「頭が悪い」は自己分析ではなく思考停止だ

先に結論を書いておく。「自分は頭が悪いから」というセリフは、自己分析ではない。ただの思考停止だ。

ラノベの主人公なら、ここでステータス画面が開く。筋力、敏捷、魔力、幸運。項目がずらりと並び、どこが高くてどこが低いかが一目でわかる。ところが現実の人間は、自分の頭を「知力:低」の1行で片づけてしまう。雑すぎないか。ゲームのほうが、よほど丁寧に人間を見ている。

科学的に証明された 頭のいい人が習慣にしている 学び方の戦略』(堀田秀吾 著)アスコム

テストの点は冴えないのに、こじれた話を筋道立てて説明し直せる人がいる。図や地図を渡した途端に理解が進む人がいる。バラバラの情報をつないで、新しい案をひねり出す人もいる。全員、頭がいい。点数という1項目しか見ていないから、見落とすのだ。

これを理論にしたのが、ハーバード大学のガードナーが唱えた「多重知能」である。ガードナーは知能を「問題を解く力」に限らず、「その文化のなかで価値のあるものを生み出す力」にまで広げた。

言語、論理数学、空間、音楽、身体運動、対人、内省、博物(自然)。この組み合わせを「知能のプロフィール」と呼ぶ。要するにステータス画面だ。全項目カンストである必要はない。どこが強く、どこに伸びしろがあるかを知れ、という話である。

と、ここで「いい話だなあ」と終わりそうになる。終わらせない。この理論、けっこう叩かれている。

ザ・カレッジ・オブ・ニュージャージーのウォーターハウスは、多重知能が教育現場に広まっているわりに、それを直接裏づけるデータが足りないと指摘した。ブロック大学のヴィッサーらは約200人を対象に8つの知能領域を調べ、領域の違う成績どうしが連動していたと報告している。別々のはずの能力が、一緒に上下する。背後に共通の力がいる、ということだ。

この共通の力、じつは20世紀初頭にスピアマンがとっくに論じていた。さまざまな能力テストの成績は、同じ方向に動きやすい。だから、どの課題にも広く関わる共通の力「g(一般知能)」と、課題ごとの得意・不得意である「s」がある、と。ゲームで言えば、全スキルの底に流れる基礎レベルと、個別のスキル値だ。たった1個の才能でもなければ、完全にバラバラな能力の寄せ集めでもない。身も蓋もないが、これがいちばん腑に落ちる。

では、多重知能は役立たずか。私はそうは思わない。裏づけが足りないという批判は、その通りなのだろう。それでも「自分に合った入口を探す地図」としては、いまも使える。文字でピンとこないなら、図にする。暗記が苦手なら、リズムやメロディに乗せる。書けないなら、しゃべって説明してみる。入口を変えるだけで、同じ学びでも噛み合い方が変わる。

だから「頭が悪い」の1行で自分を片づけるのは、もうやめたほうがいい。それはステータス画面を開きもせずに、冒険を降りるのと同じだ。共通の土台を意識しつつ、得意な項目から入って、隣の分野へ橋をかける。地味な攻略法である。チート能力は、残念ながら誰にも配られていない。

※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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