8月下旬、高野山を旅しました。

高野山エリアの奥にある奥之院から少し駅側まであるき、高野山の街並みが広がるエリアへ。電車とケーブルカーで上り詰め、さらにバスで行った先にこんな町並みが広がっているなんて思わなかったです。

中にはなかなか昭和風情溢れるお店も並んでいます。こちらは弘法灸などを売る薬局。このエリアで胃腸薬として使われる陀羅尼助(だらにすけ)なんかも売られています。

古く風情のある建物が並ぶ商店街。

奥之院からの戻り路にある苅萱堂(かるかやどう)。筑前博多の領主が二人の夫人がいがみ合い殺害しようと企てたことで領主の地位を捨て出家し、苅萱道心として修業をした場所です。のちにその夫人が生んだ子、石童丸もここを訪ね、ともにここで修業を積んだとされています。

平成27年、高野山開創1200年記念の際に172年ぶりに再建された中門。

江戸時代末期の作品とされる二天像。
そんな商店街を抜けてやってきたのは金剛峯寺壇上伽藍の入り口。高野山の観光のもう一つの目玉です。弘法大師空海が高野山に入り最初に開いたとされる場所で、平安時代初期に20年もの歳月をかけて寺院づくりに取り組んだとされています。
金堂や根本大塔などの建物が集まるこの一角は「壇上伽藍」と呼ばれており、ここに御堂や塔を建てて弘法大師空海の密教思想に基づく「胎蔵曼荼羅」の世界を具現化していていきました。

金堂
金剛峯寺の中心的な役割を担うのは金堂。金剛峯寺の中心的な建物であり、主な行事が執り行われる場所です。

赤く、ひときわ目を引くのが根本大塔。昭和12年に再建された五間多宝塔で、仏壇には大日如来が祀られています。屋根などは木造ですが土台は鉄骨鉄筋コンクリート。伝統的工法を守りながらも頑丈で火災に耐えうる構造にしようと工夫がなされています。


修学旅行生が六角曼荼羅の周りに集まっていました。持ち手を掴んで押しながらぐるっと一周するとお経を読んだことになります。にしても高野山に修学旅行とはなかなか渋い。旅行中あんまり見かけることはなかったんですが、京阪神では結構多いんですかね?

壇上伽藍を一回りしたあと、少し人里離れた場所へと歩いていきます。

不動坂口女人堂
10分強ほど歩いたところに1軒の建物があります。ここは不動坂口女人堂。明治の初めまで高野山は女人禁制の地でした。そのため、高野山参詣道の入り口には女性の籠り堂として女人堂が建てられました。
不動坂口女人堂は高野山に徒歩で入る入口の中で今もなお現存する唯一の女人堂であり、当時の信仰形態を今に伝える貴重な建物となっています。なお、堂内には不動明王が祀られており、高野山における貴重な祈りの場となっていました。

お竹地蔵尊
不動坂口女人堂の向かいに建つ大きな地蔵はお竹地蔵。江戸時代の女性、横山竹が亡くなった夫の供養のために不動坂口女人堂に滞在中に夢に菩薩地蔵が現れたことから寄贈したものです。そのため、のちに高野山を襲った大地震の際には復興を願う多くの方がここで祈りを捧げたといいます。



女人堂に別れを告げ、今度は壇上伽藍を挟んで反対方向に歩を進めます。やってきたのは大門。高野山の西端の入り口にあたる場所に建っています。九度山から高野山に至る聖なる道、町石道(ちょうせきみち)はここに通じ、高野山に入る正門としての役割を果たしました。
現在の大門は火災で焼失後、安永2(1705)年に再建されたもの。その姿はまさに荘厳でここから聖域に入ることを参拝者に知らしめる存在となっています。

旅好きな私ですが、実は高野山は今回が初めての訪問でした。平安時代に山上に開かれた密教の聖地は、現代でもなお容易にたどり着ける場所ではなく、その道のりさえも特別な巡礼のように感じられます。だからこそ、到着した瞬間の感動とありがたみは格別でした。
今も真言宗の僧侶たちが修行を続ける信仰の山、高野山。1200年にわたって紡がれてきた祈りの歴史を感じながら、その奥深い世界を一緒に歩いてみたいと思います。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2026年9月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。







コメント