ゆたぼん氏と町山智浩氏がX上で言い争っている。
この種の論争は、たいてい開始からしばらくすると当初の論点を失い、「お前の態度が気に入らない」「いや、お前こそ」という話になっていく。今回もそうであった。
発端は、ゆたぼん氏が「日本に来て、日本のルールを守れない外国人とは共生できません」と投稿したことだった。町山氏はこれに「あなたは日本のルールである義務教育を拒否したですよね?」と返した。
ここまでは、まあ議論として分からなくもない。町山氏の言いたいことも分らぬでもない。
義務教育は誰の義務なのか
ここで、ゆたぼん氏は、義務教育とは子ども本人に学校へ行く義務を課す制度ではなく、子どもの「教育を受ける権利」を保障するために保護者へ教育を受けさせる義務を課したものだと反論した。
これは少なくとも制度上の論点として成立している。憲法26条が定めるのは、保護者が子女に普通教育を受けさせる義務であって、子ども本人の「登校義務」と単純に言い換えられるものではない。
ところがXなどのSNSでは、こうした細かい話より「あいつは義務教育を拒否した」という短い言葉の方が強い。
ネットは議論を分かりやすくする。そして分かりやすくした分だけ、しばしば正確さを失う。
「反知性」という便利な言葉
問題はその後だった。
町山氏はゆたぼん氏の父親の教育歴にも触れ、「反知性の連鎖」という趣旨の表現を使い、高卒認定試験についても「高1レベル」と評した。
私は「反知性」という言葉を見ると少し警戒する。
便利すぎるからだ。
相手の主張を一つひとつ検討しなくても、「反知性的だ」と言えば話を終わらせることができる。
しかも今回は本人だけでなく親まで含めて「連鎖」である。
思想や発言を批判するのと、家庭環境や親の教育歴を持ち出すのは別の話だ。知性について語っていた議論が、いつの間にか出自を論じる方向へ向かっている。
なかなか皮肉な展開である。
高卒認定を笑う必要はない
ゆたぼん氏は、高卒認定試験には毎回約9000人がさまざまな事情を抱えて挑戦しているとして、「高1レベル」などと軽く扱うことを批判した。
厳密には約9000人は受験者ではなく出願者だが、本質はそこではない。
病気や家庭事情、不登校、高校中退など、さまざまな理由で高校を卒業できなかった人が、再び大学などへの道を得るための制度である。
問題が高校1年程度だから何なのだろう。
試験の難易度と、その制度が人々に与える意味はまったく別である。
大人には大人の負担がある
町山氏の投稿には、「親まで侮辱する必要があるのか」「17歳を相手にそこまで言うのか」といった批判が相次いだ。
もちろん、ゆたぼん氏も町山氏を「おじいさん」と呼ぶなど挑発的だった。
だから「どっちもどっち」と言いたくなる人もいるだろう。
しかし、一方は17歳である。
若者が大人を挑発することと、大人がその若者の親や家庭環境までさかのぼって攻撃することは、フェアとは言えまい。
反論にも大人の節度が求められると思う。
本当に「教育された人」とは
今回の論争は義務教育の話から始まり、結局は「教育とは何か」という話になった。
学校に何年通ったか。どこの大学を出たか。どんな試験に合格したか。
われわれはそうしたものを教育の成果だと思いがちだ。
しかし、本当に教育された人とは、意見の違う相手をどこまで人間として扱える人なのかもしれない。
腹を立てたときにどこまで節度を保てるか。年下の相手にどんな言葉を使うか。
知性というものは、試験の点数より、むしろそういう場面で表れる。
今回の論争が浮かび上がらせたのは、案外その程度の、しかし非常にやっかいな問題なのだと思う。
ちなみに町山氏は、早稲田大学高等学院を経て早稲田大学法学部卒業という経歴である。











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