
b-bee/iStock
やっぱり語彙力は必要だ、って。
いや、そりゃそうだろう。でも、この手の「日本語の正しい使い方」系の話って、なんか上から目線で嫌なんだよな。
文章の専門家を自認する著者の本を読んでみた。「人間の関わりの本質的な部分」って何だよ。曖昧すぎて意味がわからん。まあ、それはいいとして。
いくつかの「間違い」を並べてるけど、正直言って「どうでもいいレベル」だと思う。
例えば「ご自愛」の話。確かに「お体にご自愛」は重複してるが、言いたいことは通じだろう?
「潮時」だって、もう誤用の方が一般的になってる。言葉なんて時代とともに変わるもんだ。Shakespeare時代の英語と今の英語、全然違うぞ。日本語だって同じこと。
ただし、「破天荒」と「役不足」はちょっと違う。これは確かに意味が正反対になっちゃうから、知ってた方がいい。特に「役不足」なんて、謙遜のつもりで使って、実は「この仕事、俺には簡単すぎる」って言ってることになる。これは恥ずかしい。
昔、会社の上司が取引先との会議で「私なんて役不足ですから」と言って、相手の顔が微妙に曇ったのを思い出した。あの時は何で空気が変わったのかわからなかったが、今思えばこれが原因だったのかも。
でも、問題は語彙力じゃなくて、コミュニケーション力だろう?
正しい日本語を知ってることと、相手に伝わる文章を書けることは別物だ。どんなに正確な日本語を使っても、読み手のことを考えてない文章は意味がない。逆に、多少の誤用があっても、心に響く文章はいくらでもある。
というか、この人の文章も完璧じゃないよな。「読者ニーズを探るため、調査したと書いてある」が、なんか硬い。「みんなが何を知りたがってるか知りたくて、調査した」の方が親しみやすい。
言葉って、結局はツールでしょ。正確性も大事だけど、相手に気持ちが伝わることの方がもっと大事。細かい誤用をあげつらって悦に入ってる暇があったら、もっと人の心に響く文章の書き方を教えてくれよ。
まあ、でも一つだけ言えるのは、日本語の「正解」なんて時代とともに変わるってこと。明治時代の「正しい日本語」と今の「正しい日本語」は違う。50年後にはまた変わってる。
大事なのは、相手を思いやる気持ちと、伝えたいことをちゃんと伝える技術。語彙力はその一部でしかない。
そんなこと言いつつ、俺も「役不足」は間違えないようにしよう。恥ずかしいからな。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
■
22冊目の本を出版しました。
「読書を自分の武器にする技術」(WAVE出版)







