モジタバ・ハメネイ師の新「選民」思想

旧約聖書「創世記」第12章2節によると、神はハランにいたアブラムに対し、「私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるだろう」と述べられた。アブラムは主が言われたようにハランからカナンに向かった。その後、アブラム(アブラハム)はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大の唯一神教の「信仰の祖」となった。アブラハム・ファミリーの総人口はピュー・リサーチ・センターなどの最新データによると、全世界の人口の56%から57%を占めている。主が約束されたように、アブラハムから派生した民族は「大いなる国民」となったわけだ。

モジタバ・ハメネイ師、新年のメッセージで国民統一の重要性を強調、2026年3月20日、Tasnim通信から

ところで、アブラハム・ファミリーの長男の立場にあるユダヤ教には「神から選ばれた」という選民思想があることは良く知られている。ヘブライ語で「アム・セグラ」といい、宝石の民という意味がある。ちなみに、イスラム教専門家でバチカンのグレゴリア大学で教鞭をとるフェリックス・ケルナー神父は神への祈りでも3宗派の間で相違があるという。同神父によると、「イスラム教徒が神に委ねるのは神が全能だからだ。キリスト教徒の場合、神がキリスト(救世主)を送って下さったからだ。そしてユダヤ教徒の場合、神がユダヤ人を選民に選ばれたからだ」という。

選民意識でも3宗派間には相違がある。特に、ユダヤ教とイスラム教では異なる。ユダヤ教の場合、神ヤハウェと特別な契約を結んだのは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫である「イスラエルの民(ユダヤ民族)」だけであるという思想だ。基本的には「血のつながり」を重視する。

一方、イスラム教では、アラビア語で「使命を受けた者たち」を総じてラスール(使徒)やナビー(預言者)と呼ぶ。クルアーン(コーラン)では、特定の民族ではなく、神からの教えを信じ、正しく伝える役割を担った人々を指す。イスラム教においては、「神(アッラー)に絶対服従(イスラーム)するすべての者(ムスリム)」が選ばれた民と受け取る。その意味で、血統重視の選民意識のユダヤ教と比べ、イスラム教は信仰を持てば誰もが神の教えを広める「使命を担う人々」の仲間入りができる。

海外のイラン・メディア「イラン・インターナショナル」(7月1日付)は、興味深い記事を掲載していた。イランの新最高指導者モジタバ・ハメネイ師がイランの未来に求めるキーワードは「使命を与えられた人々」という。イラン革命以来、第3代最高指導者に就任して以来、モジタバ・ハメネイ師は繰り返し「バ・サット(ba’sat)」という言葉を用い、イラン人を単なる市民ではなく、イスラム共和国のプロジェクトを国内外で推進する使命を負う力として位置づけてきているという。

モジタバ・ハメネイ師は3月8日、専門家会議で2月28日に米イスラエル軍の空爆で殺害された父親アリ・ハメネイ師の後継者に選出されて以来、公の場で演説やメッセージを語ってはいないが、約20件の書類や文書に自身の署名をしている。その中には、お悔やみ、正式な挨拶、公式な場での挨拶など、日常的なものもあるが、少なくとも半数には同師の政治的・イデオロギー的な洞察が垣間見えるという。

イスラムの伝統において、「バ・サット」は選ばれ、神聖な使命に送られることを意味する。この言葉の本来の意味や、ハメネイ師がこれをどのような意図で使い、イラン人を「神から使命を受けた人々」と位置づけているのかが問題だ。

イスラム教において「ba’sat」とは、本来「預言者が神から特別な使命(啓示)を与えられ、民衆を導くために遣わされること(遣使・目覚め)」を指す神聖な宗教用語だ。具体的には、預言者ムハンマドが洞窟で天使ジブリール(ガブリエル)から最初の啓示を受け、イスラムの伝道という「使命」を帯びた歴史的出来事を指す。モジタバ・ハメネイ師は、この「神聖な使命を帯びて立ち上がる」という概念を、預言者個人の歴史的出来事から「現代のイランの民衆(国家)」へと拡大して適用している。

彼はイラン国民を単なる一国の「市民」としてではなく、イスラム共和国の理念(反欧米、イスラム正義の実現)を国内外へ推し進めるという「神聖な政治的・宗教的使命(ba’sat)を託された軍勢」と描写している。モジタバ・ハメネイ師の「ba’sat」の使い方は、まさにこのイスラム的選民思想を現代のナショナリズム・政治思想に転用したものと言える。

ユダヤ教の選民(アム・セグラ)が「血統による生まれながらの選び」であるのに対し、ハメネイ師の語る選びは「イスラム革命の精神を信じ、抑圧に対して神の正義のために立ち上がる(ba’satを行う)という行動と信仰」に基づいている。「神から使命を受けた民」というニュアンスを持たせることで、イランが直面している国際的な孤立や経済的苦境、軍事的な緊張を、単なる政治闘争ではなく「神から与えられた試練と、それを果たすべき聖なる使命」へと昇華させ、国民の結束を促す強力なレトリック(言葉の武器)として機能させようとしている。宗教的ナショナリズムだ。

「イラン・インターナショナル」紙のメフディ・ベイギ記者は「バ・サットは単なる宗教的な装飾以上の意味を持つ。この言葉は、イスラム共和国の第2指導者と第3指導者を結ぶ言葉かもしれない。アリ・ハメネイ師の新たなイスラム文明の計画を守りつつ、モジタバ・ハメネイ師に独自の言語を提供している。その結果、イデオロギー的な決別はなく、同じプロジェクトを継続しつつ、人々の役割をより明確に定義しようとする。単にイスラム共和国の支持者としてではなく、使命を与えられた人々として」と報じている。

第3代最高指導者に選出されてから4か月以上が経過した。モジタバ・ハメネイ師は‘隠れイマーム‘のような存在だったが、イラン国民に新しい選民思想を掲げて公の場に登場する日が近いかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年7月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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