EUの「連帯」と国家の主権
以前、「私、オルバン首相のファンです」と言ったら、ハンガリーの首都、ブダペスト駐在の商社員は一瞬言葉に詰まった後、「変わった方ですね」と笑った。ハンガリーのオルバン首相は、西側の常識ではそれほど「悪者」になっていた。
ここ10年ほどのEUの欧州委員会(EUの内閣に相当)との対立は激しく、特にフォン・デア・ライエン委員長との犬猿の仲はつとに有名だった。しかし、そのオルバン首相も今年4月の総選挙で敗退し、現在は若いマジャル氏がハンガリーを率いている。

ドナウ川沿いに立つハンガリーの国会議事堂
筆者撮影
フォン・デア・ライエン委員長がオルバン氏を忌み嫌ったのは、彼の確固とした国家観による。EUの欧州委員会は「国家」や「国境」が大嫌いで、EUの連帯を口実に、自分たちが大ヨーロッパを支配することを目標としている。
それに対しオルバン氏は、たとえEUの連帯のためとはいえ、自国の主権やアイデンティティを放棄するわけにはいかないという強い意志を崩さなかった。
対立が誰の目にも見えるようになったきっかけが、2015年の夏、独メルケル首相が中東難民に国境を開いたときだった。普通の施政者なら、誰が、どこから、何人、自国に入ってくるかを管理するのは、主権国の重要な任務の一つだと考える。
ところが、メルケル首相はそう考えず、それどころか多くのドイツ国民までが自分たちの「人権尊重」に酔いしれ、「refugees welcome!」と熱狂しながら無制限に難民を受け入れた。国境が開放され、誰でも勝手に入れるような国は、はっきり言って国ではない。ドイツのその姿に、当時、ハンガリーはもちろん、多くの国が驚愕した。
ドイツはその後、今に至るまで国境の管理ができないままだ。スウェーデンやデンマークなど、かつての移民受け入れ模範国が、すでに門戸をきっちりと閉めてしまった今、難民はドイツを最後の拠り所として、あらゆる隙間からEUに入り込もうとする。違法であろうが何であろうが、一旦、ドイツまで辿り着けば、追い出されず、しかも潤沢な現金支援が受けられる。ドイツは今や、難民をEUに吸い込む強力な掃除機のようになってしまった。
移民の急激な増加は、治安の悪化だけでなく、教育や社会保障の崩壊、テロの増加など、社会にさまざまなマイナス面をもたらした。不法入国者もいつしか滞在を容認され、そのうち仮の滞在許可を手にする。しかも、ウクライナ人は全員、最初から難民資格を得られるので、今ではドイツの生活保護受領者の半分が外国人だ。
難民の勢いは止まらず、その犠牲になったのがイタリアだ。地中海経由の難民が爆発的に増え、その対応に苦しむイタリアを救うため、EUは、EUに入った難民は加盟国が手分けして引き取るということを決めた。
しかし、オルバン氏は、「イスラムという異なった文化の急激、かつ無制限な流入は甘受できない」として中東難民の引き取りを拒絶。そう考えたのは、もちろんオルバン氏だけではなかった。
ポーランド人で、EU議会の副議長の一人であるKrasnodębski氏も、
「メルケル首相が難民に国境を開いたのは、ドイツの歴史のセンシティブな点と関係しているのだろうからドイツの勝手だが、それをEUレベルで行えというのはおかしい。EUの規定に、マルチ文化にならなければならないなどとは書いていない。ポーランド国民は、祖国を、現在、フランスの多くの街で見られるような風景にするつもりはない」
と突っぱねた。そして、EUの欧州委員会はそれを反民主主義だ、反人道だとして非難した。
„Die EU will ein Exempel an Polen statuieren“

