君子に三畏あり

@DIME(アットダイム)に今年5月、「誤解されやすい人が信頼される人になるためのヒント」という記事がありました。「心理カウンセラー」の筆者は「誤解されやすい人のあるある特徴」として、①主語や目的を省いてしまう話し方、②感情が外に出にくい、③自己開示が少ない、④言い訳しない主義が裏目に出る、⑤相手の視点に立つのが苦手、の5つを挙げています。私が考える誤解されやすい人とは、「自分の主義・主張・立場を明確にし、人前でも何でもはっきりと発言する人」です。様々な事態に直面した時自らの見識をきちっと述べるような人の方が、他人から色々言われるケースが多いように思います。

私は、拙著『君子を目指せ小人になるな』第四章の3「私が考える君子の六つの条件」で、第六番目に「世の毀誉褒貶を意に介さず、不断の努力を続ける」と題し「君子たるものは、人の評価に一喜一憂する必要はない」と述べました。人の己を知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患う(『論語』学而第一の十六)――自分以外の人の真価を本当に知っているかを気にすべきで、人の評価など意に介さなくて良いでしょう。

私が常に意識するのは、人ではなく天です。『人を超越し、天と対峙する』のです。これまで唯々自分の良心に顧みて、「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」(『孟子』)の精神の基、世に一々の毀誉褒貶を顧みないよう努めてきました。之は『孟子』にある孔子の言の如く、「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」という世界です。そういう気でいたら、誤解もへったくれもないと思います。

私は嘗て当ブログ「北尾吉孝日記」で、『主観を追求して客観に至る』(22年11月4日)という中で次のように述べました――自分の立場・主義主張を明確にして自分を確立するというのも、東洋思想を貫く考え方であると思います。そうした自分を確立するために、とりわけリーダーたる者はすべてを自分の責任に置くというあり方を絶対に身につけておかなくてはならないのです。(中略)此の考え方は、東洋思想の根幹にある思想だと思います。之は同時に、人たるもの、きちんと主体性を持たなければならない、と教えているわけです。『孟子』に「大人(たいじん)なる者あり。己を正しくして、而(しこう)して、物正しき者なり」とあるように、全ては身を修めることから出発し、自分を確立し、人を感化して行くのです。

私自身、常に修養しようという気持ちをずっと持ち、今日まで主体性というものを何よりも大事にした生き方を貫いてきました。「君子に三畏(さんい)あり」(『論語』李氏第十六の八)とあるように、天命を常に意識し、大人・聖人の言に畏れを抱きながら自分を律し、確固たる主体性を有した自己の確立に向け努力してきたつもりです。

我々は此の世に生を受けた以上、天から与えられた使命を明らかにし、その使命を果たすため命(いのち)を使わねばならず、人の評価など気にしていても仕方がありません。自らに与えられた固有の命(めい)を引き出し発揮して行くことが人間としての務めであり、之が東洋哲学の一番の生粋であります。命を知らざれば以て君子たること無きなり(『論語』尭曰第二十の五)――そうして最終「楽天知命…天を楽しみ命を知る、故に憂えず」(『易経』)という境地に到るのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2025年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。