イスラエルで4月1日からユダヤ教の3大祭りの一つである「過越祭」(ぺサハ)が始まる。ぺサハは4月1日の日没から4月8日の日没まで一週間続く。
過越祭りは古代エジプトで奴隷だったイスラエル人がモーセに率いられて脱出し、神の約束の地カナン(現在のパレスチナ)に入り、自由を手にした歴史を記念する重要な宗教祝日だ。モーセが主導した出エジプトの内容は旧約聖書の「出エジプト記」に記述されている。

ネタニヤフ首相、イスラエル国防軍中央司令部で安全保障評価を実施(2026年3月22日)
イスラエル首相府公式サイトから
約3300年前にイスラエル民族がエジプトから解放された出来事を祝うぺサハでは、脱出時にパンを膨らませる時間がなかったことにちなみ、期間中は酵母(イースト)を含む食品を食べず、「マッツァ」と呼ばれる平たい無酵母パン(種入れぬパン)を食べる。ぺサハの最初の夜には家族や友人が集まり、出エジプトの物語を記した「ハガダー」を読みながら、特別な料理を囲む伝統的な夕食会(セデル)を開く。
ぺサハの期間は法定祝日であり、 多くのお店や公共交通機関が休みになる。4月2日~6日はホ・ハ・モエド(中日)」と呼ばれ、学校などは休みだが、一部の商店や施設は半日営業するなど、準祝日のような扱いになる。この期間のイスラエルは、伝統を重んじる厳かな雰囲気と、春の訪れを祝う華やかさが混じり合った特別な時期となる。
ところで、世界のイスラム教徒(信者数約19.5億人)は先月18日(地域によっては19日)からラマダン(断食)を開始し、3月19日までの1か月間、日の出から日没の間、イスラム教徒は断食(サウム)が義務付けられていた。そのラマダンも終わったばかりだ。
イスラム教の経典によると、「ラマダン」とは、イスラム暦(ヒジュラ暦)における第9番目の月の名称だ。預言者ムハンマドが西暦624年、メッカからメディナに移った時、神(アッラー)からの命令を受け、ラマダン期間中の断食が正式に義務づけられた。
ラマダンの順守はイスラム教徒が義務づけられている五行(信仰告白、1日5回の礼拝、喜捨(寄付)、メッカへの巡礼、ラマダン中の断食)の一つだ。この期間は単に飲食の摂取だけではなく、喫煙、性交渉、そして喧嘩や悪口なども禁止されている。同時に、貧しい人へ積極的な喜捨が願われている。
ぺサハの期間中に戦闘が起きたり、大規模なテロ事件が起きた例は過去、ある。ユダヤ教の重要な祝祭日は家族が集まる時期であるため、そこを狙った攻撃が大きな悲劇を招く。
2002年3月27日、過越祭の虐殺(Passover Massacre)と呼ばれているテロ事件が起きた。ホテルの食堂で過越祭の夕食会(セデル)が行われていた際、ハマスの自爆テロが発生し、30名が死亡、140名以上が負傷した。第2次インティファーダ(パレスチナ人の反イスラエル闘争)においてイスラエル市民を標的とした最悪の攻撃の一つとなった。この事件を受け、イスラエル軍はヨルダン川西岸地区で大規模な軍事作戦「防衛の盾作戦」を開始した。
また、2023年10月に始まったハマスとの戦闘は、2024年や2025年の過越祭の期間中も継続した。2024年のペサハでは、多くの避難民が自宅で祝うことができず、ガザに拘束されたままの人質を想う「空席のあるセデル(夕食会)」が行われるなど、非常に重苦しい雰囲気の中での祝祭となった。
自由への解放を祝うペサハの時期は、歴史的に見ても安全保障上の緊張が非常に高まりやすい時期と言える。
過越祭をまじかに控え、イスラエル人の「出エジプト」は実際にはなかったという考古学的な成果を引き合いに出すのは少々恐縮するが、モーセがイスラエル人の成人男性60万人を奴隷の地のエジプトから解放し、神の約束の地に入った、という物語(ナラティブ)はどうやら史実ではないのだ。