西欧の説教に屈しない中欧の誇り
ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアが、「ヴィシェグラード」という地域グループを組んでいることは、日本ではあまり知られていない。
これらの国々は中世、強大な富と文化を誇り、中欧を広く支配していた。ソ連時代は冷戦の陰に隠れ、ソ連崩壊時には極度に疲弊したが、今やその復権は目覚ましい。特にハンガリーの国民は、ソ連の崩壊を促し、自らの力で民主主義を手にしたというプライドが強い。確かに、ハンガリーの力がなければ、ベルリンの壁の崩壊は何年も遅れていたかもしれない。
ヴィシェグラードというのは、ハンガリーの北にある町で、ハンガリー、ポーランド、ボヘミアの王が1335年、ここで会議を開いたことに因んでつけられた。日本に例えれば、南北朝時代の出来事に誇りを感じ、それを現代に持ち込んで頑張るようなものだ。これだけでも、彼らの自信が伝わってくる。EUという面妖な組織の中で、できる限り自分たちが損しないよう、彼らは決して注意を怠らない。
ヴィシェグラードの国々は、小国にもかかわらず、戦闘的なドイツ騎士団、その後は、ロシアやプロイセンなど、様々な強国と対峙し、しばしば苛まれてきたという歴史があるので、外交もそれなりに巧みだ。今でも緊張感は捨て去らず、おそらくドイツやフランスに対してさえ、警戒心を完全に解くことはないだろうと想像する。いずれにせよ彼らは、西欧から民主主義について講釈されるなど噴飯物だと思っているはずだ。

壮麗な装飾が施された国会議事堂の大階段
筆者撮影
ブダペストに残る、失われた日常
9月末、ハンガリーの首都ブダペストを訪れた。ハンガリーに対する私の期待値は高かったが、ブダペストはその期待を全く裏切らなかった。
町は清潔で、人々は穏やかで、親切で、電車の中は整然としていて、まるで優等生が並ぶ教室のようだった。そして、何と言っても、公共の乗り物にも建物の壁にも落書きがなければ、壊された物もなく、荒れた人々の姿もなかった。ホームレス風の人は、大きな駅の地下構内で2人ほど座っているのを見かけただけだった。
ドイツの都会の光景とのあまりの落差に、私は愕然とした。夜遅く、市電に若い女性が一人で乗っているのを見た時には、ヨーロッパにはまだこんな国があったのかと感動さえ覚えた。
その時、ふと、40年前のドイツを思い出した。「昔のドイツはこうだったなあ」と。
今のドイツでは、都会で夜遅く、女性が一人で電車に乗るなど考えられない。この落差を全て難民のせいにする気はないが、ここ10年ほど、難民で溢れかえる西ヨーロッパの町の風景が変わってしまったことは事実だ。その悲しい変容に、昔を知っている人間なら誰でも気づいている。
ただ、ハンガリー人が自分たちの町の素晴らしさに気づいているかどうかはわからない。日本人も同じだ。電車や駅が清潔で整然としていて、大きな町の中央駅のそばに綺麗なホテルが立ち並ぶ。もちろん、治安も良く、その周りに得体のしれない人たちがたむろしていることもない。そして、ハンガリー人も日本人も、それが当たり前だと思っている。
気がつくのは、おそらく、それが当たり前ではなくなった時。でも、その時には、もう遅い…。
政権交代で「ドナウの宝石」はどう変わるか
さて、今後、ハンガリーはどうなるのか? オルバン首相は、これ以上のウクライナ支援はさらに多くの若者を戦死させるだけだと言って、去年から俎上に乗っていた支援をブロックし続けていた(EUの欧州理事会で重要なことを決める時は全会一致でなければならない)。
しかし、就任後、すぐにこれにゴーサインを出した新首相は、今度は移民受け入れにもOKを出すのだろうか。
移民政策にはすでに多くの前例があるのだから、将来の姿を予想することは簡単だ。同じ間違いを繰り返す愚はないと、これは、日本の政治家にも強く訴えたい。

夜のドナウ川と、ライトアップされた国会議事堂
筆者撮影
ドナウの宝石、ブダペストの風景を思い出し、10年後にはどうなっているのかと想像すると、少し憂鬱な気分になる。







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