黒坂岳央です。
「年齢を意識しすぎるな」という言葉をよく見る。英語圏でも「Age is just a number.」と言われる。
個人的にはあまり年齢にとらわれる必要はないと思っており、特に新しいチャレンジについては一旦、自分の年齢を忘れて挑戦できる人こそが成功できると思っている。
一方で「そこはもっと年齢を意識した方がいいのでは?」と感じる場面もあり、両者は矛盾せずに成立する。つまり、年齢を気にしなくていいところは忘れて、意識するべきところは気をつけた方がいいと思っている。
精力的に生きて成功した男性ほど、「年齢なんて関係ない」「まだまだいける」という言葉を口にしやすい。そしてその言葉は、ある意味で正しい。だが、その認知パターンであるがゆえに失敗するケースもあると思っている。自戒を込めて取り上げたい。

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チャレンジに年齢は関係ない
まずは年齢を意識しなくて良い場面は何があるだろうか?色んな要素があるが、こと「チャレンジ」については年齢はまったく気にする必要はないと思っている。
たとえば、独立開業。この世界に年齢は本当に関係がない。実績がない20歳より、実績豊富な60歳が勝つ世界が独立だ。お金を払う側は写真付きの履歴書なんて求めない。「支払う代金以上の価値」が確実に得られるなら相手の年齢なんてどうでもいい。逆に結果がダメなら全部ダメ、という厳しい結果主義の世界だ。
また、勉強も年齢は一切関係がない。筆者はYouTubeチャンネルで英語学習を発信しているが、「何歳から始めても遅くない」と繰り返し伝えている。
以前勤めていた外資系企業に、高卒で営業一筋だった50代の男性がいた。部署異動である日、いきなり上司も同僚もほぼ外国人という環境に放り込まれて英会話が突然、仕事の必須条件になった。英語を話せなければ文字通り、仕事は何も出来ない。だが、当時の彼は英語力ゼロだった。
そこから働きながら独学で英語を学んで、1年後にTOEICは900点を突破。プロジェクトのリーダーとして、一日中英語で仕事をこなすようになっていた。人間、追い詰められたら凄まじい爆発エネルギーを出すことを目の当たりにした。
また、60代・70代から英語を学び、観光ガイドや翻訳家として活躍する人も実在する。勉強、起業、スキル習得など、行動すること自体に年齢の上限はない。老け込んで行動力を落とすことは、単なる機会損失である。
自分は色んな仕事をやっているが、今後も面白そうな仕事には積極的にチャレンジしていきたいと思っている。今後年を取って50代、60代でも気にせずやりたいと思う。
採用市場は年齢が重要
ところがチャレンジと違い、労働市場は年齢を最大級のファクターになる。
多少経験やスキルが足りなくても20代なら採用される。30代以降は実績を、40代はマネジメント経験を期待される。ポテンシャル採用の実質的な上限は多くの場合、30代半ばで終わる。
「年齢差別だ」という反発もあるが、それはズレている。なぜなら全員に20代の時期はあったし、30代以降に実績が求められることは完全に可視化されていた。「個人的な事情があった」という人もいるが、20代の10年間、30半ばまでなら15年間という時間の猶予があったのだ。この猶予期間をどう使ったか?という中身を社会は厳しく見るのである。
「年齢よりしっかり中身を見てくれ」と言う人がいるが、市場が求める30代像を目指さなかったという内面が年齢に出ている。採用側はまさに「中身を見て見送った」といえる。
たとえば起業して成功した男性が投資で失敗するのも同じパターンだ。ビジネスでは努力と実力が結果に直結する。だから人の何倍も努力し、行動力で彼らは成功する。だが投資市場はこれが裏目に出る。
行動力MAXでポジポジ病や頻繁なトレードが投資では命取りになる。「オレはビジネスで結果を出してきた、投資でも同じようにやれる」という感覚は、結果主義の成功体験を全く異なるルールの市場に誤適用している。
結婚するなら男性も若さが必要
婚活市場でも、男性側の年齢は主要な選択変数だ。仕事ができるビジネスマンが「自分は経済力があるからいつでも結婚できる」と豪語するケースがある。だが、これはズレたPRだ。
厚生労働省の人口動態統計によれば、婚姻件数の大多数は夫婦の年齢差が5歳以内に収まっており、10歳以上の年の差婚は全体の数%に留まる。
収入や資産が豊富な年上男性より、伸びしろのある同年代を選ぶのが大多数の現実だ。年の差婚が成立するケースは、突出した経済力や社会的地位がある極めて特殊な例外ケースに限られる。「経済力があれば年齢は関係ない」は、例外を一般化した錯覚にすぎない。
筆者には娘がいるのでわかるのだが、たとえば20代の娘が年収は高いが中年の男性を連れてきたとき、否定的な気持ちが出ないと言えば嘘になる。これが現実だ。
もちろん、今どき結婚は当事者間で決まる時代とはいえ、現実として多くのカップルは親への承諾を経る。特に愛情込めて大事に育てられ、親子が良好な家庭ほどその傾向が強まる。
「経済力があれば親も納得する」は楽観的すぎる想定といえる。
年齢相応の振る舞いが必要
最も見えにくいのが、日常の振る舞いへの影響だ。
筆者が26歳のとき、上京資金を貯めるためにアルバイトをしていた。そこで40代の女性社員から「今度、合コンしたいから友達を連れてきて。当然、男性陣が奢るからできればお金持ちの人ね」と言われた。冗談だと思って笑って流したが、翌日「もう友達に連絡した?」と催促されて驚いた。
自分はその40代女性を責めたいわけではない。だが26歳の側から見れば、40代が若者に奢ってもらうことを前提にしているという感覚が理解できなかったのだ。
ここで性別は関係ない。40代の部長が20代の部下に「僕は仕事を頑張ってるから奢ってよー」と言う場面を想像しても、同じ違和感が生じるはずだ。それは金額の問題ではなく、年齢と立場に見合った「与える側」の自覚が欠けていることへの、言語化しにくい不快感だろう。
年齢を重ねるにつれ、周囲は自然とその人を「受け取る側」ではなく「与える側」として見るようになる。挨拶を省く、気遣いをしない、場の空気より自己主張を優先する。20代なら「まだ若い」で処理される振る舞いが、年齢を重ねると「ヤバい人」「痛い人」という評価に変わる。
そして成功した男性ほど、後輩や年下に対して「オレたちは対等だ」という感覚で接する。タメ口を求めたり、割り勘にしたり、武勇伝や愚痴を聞かせる。
成功者ほど周囲がYESと言い続けてきたので、年齢的な周囲の期待値の変化に気づかない。だが30代、40代なのに20代がするような振る舞いや話題に終止すると周囲は口には出さないが、どうしても敬遠されやすくなる。
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「遅いことはない」「年齢は記号」。これは行動を起こすための内側の言葉として機能する。だがそれを周囲に求めるとずれる。理想としては「チャレンジの文脈では年齢を忘れ、相手ありきの人間関係では年齢相応の恥ずかしくない振る舞いをする」という使い分けだろう。
成功した男性が陥りやすい罠は、この二つを分けずに生きてきたことへの無自覚だ。それ自体は責められない。だが、いつまでもその無自覚のままでいることは、別の話だ。
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