岡本裕一朗『思考実験大全』(イースト・プレス)は、古今東西の思考実験を100編余り収めながら、単なる哲学の名場面集にとどまらない読み応えをもった本だ。プラトンやデカルトの古典から現代のAIやバイオテクノロジーに至るまで、時代と文化を横断して「考える営み」の多様さを簡潔に紹介し、思考実験を今に生かす視点を示している。
構成は「エピソード」と「解説」の二部仕立てで、印象的な物語や問いかけを読ませたうえで、背景や哲学的な意味をていねいに解きほぐしていく。
例えば、スワンプマンの例はその典型だ。雷に打たれて亡くなった男があって、一方で雷とは別のタイミングで、分子レベルまで完全に同じレプリカ=スワンプマンが沼から現れる。見た目も記憶も脳の構造も同じ。けれど、わたしたちは「このスワンプマンは元の男と同じ人物だろうか?」と問う。記憶と身体と外見だけで個人が同一といえるのか、経験の連続性、出来事の履歴(過去の関係性や他者との関わり)が同一性をどう左右するか。本書はその問いを、哲学の伝統の中でどこが論点になってきたかを見せながら、読者に「自分ならどう思うか」を突きつけてくる。スワンプマンは、「記憶がある=自分だ」という直感を試すが、同時に「記憶があっても、その出来事が他者との関係の中でどう位置づけられているか」が同一性の実際を左右する、ということも考えさせる。
哲学的ゾンビの思考実験もまた、本書の肝のひとつだ。アーロンとアランという双子がいて、身体的・行動的には区別がつかない。ところがアーロンには「意識経験」、つまりクオリアがない。外界を見て、痛みを感じ、チョコの甘さを味わうというとき、アランにはその内側にある体験があるが、アーロンにはそれがない。行動や生理反応は同じであっても、「感じているかどうか」はまったく異なる。こういう存在を仮定することが、「他者の意識はどうしてあると信じられるのか」「われわれが意識を持つとは何か」という問いを浮き彫りにする。本書はこのゾンビの話を通じて、意識の「説明しにくさ」、物理的・神経科学的事実では捉えきれない体験の側面について考える余地を与えてくれる。
著者が「なぜ今、思考実験なのか」と問いかける背景には、AIやバイオ技術が人間観や倫理観を揺さぶる現代的な状況がある。従来の発想では対処しきれない変化に直面したとき、仮想のシナリオを通じて問題を先取りして考えることが、未来を展望する上で有効だという見方だ。歴史の転換期に活動した哲学者たちが思考実験を駆使してきたことを踏まえると、この指摘は説得力をもつ。

たまにはゆっくり考えてみる時間をとってみては Luke Chan/iStock
500頁を超える分量ながら各章が独立しており、気になるテーマだけを拾い読みしても内容が損なわれない。古典から現代日本の思想家まで幅広い人物を扱い、まだ「思考実験」として広く知られていない着想も積極的に取り上げている。記述は平易で、学術的な裏づけを示しつつも肩の力を抜いて読むことができる。
思考実験は、常識的な枠組みを越えた想像力によって社会や自分自身のあり方を見直す契機を与えてくれる。本書はその魅力と意義を、楽しさと実用性の両面から伝えてくれる一冊だ。哲学や科学に詳しくなくても、それぞれの立場で考えを深める手がかりになるだろう。
【目次】
第1章 人間──私たちは、どんな存在なのか
洞窟の比喩、テーセウスの船、3人の囚人 など
第2章 道徳──善悪は、どうやって決まるのか
トロッコ問題、寛容のパラドックス、監獄実験 など
第3章 幸福──私たちは、なぜ生きるのか
ドリーム・ワールド、トロシュロスの風変りな狂気、予定説 など
第4章 社会──人と人は、どうすれば共に生きられるのか
囚人のジレンマ、美人投票、なぜ世界は存在しないのか など
第5章 科学──論理は世界を説明できるのか
対蹠人、ハゲ頭なんて存在しない、モンティ・ホール問題 など
第6章 未来──この先の世界をどう想像するか
シンギュラリティ、ラプラスの悪魔、国家は死滅するか など







