私の会社に来るインターンシップの学生への座学の1つに日本と北米の違いを教えています。日米、ないし日加の歴史的な変遷の話もあるし、考え方の違い、人種的な違いなどをカバーします。多民族国家である点は学生がカナダにきた瞬間にわかりますが「街を歩いている人はどんな人だい?」とあえて聞けば「そうですよね」とそこで明白な違いを意識し始めます。「ではその人たちは何処から来ているのだろう」という展開をしていくと最後には様々な人々が根幹に持つ宗教心に行きつきます。
世の中、宗教を理解しなければ国際感覚は身につけられない、と断言してもよいと思います。しかし、この宗教を理解しようとするととても厄介だし、何をもって理解したのかわかりにくいところもあります。
私も学生らに説明しながら自問することもしばしばでした。大きな括りは一神教VS多神教ですが、日本を多神教の神道と捉えがちですが、今日はあえて仏教という切り口で考えてみます。
一神教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、それらをあえて西洋宗教と呼びます。これらの共通点は神との契約であること、その教えを信じること、契約違反をした時の対処が理路整然としています。仏教を含む東洋宗教も西洋宗教も最終的には「救われる」という目的を持っていますが、そのプロセスが違うのです。西洋宗教は「契約をして戒律を守ること」により救われますが、仏教の場合は自分の煩悩を断ち切り、悟りを開くことを目指す点でハードルの高さが違っていました。
ところが仏門に入り、僧侶になり修行を重ねる別次元の世界が一気に下がったのが大乗仏教の普及です。これは誰でも救われるためにハードルを一気に下げた教えで、日本に伝わった仏教のほぼすべては大乗仏教です。そしてその教えの原点のひとつは「利他の心」です。つまり日本人の心にこの教えがしっかり植え付けられているのは紛れもなく大乗仏教の流れとも言えます。他方の西洋宗教は基本は自己の救済ですのでそもそもの立ち位置が違うのです。
仏教にも大乗仏教に対する小乗仏教(現在では上座部仏教と称します)は自己の追求であります。ただし、小乗仏教は仏がどこかに連れて行ってくれるわけではなく、自分で悟りを開く点で厳しく、100%自己努力の世界になります。西洋宗教は他力本願的な点は否めません。
大乗仏教の影響がある日本人は安寧を最も重視しています。「世界が平和でありますように」とか「皆が今年も元気でいられますように」といったお祈りがその典型であり、自分がどれだけ穏やかに一生を終え、死後も安心して極楽に行けるように案じる点において西洋宗教的な教義がなくても多くの日本人には共通の意識があるとも言えます。
ところで西洋宗教は契約社会であり、これが現代社会における契約の意識につながったともいえそうです。つまり西洋では生まれながらにして契りという関係の中で枠組みが成立し、その契りのために交渉術なるものが生まれたとも言えます。
日本で契約書が意識されて西洋的になってきたのはこの数十年の話で、それまでの契約書はとてもシンプルでその条文の最後に「… お互いに信義を重んじ、誠実にこれを行うものとする。… 疑義が生じた場合には双方誠意をもって協議のうえ、円滑に解決を図るものとする」とあります。
私が日本で不動産の業務をしていた時の契約書は必ずこの文言が入っていたのですが、実にあいまいで契約当事者が善人である前提の契約構造にあるとも言えます。北米の契約書は契約違反とその対処が延々とつづられており、やけやたら長い契約書の構造はあらゆるケースを網羅し、文章化し、取り決めるというスタンスにあるのです。

世界は宗教で動いている ホワイトハウスHPより
宗教的バックグラウンドの違いで人々のものの考え方やアプローチの仕方はずいぶん変わります。もちろん、すべての人が同じ宗教色ではないので断じることはできませんが、このような歴史的変遷を知っておくと西洋人を理解しやすいし、逆に西洋人は日本人を理解しやすいともいえそうです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年10月18日の記事より転載させていただきました。







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