「村上春樹はAIがつくるような小説は書かない」
新作長編『夏帆─The Tale of KAHO─』をめぐるインタビューで、村上春樹はそういう趣旨の発言をしています。正確には、AIがつくるような小説は自分が書きたいものではない、という話です。
AIがつくるような小説書かない インタビューで村上春樹さん 共同

たしかに村上春樹にしてみれば、自分の小説をAIの産物のように言われることは、もっとも触れられたくないところなのかもしれません。なにしろ村上春樹は、村上春樹であることによって作家であり続けてきた作家だからです。
しかし、ここに皮肉があります。
村上春樹らしさは「生成モデル」になったのか
『夏帆』は、むしろ村上春樹がAI的であることを証明してしまう作品にも見えます。いや、AI的に書いているという意味ではありません。
村上春樹自身の文体や物語装置が、あまりにも長年にわたって精密に反復されてきたため、いまや「村上春樹らしさ」そのものが、ひとつの生成モデルのように見えてしまうということです。
『夏帆』の主人公は26歳の絵本作家です。初対面の男から容姿について残酷な言葉を投げかけられたことをきっかけに、彼女の周囲では奇妙な出来事が起こり始めます。
ありくい、ジャガー、シロアリの女王、守護天使、象の卵、スカーレット・ヨハンソン。普通の若い女性の生活に、普通ではないものがすっと入り込んでくるのです。
これは本当に新しい村上春樹なのか
村上作品に親しんだ読者なら、ここで立ち止まるはずです。
これは、本当に「新しい」のでしょうか。
動物が語り、現実と非現実の境界がゆるみ、主人公が出口を探す。これは新作でありながら、どこか見覚えのある村上春樹です。
ネット上の読書感想でも、そこは率直に指摘されています。ある読者は、読み始めて「これ、本当に村上春樹が書いたのか」と感じ、さらに「AIが書いたのではないか」とまで書いています。
理由は明快です。ありくいがしゃべり、シロアリがしゃべり、不可解な世界が広がり、過去の村上作品を混ぜ合わせたような既視感が続くからです。
「らしさ」という呪縛
これは悪口ではありません。
むしろ、村上春樹という作家のすごさと危うさは、そこにあります。読者は村上春樹に「村上春樹らしさ」を求めます。
井戸、壁、猫、異界、音楽、孤独な主人公、乾いた会話、説明されない喪失。そういうものを期待して本を開きます。そして村上春樹は、その期待を裏切りません。いや、裏切れないのです。
キムタクが「本当ですか」とは言えず、「マジで?」「ハンパねぇ」と言い続けなければならないように、村上春樹もまた、ある地点から「村上春樹ではない文章」を書くことがますます難しくなったのではないでしょうか。
問題はAIではなく反復
ここで問題になるのは、AIではありません。反復です。
AIとは、過去の膨大なデータからパターンを抽出し、それらしい文章を生成する仕組みです。だとすれば、40年以上にわたって蓄積された村上春樹の作品群もまた、読者の頭の中で巨大な「村上春樹モデル」になっています。
読者は新作を読む前から、村上春樹らしい文体、村上春樹らしい沈黙、村上春樹らしい奇妙さを予測しています。読みながら、答え合わせをしているのです。
村上春樹は「AIがつくるような小説は書かない」と言います。しかし、村上春樹が村上春樹であり続けるかぎり、その文章はAIにもっとも模倣されやすい文章にもなります。
なぜなら、揺るぎない個性があるからです。個性があるということは、パターンがあるということです。パターンがあるということは、AIに学習されるということです。
『夏帆』は新境地か、それとも壮大な実験か
『夏帆』は、単独女性主人公の新境地なのかもしれません。ですが同時に、村上春樹が「村上春樹らしさ」という呪縛から逃れられるのかを試す作品でもあります。
木村拓哉が53歳になってもキムタクでいなければならないように、村上春樹もまた、77歳になっても村上春樹でいなければならないのです。
しかし、年をとっていることは、読者も気がついています。新しさを装っても、そこにある反復にも気がついています。
村上春樹は、ある種、壮大な実験をしているようなものです。
人間は、AIにもっとも模倣されやすい文体を持ちながら、それでもAIではない文章を書けるのでしょうか。
それを乗り越えられたら、村上春樹の才能は人類の創造性をさら高めたことになるのかもしれません。








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