東南アジア諸国連合(ASEAN)や米国、日中韓などが参加する東アジアサミットが今月20日、カンボジアの首都プノンペンで開かれた。筆者も同時期に、ベトナム~カンボジア~タイなどの東南アジア諸国を来訪し、日本企業の進出状況などをつぶさに見てきた。そして、まさに高度成長期である、これらの新興国の経済を肌で感じてきた。こうした国々は、毎年GDPが増え続けており、通貨はインフレ気味である。成長が止まり、デフレ経済である老衰国の日本とは対照的だ。そして、筆者がASEAN諸国を訪れている時、民主党の野田佳彦首相が衆院の解散を発表し、日本は選挙戦に突入していた。
選挙はやってみないと分からないが、今のところの世論調査によると、自民党が第一党になる見通しで、次期総理は自民党の安倍晋三総裁ということになる。先日発表された安倍氏の公約を見ると、日銀法の改正や、インフレターゲット、外債購入ファンドの創設など、円安に誘導するための、いわゆるリフレ政策が公約されている。
さて、通常の金融政策、そして短期国債などをゼロ金利にしてもなおも買い続ける量的緩和によって、インフレに誘導したり、円安にすることができるかどうかに関しては、様々な議論があるが、こうした狭義の量的緩和の外にまで踏み出せば、インフレにしたり、円安にすることは簡単にできる。自国通貨を安い方向に誘導することは、自国通貨を刷ってターゲットの水準(例えば1ドル=120円)になるまで売り続ける無制限介入をすればいいだけだ。固定相場制とはそういうものだ。また、自国通貨の信用を無くしたいならば、政府が国債を大量に発行して、それを間接的にせよ、直接的にせよ、中央銀行に買い取らせてお金をばら撒けばいいだけである。自民党の公約は、外債購入ファンドや、大規模な財政出動など、そういった方向に一歩踏み込んでいて、筆者は非常に危険だと危ぶんでいるが、そのことについては今日は議論しない。
筆者が非常に気になっていることは、あたかも円が安くなると、日本の所々の経済問題が解決され、人々の暮らし向きがよくなるということが当然の前提になっていることである。どうも世の中の人たちは、円が安くなると、海外に出ていった工場などが日本に戻ってきて、多くの雇用が回復し、景気がよくなると思っているようだ。しかし、ちょっと待ってほしい。筆者は、円安になっても、日本の雇用はほとんど変わらず、それどころか輸入品の値段が上がって、多くの庶民に暮らしはもっと苦しくなることしか想像できないのだ。
中国の工場労働者の月給は約250ドルである。しかし、この250ドルというのはすでに高すぎるので、日本の大企業をはじめ、多国籍企業は工場を中国からさらに人件費の安い国に移そうとしているのだ。そして、ベトナムなどが最初の候補地になった。ベトナムの工場労働者の月給は約100ドルである。こうした中国からの工場の移転などで、月給はさらに上昇傾向だ。そして、カンボジアの工場労働者の月給は約60ドルである。一方で、日本の工場労働者の月給は4000ドルを超えている。
円安に誘導して、一ドル100円ぐらいにすれば、日本の工場労働者の月給は3200ドルぐらまで下がるかもしれない。しかし、だからなんだというのだ? 日本の大企業は中国の250ドルでさえ高すぎる人件費を懸念し、生産拠点を他のアジア諸国に分散させようとしているのだ。日本人の月給が少し安くなったところで、そんなことは全く意味が無いのである。はっきり言っておこう。どれだけ円安になっても、世界に出ていった日本の工場が戻ってくることもないし、生産拠点を海外に移す流れは変わらないのだ。つまり、円安になっても雇用には関係ない。
円安になれば、日本のメーカーなどは海外で多くのビジネスをしているので、円で見た時の見た目の業績は改善するかもしれない。しかし、それによって報われるのは、メーカーの経営陣や一部のホワイトカラーなのである。そして、おせっかいにもこうした業界を指導し、補助金などによって歪んだインセンティブを与え、深刻なレントシーキングを引き起こしてきた経産省などのお役所の面子も保たれるというわけだ。結局のところ、円安は、本来はドラスティックに資本の力で再編しなければいけない、日本の輸出産業をだらだらと延命させるだけであり、日本経済にとって一番必要な、痛みを伴う産業構造の変革が先送りされてしまうのだ。
一方で、円安は庶民の生活をダイレクトに直撃する。日本はエネルギーのほぼ全てを輸入に頼っており、円が安くなると電気代や輸送コストなど、さまざまな価格が上昇してしまう。また、輸入食材の値段が上がることによって、食費は上昇する。牛丼屋やマクドナルドなどは真っ先に値上げを強いられるだろう。ほとんどの人の給料は増えないし、雇用も増えないにもかかわらず、だ。