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ドラッグストアで市販薬を大量に買う若者を、最近よく見かけるようになった。今、何を思ってるんだろう。そう考えるようになったのは、最近のニュースを読んでからだ。
意識し始めると、目に入るたびに嫌な気分になる。セキ止めとアレルギー薬。子どもにだって処方されるような、本来は安全なはずの薬。なのに、今それが「乱用防止医薬品」だなんて分類されようとしている。
厚労省の調査を読むと、ため息しか出ない。高校生の1.4%、中学生の1.8%が市販薬を乱用している。数字だけ見ると「まあまあだな」と思うかもしれない。でも、2014年と比べて薬物相談で使われる市販薬の割合が3.8%から20%に跳ね上がっている。6倍だ。これは「まあまあ」じゃない。
特に、10代ではなんと68.4%が市販薬で、20代でも35.3%。つまり、若い世代にとって「薬物」=市販薬が当たり前になっている。気分を整えたいときに、医者じゃなくてドラッグストアに行く。自動販売機のように、簡単に。
また、規制強化が話題になると、みんな「2025年5月から薬機法改正で」「18歳未満は小容量のみ」「薬剤師の説明義務化」とか言い始める。数字ばっかり。必要な施策だと思う。本当に思う。でも、その前に何かある。
SNS上で「デキストロメトルファン」じゃなくて「パブ〇〇という薬のブランド名」でやり取りされてるという話を読んだとき、妙な現実感を感じた。「インスタで見た」「Xで流行ってる」という具合に、情報がやり取りされているわけだ。
昼間、学校に行きたくない。親に当たられた。明日が怖い。——そういう夜に、スマホをいじっているうちに、知りもしない誰かが「この薬、効くよ」と教えてくれる。
そのとき、規制がある? ない。オンラインの世界では、薬局の「1人1箱」ルールなんて関係ない。複数店舗を回ればいい。身分証を見せなくても買えるサイトだってあるだろう。何より、心がすでに「ドラッグストアへ」という選択肢を選んでしまってる。
確認を怠る店員、複数店舗をまわる客、徹底されない地域差。その通りだ。むしろ、規制なんてそんなもんだろう。「1人1箱」ルールで99人を止めたって、本当に意味がある?
でも、今この瞬間も、どこかの高校生が、心臓の音がおかしくなるほど市販薬を飲んでるかもしれない。37人の患者が平均3.3日間入院した。死亡例はなかったが、次はどうだ?
日本OTC医薬品協会は「薬を必要とする人のアクセスを制限しすぎるな」と言ってるらしい。気持ちはわかる。本当にわかる。でも、その言い分で何度、同じ議論をやり直すつもりだ?
どう結論づけていいかわからない。規制は必要だろう。でも、それだけでは何も解決しない。支援も大事。心理社会的サポートも必要。わかってる。すべてわかってる。
それでも、ドラッグストアの棚の前に立つ誰かが、明日も薬を手に取るんだろう。規制がかかる前に、何度も。制度が変わってからも、別の方法を見つけて。
結局、何も変わらないのかもしれない。いや、変わると思いたい。ただ、このニュースを読んだだけでは、その道筋が見えない。
見えないまま、時間だけが過ぎていく。それが一番腹立たしい。
PS
ところで、ドラッグストアが街中に溢れるようになったのは、バブル崩壊後の90年代だ。それまで薬は、医者から処方されるか、街の薬局で相談して買うものだった。今や、誰もが何の相談もなしに買える。
便利さは確かに手に入った。その一方で、何か失われたのかもしれない。心理的な支援の仕組みが、便利さに追いついていないのだろうか。
尾藤 克之(コラムニスト、著述家)
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