多くのイスラエル人が40年間もシナイ半島を彷徨ったのであれば、当時の土器、住居跡、排泄物、埋葬跡などの生活痕跡が大量に見つかるはずだが、現代の高度な発掘技術をもってしても、その時代のシナイ半島からイスラエル人の大規模な移動を裏付ける物理的な証拠は一切見つかっていない。エジプト側にもイスラエル人の大量出国を裏付ける記録(壁画、パピルス)がないのだ。
それでは、イスラエル民族に延々と伝えられてきた「出エジプト」の物語は何を意味するのだろうか。実際は、エジプトから脱出した少人数のグループ(レビ族など)がおり、彼らがカナンに定住した際、自分たちの神(ヤハウェ)の体験を現地の民に伝え、それが民族全体の「共通の記憶」として誇張・神話化されたのではないか、といわれている。バビロン捕囚期(紀元前6世紀頃)などに、ユダヤ人が民族の結束を固めるために「苦難から神によって救われた」という建国神話をまとめ上げた。
結論として、出エジプトは「歴史的事実」というよりは、ユダヤ教における「信仰と自由の精神の象徴」としての物語であると捉えるべきだろう。
「出エジプト」という物語が、歴史的事実かどうかを超えて、ユダヤ人のアイデンティティや精神に深く影響を与えてきたことは間違いない。その核心は、単なる「昔話」ではなく、「今を生きる指針」として機能し続けている点だ。出エジプトの途上、シナイ山で授かったとされる「十戒」を含む律法(トーラー)が、民族の憲法となった。
紀元70年に国を失い、世界中に散らばった(ディアスポラ)後も、彼らは同じ「法」を守ることで、2000年以上も一つの民族としてのアイデンティティを保ち続けた。「神と契約を結んだ特別な民」という自覚が、過酷な運命を生き抜く強いプライドを生み出した。ユダヤ人はペサハ(過越祭)の儀式を通じて、この物語を単に「思い出す」のではなく、「自分たちが今、エジプトから出ている」と再体験しているというのだ。
ちなみに、19世紀末から始まったユダヤ人の帰還運動(シオニズム)は、まさに現代版の「出エジプト」として位置づけられている。欧州での迫害(ホロコーストなど)を「エジプトでの奴隷状態」に見立て、イスラエル建国を「約束の地への到達」と重ね合わせることで、世界中のユダヤ人を結集させる強力な精神的支柱となった。
問題は、イスラエル人にとって「出エジプト」は全員が知っているアイデンティティだが、それは「民主的な自由国家」を目指すための物語なのか、それとも「神の律法を完璧に守る宗教国家」に回帰するための物語なのか。この「国の形」を巡る争いが、外敵との戦い以上に、今のイスラエルを内側から揺り動かす切実な問題となっている。
エルサレム・ポスト紙によると、イランやその支援を受ける武装組織にとって、イスラエルの祝日は軍事的な「狙い目」や「警戒時」とみなされている。祝祭期間中は多くの市民が集まり、兵士も休暇で帰宅するため、心理的・物理的な隙が生まれやすいからだ。
イスラエルによるイランへの先制攻撃や最高指導者の死去を受け、イラン側が「祝祭期間中も攻撃を緩めない」との姿勢を示している。実際に、イスラエル軍はペサハ期間中も戦闘が継続することを想定し、警戒を強めている。
ペサハが「奴隷からの解放」を祝うものであるのに対し、イランは「イスラエルこそがパレスチナ人を抑圧する現代のファラオである」と宣伝し、祝日の意義を否定するキャンペーンを行っている。
シーア派の教義においてエルサレム(アル=クドッス)の解放は重要な悲願であり、イスラエルがその地でユダヤ教の祝祭を盛大に行うことは、イランの指導部にとって宗教的な挑発と受け取られる側面がある。
2026年4月のペサハ期間は、これまでの緊張に加え、イラン国内の体制の動揺やイスラエルによる大規模な軍事作戦が重なっており、例年以上に「衝突の火種」としての意味合いが強まっている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年3月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







コメント