3月16日、名護市辺野古沖で同志社国際高校の研修旅行生らを乗せた抗議船が転覆し、高校2年の武石知華さん(17)と船長の金井創氏(71)が死亡した。遺族は事故後、note「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」で、事故の経緯や学校の対応を記録し、真相解明と再発防止を訴え続けている。
ところが、7月19日に拡散された県議会の映像で、玉城デニー知事は驚くべき発言をした。
「ご遺族のnoteにも書かれていることではありますけれども、できるだけ静かにしていただきたいというのは、ご遺族の気持ちだと思います」
しかし、公開されている遺族のnoteを読む限り、「静かにしてほしい」という趣旨の記述は確認できない。むしろ書かれているのは正反対の内容だ。ネットでも、知事が遺族の意向を取り違えているとの批判が相次いだ。

遺族が求めているのは「沈黙」ではなく「調査」
遺族はnoteで、沖縄県議会に対して明確に調査を要請している。
「二度とこのような事故が起こらないよう、県議会として調査を行っていただきたい」
さらに、必要であれば遺族から直接話を聞くことにも応じるとし、「真相の解明と再発防止こそが、もっとも大切」と訴えている。これは静観を求める文章ではない。社会に事故を知らせ、関係機関に検証を迫り、同じ事故を繰り返させないための発信である。
遺族は報道関係者に対しても、noteの文章や写真を報道に利用して構わないと明記している。これほど積極的に情報を公開している遺族を前にして、「静かにしてほしいのが気持ちだと思う」と代弁するのは無理がある。
玉城知事が本当にnoteを読んだうえで発言したのなら、重大な読み違いである。読んでいなかったのなら、遺族の気持ちを勝手に想像して議会で語ったことになる。どちらにしても、県政の最高責任者として軽率だったと言わざるを得ない。

玉城デニー知事
「見ていない」から「書いてある」へ
玉城知事は6月にも、遺族がnoteで知事に投げかけた公開質問について、当初「見ていない」と発言して批判を受けた。その後は遺族の質問に回答したとされるが、今回の発言を見る限り、内容を十分に理解しているのか疑問が残る。
最初は「見ていない」。今度は、書かれていないことを「書かれている」と説明する。これでは、遺族の声を聞いているのではなく、知事にとって都合のよい「遺族の気持ち」を作り出しているように見えてしまう。
事故をめぐっては、基地移設への賛否や政治的立場が前面に出やすい。しかし、遺族自身が指摘しているように、事故の検証は基地問題とは切り離すべきだ。問われているのは、未成年の生徒を乗せた船がなぜ転覆し、なぜ2人が死亡し、学校や運航関係者、行政がどのような安全確認をしていたのかである。
知事選で問われる「寄り添う政治」の実態
沖縄県知事選は9月13日に投開票される。選挙では基地問題や経済政策が大きな争点になるだろうが、辺野古沖事故への対応も、玉城県政の姿勢を判断する材料になる。
政治家はしばしば「遺族に寄り添う」と語る。しかし、寄り添うとは、遺族の口を借りて自分の希望を語ることではない。まず遺族の文章を読み、何を求めているのかを正確に理解し、その問いに答えることである。
遺族が求めているのは、事故を静かに忘れることではない。真相を明らかにし、責任の所在を検証し、再発を防ぐことだ。
静かにしてほしいのは、本当に遺族なのか。それとも、事故が知事選の争点になることを避けたい県政側なのか。玉城知事は、他人の気持ちを代弁する前に、自分自身の言葉で説明する必要がある。







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