10月27日から11月9日までは読書週間ですが、話題にもならないし、今の時代、知らない人が殆どでしょう。私は書籍事業を行っているので今日はそのあたりの話をしてみたいと思います。
バンクーバー中央図書館に納書している関係もあり、いろいろな話は聞こえてきます。例えば朝井リョウの「イン・ザ・メガチャーチ」は今年の本屋大賞を受賞したこともあり、累計50万部越えの大ヒット作品ですが、バンクーバーの図書館にも当然納書しています。現在、待ち人数は10名を超えるので1年で順番が回ってくるかどうか、という感じです。
普段図書館に行かない方は借りたい本の待ち時間の長さに驚くことでしょう。これは洋の東西を問わず同じ現象が起きています。日本では同じ本がどれぐらい待ちになっているかというと杉並区の図書館で2100人と出ているそうです。恐ろしいほどの数です。図書館の人気新刊書の数百人待ちは当たり前でこのような大ヒット作品だと数年待って借りられるかどうか、というレベルになります。そして数年後、その本はどれだけ皆さんが丁寧に扱ったとしてもボロボロになってしまいます。
多くの方はこう問うでしょう。「買えばよいのに」と。今や新刊の単行本ならば2000円越えは当たり前、文庫本でも1000円の時代です。買える人はとっくに買っているわけで、買えないけど読みたいという人は想像以上にいるともいえます。
もう1つは本を家に置いておきたくない、という方もいらっしゃいます。5冊、10冊なら問題ないのですが、読書好きな人なら年に100冊も読むわけで、10年で1000冊、30年で3000冊となれば「床が抜ける!」という重さになり、もう置けないから買わない、あるいは読んだらすぐにブックオフ行きになるのでしょう。
電子書籍が流行っているのではないか、という声もあると思います。実はこれが全然伸びていないのです。例えば上述の「イン・ザ・メガチャーチ」の場合、紙の本が47万部で電子書籍版は3万部なのです。つまり全体の6%です。実は私ども紙の本を扱う者にとって5-6年前に電子書籍が普及し始めた時、非常に危機感を抱きました。「もしも世のトレンドが紙から電子に切り替われば我々は販路を失う」と。電子書籍を取り扱うのは大手販売店や出版社直営などでいわゆる「中抜き」ビジネスなので我々は存在意義を失うわけです。
ところが皆様お気づきの通り、電子書籍は紙の本とほとんど同じ価格で売られているのです。理由は紙の本は既にインフラが確立され、紙にする費用は書籍の1割程度で収まるのです。1000円の本なら100円程度です。一方の電子版の場合、フォーマットを変え、システムを整備する費用、そして最大の難所はアマゾンなどでの販売手数料が30%近くかかり、バカ高なのです。
私は書籍出版会社に打ち合わせに行くたびに「電子教科書はどうですか?」と聞きますが、笑顔で答えた会社はゼロです。中には「大赤字です!」と怒りを見せた出版社もあります。売れない上にコストが高く、更に先生方からも不評となればいいことまるでなし、なのです。
デジタルデトックスがにわかに注目される中、読書に没頭できるのはある意味、心地よさすらあります。今、私が読んでいる司馬遼太郎の「十一番目の志士」は上下2冊なのですが、ほぼ一気読みの状態で間もなく完読します。司馬遼太郎は小難しく、文章に引っかかりがある作品が多くある半面、この作品のように幕末の主要人物が次々出てくるのにストーリーが非常に明瞭でわかりやすいものは東野圭吾のエンタメ系書籍のような軽さで読めるのです。
レコードが復活したように人は必ず回顧主義的な変化を見せます。書籍もいつかは復活するのでしょう。その中で冒頭述べたように図書館の待ち時間は尋常ではないことを世の中の人は知らなさすぎる、そして地方自治体が図書館の図書購入に充てる予算はあまりにも少なすぎると思います。
また図書館の蔵書も図書館の立地条件に応じて、お堅い図書館司書様の学術的見地から広い分野をまんべんなく網羅するという発想から「読まれる本だけ入れる」というスタイルに変えていくことも必要です。バンクーバー中央図書館からはいつも選書に関してリクエストがあり、ノンフィクションはどんどん肩身が狭くなり、売れる小説が主体であり、先般も東野圭吾氏がお亡くなりなったこともあり、図書館から古い作品など入手可能なものを全部、と言われ156冊を納品しました。このような粋な計らいが日本の図書館にも欲しいところです。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年11月4日の記事より転載させていただきました。








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