高野山奥之院:1200年の時を超える祈りの聖地へ

8月の下旬、難波から南海電車に乗って高野山までやってきました。

橋本までは都市部の近郊路線でしたが、そこから先は急激な山道。鉄路はどんどん山の中を進んでいき、ここ、極楽橋駅で終点となりました。

目的地の高野山へは極楽橋駅からさらにケーブルカーに乗って行く必要があります。極楽橋駅は駅の外には何もなく、ほぼ100%ケーブルカーに乗り換えるためだけの駅です。

ケーブルカーでさらに山を登ること5分。高野山駅に到着しました。が、高野山駅前には高野山の寺社は全くなく、ここからさらにバスに乗って行かないといけません。いくつもの交通機関を使わないと到達できない高野山。山の奥にあるというイメージも相まってとてつもない秘境感を感じさせます。

ところが高野山の寺社が並ぶエリアに来ると秘境感などなく、こうした街並みが広がっています。高野山は急峻な山の上にあった平野に開かれた山上都市。山の上に寺だけがぽつんとあるのではなく、寺を中心にして町が形成されています。

バスに乗って30分強、高野山の一番奥にある奥之院にやってきました。

ここは今も僧侶が修行をしている場所であり、肌の露出の多い服装は禁じられています。

奥の院のバス停から、高野山奥之院まで10分余りの道のりを歩いていきます。なぜだかわかりませんがどこか身の引き締まる思いがします。

後で紹介しますが、ここは多くの皇族や武士たちが眠る場所であり、お墓が多く並んでいます。そんな中、奥之院の入り口付近には企業や団体の墓や供養塔が数多く並んでいます。こちらは日本しろあり対策協会が建てたしろあり塚。多くのしろありを駆除してますから、その供養をしています。

こちらはアデランスの供養塔。若い人たちに大きく羽ばたいてもらいたい、という思いから創業50年の記念に建立したそうです。でも何の供養…?

ユニークなUCC上島珈琲の供養塔の向こうはエレベーター会社の慰霊碑もあります。エレベーターの点検時に亡くなった方や、エレベーター事故で亡くなった方を供養しています。

企業の供養塔群を抜けると杉木立が現れます。どれも樹齢200から600年の長きにわたり奥之院を見つめてきた杉であり、県の特別天然記念物に指定されています。

杉木立の中に、武家たちの墓が見えてきます。こちらは安芸浅野家の墓。ちなみに高野山の武家の墓には鳥居が多いですが、この時代は神と仏を一体視する神仏習合の思想が強く働いており、供養塔を神として祀るために鳥居が設けられたことが最大の理由だと考えられています。

こちらは豊臣一族の墓所。秀吉をはじめ秀長や彼らの夫人などの一族の墓となっています。豊臣秀吉は織田信長とともに高野攻めを行っていましたが、のちに取りやめ、逆に庇護して復興に努めたという経緯があります。

こちらは左が武田信玄、右が武田勝頼の墓所。このほかにも石田三成など多くの戦国武士の墓が並びます。即身成仏され今も奥之院の御廟で永遠の瞑想をされているとされる弘法大師空海のもとで供養されたいという思いが強かったことから、この場所に墓が集まるようになりました。

墓所を抜け、奥之院の最も奥、御廟の入り口である御廟橋にやってきました。弘法大師が今も生き続けるとされる御廟。この先は聖域であり撮影は禁止されています。朝6時と10時半には生身供(しょうしんぐ)と呼ばれる弘法大師への食事のお供えがなされます。今も生きている弘法大師への食事の提供は僧にとって大切な修行のひとつです。

帰りも同じ道をたどっていきます。墓所のほかにところどころ地蔵や道祖神のようなものも建てられていて、それらが言葉に表せない神秘的な空気を漂わせてくれます。

いろんな顔があって面白い。

木の下にあるのは天然の雨除け

山の中に開かれた奇跡の宗教都市、高野山。その奥にひっそりと佇む奥之院は、1200年の時を超えて今なお弘法大師が眠り続ける神秘の聖地でした。周囲に広がる苔むした武将や名だたる人々の墓所も、ここでしか味わえない厳かで特別な空気を感じさせてくれます。御廟では弘法大師に祈りを捧げ、その庇護にあずかれるよう襟を正し、これからも正しく生きていかなければならないと気持ちを新たにしました。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年9月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

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