
地方には「経営者」を名乗る団体が数多く存在する。その多くは、地域経済の担い手として期待されているはずだ。しかし現実には、その役割を十分に果たしているとは言い難い。
「経営者」という肩書と実態の乖離
地方の中小企業の多くは、世襲によって経営が引き継がれる。これは必ずしも悪いことではない。
問題は、経営能力が検証されないまま「経営者」という肩書だけが引き継がれることにある。
- 利益を永続的に生み出す仕組みを作れていない
- 人材に投資せず、賃金を上げない
- それでも経営者としての地位だけは維持される
こうした状態では、「経営者の集まり」は本来の意味を持たなくなる。
行政との関係がもたらす歪み
さらに問題を複雑にしているのが、行政との関係である。
一部の団体では、次のような構造が見られる。
その結果、経営の質を高める場ではなく、関係維持のための場に変質してしまう団体が少なくない。会員企業の中に、深刻な人手不足による経営悪化リスクを抱える先が相当数含まれているのではないか、というのが筆者の率直な印象である。
なぜ変わらないのか
本来であれば、競争によって淘汰と再編が進むはずである。
しかし現実には、
- 中小企業は政策によって過剰に保護される
- 金融は淘汰すべき中小企業を延命する
- 地域内の人材移動は限定的
この三つが重なることで、低い生産性と低賃金が固定化される構造が生まれている。
本来あるべき姿
経営者とは、本来こういう存在であるはずだ。
- 価格決定権を確立する
- 人材に投資する
- 賃金を引き上げる
その結果として、「この会社で働きたい」と思われる環境を作ること。それができないまま「経営者」という看板だけを掲げ続けることには、筆者は強い違和感を持っている。
個人的な原体験
筆者自身、地方の経営者団体の活動を幼少期から目撃してきた。筆者の父が理事長を務めていた高崎青年経営者協議会もその一つである(後年、筆者の弟もこの団体の理事長になっている)。その中で感じた違和感は一貫している。
「経営者」という肩書きと、その地位に期待される行動のレベルが、あまりにもかけ離れている。
筆者が見てきた範囲では、そう感じさせる場面が少なくなかった。もちろん、これは筆者個人の限られた観察に基づく印象であり、すべての会員・すべての団体に当てはまると主張するものではない。
この問題意識から、業界再編を通じ、中小企業の数を大幅に減らして適正化し、地方の人材流出を生み出す「悪貨は良貨を駆逐する」構造そのものを変える必要があると、筆者は小学生の頃から考えてきた。
結論
問題は個人ではない。また、特定の団体に限った話でもない。経営者の質が問われないまま存続できる構造そのものにある。
地方経済を再生するために必要なのは、「経営者」を名乗ることではなく、経営の結果で評価される仕組みである。ほとんどの中小企業ではコーポレート・ガバナンス(=ダメな社長をクビにする仕組み)が機能していない以上、強制力を持った別の仕組みが必要だ。
この構造を変えない限り、どれだけ「地方創生」を語っても、地方の衰退は止まらない。







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