、今も仕事をしています。

玉村:その夢に向かって、今も着々と進んでいらっしゃるのですね。

尾崎:そうですね。特に現在の組織マネジメントのコンサルティングは、会社の代表だけでなく、その会社全体が変わることで従業員全員に影響を与えることができます。これは、独立していた時に個人向けに行っていた1対1のコーチングとは影響力の大きさが全く違います。1000人の会社が変われば、その家族や知人まで含めて社会全体が変わる。だからこそ、非常に大きなやりがいを感じています。

玉村:死を意識することについて伺います。スティーブ・ジョブズの「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やることは本当にやりたいことか」という有名な言葉があります。この言葉に向き合うと、「やりたくない仕事をしている今の自分は何なんだ」と悩んでしまうこともあるかと思います。死を意識した時、今を生きる意味をどう捉えればよいでしょうか?

尾崎:スティーブ・ジョブズさんの言葉もそうですが、私はガンディーの「今日死ぬと思って生きなさい、でも永遠に生きられると思って学びなさい」という言葉も大切にしています。命がいつなくなるかは分かりませんが、いつまでも続くかもしれないと思って学び続けたいのです。

「やりたくない仕事をしている自分」に悩むかもしれませんが、「やりたくなくても、やるべきこと」はあるはずです。もちろん、やりたくもなく、やるべきでもないことなら、やる必要はありません。重要なのは、その仕事が自分の人生の目的・目標達成に繋がっているかどうか。たとえやりたくなくても、それをやり抜くことで目的を成し遂げられるのであれば、それは手放してはいけないことだと思います。

おそらくスティーブ・ジョブズさん自身も、やりたいことだけをやっていたわけではないでしょう。結果的に大きなことを成し遂げたことで、「やるべきこと」が「やりたいこと」になっていったのではないでしょうか。

玉村:最後に、働くことに悩んでいる方へメッセージをお願いします。

尾崎:自分の人生を、自分が経営している経営者だと置き換えて、「株式会社自分」の経営理念を掲げてみてはどうでしょうか。それが自分自身の人生観となり、価値観や選択基準になるはずです。

これを考えていただく上で、私がよくお話していたのは、「自分の人生最後の日に周りの皆さんが建ててくれる墓碑銘に『○○な男、○○な女 ここに眠る』と書かれるとしたら、この○○に何と書かれたいですか?」ということです。ちなみに私は「希望を与え続けてきた男、ここに眠る」と書かれたい。この仕事を通じて社会や企業、そこにお勤めの皆さんに希望を与え続けられるよう仕事に励んでいこうと思っています。