鈴木敏文氏がお亡くなりになりました。93歳。セブンのトップを辞任したのは83歳の時で、理由はセブンイレブン部門の社長である井坂隆一氏の人事を巡る問題でした。鈴木氏は井坂氏を退任させようとしましたが、大株主であり、イトーヨーカ堂を原点とする創業家が鈴木氏の意見に反対、つまり井坂氏の続投案に賛成したことから鈴木氏は自身の絶対的権力体制が崩れたと判断し、退任したのであります。ちなみに役員会の決議は15名中退任賛成6、反対7、白票2という接戦でありました。

鈴木敏文氏 セブンアンドアイHPより
日本の流通を代表する3人と言えばダイエーの中内功、西武/セゾンの堤清二、そしてコンビニの鈴木敏文氏とされます。代表する3人という言い方は例の孫、柳井、永守氏の話の様であまり色付けをしたくないのですが、流通の3人は既に過去の人なのでとりあえず良しとしましょう。
その3人の中で鈴木氏だけは創業者ではないのです。鈴木氏はもともと書籍取次大手のトーハンに勤めていたのですがテレビの仕事がやりたいと退職、その時30歳。イトーヨーカ堂から「とりあえずうちに入れや」と勧められて入社したのでした。イトーヨーカ堂は当時、まだ筋肉質ではなく、さまざまな刺激と改革が必要だった時期で流通未経験の鈴木氏もこれは面白い、と深くのめり込んでいくのであります。
鈴木氏と創業者の伊藤雅俊氏の性格は水と油と言ってもよいでしょう。ですが、社業をより筋肉質にするためには鈴木氏のような改革派が必要だったために彼をかなり自由に放つのです。そこで見出したのがアメリカのコンビニエンスストアであり、その導入を伊藤氏に強く迫ります。伊藤氏は相当コンサバティブな性格で鈴木氏の爆速改革派になかなかついて行けず、何度もぶつかり合うも鈴木氏が押しの一手でありました。
そう言う意味では鈴木氏はカリスマ的でありますが、それ以上に剛腕型で我の強い性格でありました。その改革精神は「人の物まねをしない」という強い意気込みにも表れていました。常に日本で誰もやったことがないことへの挑戦をモットーとしたのです。時は日本経済が驀進していた頃であります。
鈴木氏は井坂隆一氏には厳しい評価でした。理由は改革性がない、であります。井坂氏は当時、グループ中核のセブンイレブン部門のトップであり、業績は5期連続最高益でしたが鈴木氏は井坂氏ではダメと判断したのです。実はその頃、私はこの報道が非常に興味深く、かなり読み込んだのですが、私の当時の思いは鈴木氏の人を評する目が正しいと思っていました。そう、井坂氏は判断力も行動力も当時のセブンを更に盛り立てていくには力不足でした。ただ、バランス感覚に優れていた優秀なエリートサラリーマンであったのです。野武士である鈴木氏とウマが合うわけがないのです。
一方、創業家の伊藤家は保守的でそんなにゴリゴリ押し込む性格ではないので「井坂氏継続でよいのではないか」という判断に傾くのです。とすれば鈴木氏にとってセブンイレブン事業を通じて伊藤家と水と油の53年だったとも言えるのです。鈴木氏にとってみればその間、一日たりとも気を緩めることができない戦場の最前線に立っていた、そんな経営者であったのです。
では今、セブンがぱっとしない理由は何か、といえばカリスマ型経営者、あるいは力強い蒸気機関車がけん引していた貨車がその牽引力を失ったからであると断言できます。つまり、2016年4月の人事がセブンイレブンの将来をも決定づけたとも言えるのです。これはキャスティングボートを握った伊藤家の弱さがでた形で日本のコンビニ文化の栄華に終止符を打ち、流通戦国時代を引き起こしたとも言えます。
2016年の役員会で鈴木氏の推した古屋一樹氏はその後、セブンイレブン部門のトップになり、改革を進め、業容拡大にまい進しましたが、例の大阪での24時間営業問題に引っかかり実質的には井坂VS古屋の構図の中で社長を辞任する結果となりました。
個人的には2016年頃はコンビニ戦争が最終局面を迎えていた頃であり、それを踏まえれば必ずしも社内から選ばずに外部から剛腕型の指導者を招くという選択肢もあったと思います。ただ伊藤家がそれを許さなかったとすればセブンイレブンと言う事業は末広がりな感じがしないのであります。カナダから買収提案を受けた点に関しては私はそれを受け入れて戦うステージを引き上げるというチャンスを逃したと感じます。このあたりが日本的経営の特徴であり、国際競争力を失っていった理由の一つではなかろうか、と感じるのです。ある意味、鈴木敏文氏型の経営者が日本経済を強力に牽引したという過去話ともいえそうです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年5月27日の記事より転載させていただきました。







コメント