
歌舞伎を通過儀礼としてとらえるということで、『一個人』という雑誌にしばらく連載をしていた。ところが、雑誌の方が休刊になってしまい、書く機会がなくなってしまった。そこで、ここに書いてみることとした。
話題は、中村鶴松の襲名である。鶴松は、亡くなった18代目中村勘三郎の「部屋子」になった役者で、中村屋の勘九郎と七之助と並ぶ三兄弟とも言われてきた。それだけ、中村屋では重視されてきたわけである。
来年の2月に歌舞伎座で行われる恒例の「猿若祭」で、鶴松は初代中村舞鶴を襲名する。舞鶴という名は、18代目の父であり名優とうたわれた17代目勘三郎の俳名である。歌舞伎の世界で俳名を襲名することはよく見られることだが、鶴松が、「この度頂戴いたしました中村舞鶴という新たな名前は勘九郎、七之助の兄たちが心を込めて考えてくださいました」と述べているが、17代目の俳名というのは相当に重い。
注目されるのは、襲名とあわせて、鶴松が「幹部」に昇進することである。
幹部というのは、歌舞伎界について詳しい人間でないとなかなかわかりにくいもので、私もはっきりと理解していないかもしれない。基本的には、重要な役を演じる一角の役者になったことを意味する。
歌舞伎界では、「名題試験」という通過儀礼がある。これを受けるには、歌舞伎の世界に入って、少なくとも5年だったと思うが経験を積んでいなければならない。この試験は、歌舞伎の名門の家に生まれた役者でもどこかで必ず受験する。
名題試験に合格するまでは、「名題下」と呼ばれ、立廻りや通行人など、台詞が少ない、あるいは台詞がない役しかまわってこない。中には、立廻りの名人で、名題試験に合格しても、あえて名題にならない役者もいる。
歌舞伎座で販売されている「筋書」を買ってみると、巻末に役者の顔写真が掲載されており、それは大中小三つに分かれている。
基本的に、大が幹部、中が名題、小が名題下になる。歌舞伎の家に生まれた子どもだと、名題試験を受けていなくても大の扱いになる。11月の顔見世では、三谷歌舞伎が上演され、そこには、歌舞伎以外の役者が主要な役をつとめたが、彼らは大のところに写真が載っていた。
鶴松も、三谷歌舞伎に出ていたが、写真は中である。2月に舞鶴を襲名すれば、当然、写真は大になるはずである。
鶴松は歌舞伎の家の生まれではない。そうした人間が幹部に昇進するのはかなり大変なことである。最近の例としては、外部から2代目澤村藤十郎に弟子入りし澤村國矢を名乗っていた2代目澤村精四郎の例がある。
ただし、精四郎は、襲名の際に藤十郎の「芸養子」になっている。芸養子とは、法律的には養子にならないものの、その家の芸や屋号を受け継ぐ役者のことである。精四郎は、中村獅堂が初音ミクと共演する「超歌舞伎」ではずっと獅堂の相手役をつとめており、幹部に昇進したのも、獅堂の強い推薦があったからである。
精四郎より前にその道を通ったのが、初代中村莟玉である。莟玉は中村梅丸を名乗り、中村梅玉の部屋子になっていたが、梅玉の養子となり、幹部にも昇進した。こちらは、法的な養子のようだ。
このように、幹部に昇進する際には養子や芸養子になることが多い。ところが、鶴松の場合には、今回養子になったわけでもなければ、芸養子になったわけでもない。あるいは、18代目勘三郎がまだ生きていれば、そうしたこともあったかもしれないが、部屋子がいきなり幹部になるというのは、相当に画期的なことである。
それに近いものとしては、3代目市川右團次の例がある。右團次は、2代目市川猿翁に入門し、部屋子となって初代市川右近を名乗っていたが、上方の大名跡である市川右團次を襲名したこ。それにともなって、幹部の中でも主役をはれる座頭クラスの大幹部に昇進した。右團次は、その名を襲名する際に養子にも芸養子にもなっていない。その点で今回の鶴松と共通する。
すでに鶴松は、昨年2月の歌舞伎座での猿若祭では、17代目勘三郎の13回忌追善興行の『新版歌祭文 野崎村』の久作娘お光をつとめており、主役も経験している。幹部になっていない段階で歌舞伎座の主役をつとめるのは異例のことで、それだけ「中村屋の星」として期待を集めてきたことになる。
大ヒットした映画『国宝』では、歌舞伎界に生まれたわけではない部屋子と御曹司とが対比的に描かれており、鶴松の人生はそれと重なる。果たして彼が遠い将来において人間国宝になれるかどうかはわからないが、今回の襲名でその方向に一歩進んだことは間違いない。まさに彼は重大な通過儀礼を果たそうとしているわけである。
2月の猿若祭で、鶴松は昼の部の「弥栄芝居賑―猿若座芝居前」に出演する。そこで鶴松は猿若座若太夫を演じるが、この演目は、中村屋にゆかりの役者が総出演するので、劇中で襲名の口上が述べられるはずだ。
夜の部で鶴松は、襲名披露として「舞鶴六変化―雨乞狐」を一人で踊る。これは、18代目勘三郎から勘九郎に受け継がれたもので、鶴松は自らの勉強会である「鶴明会」ですでに踊っている。
歌舞伎座で一人で変化舞踊を踊るというのは大変なプレッシャーにもなることだろう。その出来は大いに注目されるところである。
編集部より:この記事は島田裕巳氏のnote 2025年12月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は島田裕巳氏のnoteをご覧ください。






