選挙の選択(その2)―「反消費税増税」論には、負担の覚悟が不可欠!

北村 隆司

世界の先進民主国家を敢えて分類すると、「高負担、高福祉」の北欧型民主国家と低負担、低福祉の米国型民主国家に分かれる。

消費税増税に反対する日本人の多くは、北欧各国を理想とする人が多い。私も最近の米国を見て、北欧型民主主義の方が日本の国民性に合っていると思う様になった。

問題は右肩上がりの必要原資の調達方式である。

消費税増税の可否が問われる今度の選挙は、どちらの福祉制度を選ぶかを国民に迫る選挙でもある。これまでのように「低負担、高福祉」国家を期待しているとすれば、国が破綻する事は間違いない。


北欧各国の税負担を、最新のIMF統計の「対GDP歳入比率」で見てみると、ノルウェー 57.96、デンマーク 54.81、スウェーデン 49.06 となっており、日本の税負担係数の30.56は、北欧各国に比べて極端に低いだけでなく、低負担、低福祉を国是とするアメリカの 31.4よりも低い。

と言うことは、日本国民が現在の福祉の継続を望むのであれば、、抜本的な統治機構の変更と税負担の増額しかない。それも半端な数字ではない。

この決断無しに「消費税増税反対」だけを叫ぶのは余りにも子供じみており、「増税の前にする事がある」などと言うスローガンで片つけるのは、国民に失礼である。

福祉原資の確保は、老齢化の進む北欧各国でも悩みの種で、失業の防止と福祉の担い手である若年労働者の確保に腐心しているが、未だにこれはと言う回答を見つけた国はない。

それでも老齢化の防衛策として移民の受け入れをしている北欧と異なり、移民の受け入れを拒ばみ、職場によっては稼ぎ手の若者不足に加え、米国の3倍近い電力料金を課せられる日本の福祉や企業は、北欧以上の難題を抱えている。

この国状は、増税より経済成長を重視する上げ潮派にとっても厳しい環境で、がんじがらめの規制で労働市場の流動化や企業の自由も制限されている日本では、80年代の米国の様に、企業が生き延びる為に、工場の海外移転を選択する必要も出てきた。

この状態が続けば、企業の年金拠出額は減る一方、年金支給額は増えると言う悪のスパイラルに襲われる事は間違いない。これでは長い間に亘り、強い国際競争力を基に貿易黒字を維持して日本を支えて来た日本の工業の将来も暗い。

この閉鎖状態を壊さない限り、経済の拡大を優先する上げ潮論者に必要な、経済成長の実現の見通しも立たない。

奇妙な事に、増税反対派のマニフェストや公約を見ると、相も変らず「規制による保護」と、政府の再分配を当然とする「お頂戴経済」や、覚悟も無い「ればたら経済政策」のオンパレードで、誠に頼りない。

要するに、これ等の政党の主張は、永久野党を前提とした市民運動的な政治の域を出ていないと言うことだ。この様な政党に投票する意義は何処にあるのであろうか? はなはだ疑問である。

参考までに、IMF統計で北欧各国の対GDP負債比率を見ると、スウェーデン 37.92、デンマーク 44.09、ノルウェー 49.61 となっており、税負担の高い 順に健全財政となっている。

一方、低負担の日米両国の対GDP負債比率は、日本 214.1、アメリカ 108.6で、両国の財政が破綻状態である事が良く判る。

不思議なのは、消費税を除けば、所得税、法人税の実効税率は割高と言われる日本の対GDP歳入比率が、先進国で最も低い事だ。

その犯人は、徴税とは名ばかりの、「ジャ、ジャ漏れ」漏税制度か、現金をを利用した「アングラ取引」ではないか? と言う疑問にぶち当たる。

税番号がない事を利用した、自営業者などが中心の「税金逃れ」も巨額に上るに違いない。

皮肉な事に、脱税に関するある国際世論調査によると、脱税は「全く間違っている」と回答したのは、日本が世界諸国で最高の81.3%。つまり8割以上の日本人が「脱税は絶対許せない」という正義感を持っていることである。

これだけ正義感の強い日本国民には、ギリシャの様に違法と知りながら白昼堂々と脱税する度胸も、米国の様にロビーストを動かして法律を変え、倫理にもとる脱税を「合法」と見做させる器用さもない。

先進国で、政府への届け出義務も無しに大型の現金取引が許される国は日本位で、小沢氏の様に4億円もの巨額の現金の受け渡しをしたら、直ちに資金洗浄の疑いが掛けられるのがおちである。日本以外に、税番号の無い先進国も聞いた事が無い。

日本には「備えあれば憂い無し」と言う言葉があるが、今回の消費税増税決定もその一種である。
原発事故では「政府や東電」の備えが足りないと非難した政党に限って、「消費税増税」と言う財政破綻への備えを非難して平気なのも不思議である。

政治家やマスコミは勿論、国民も「事件」が起きないと現状を改めない平和ボケを改め、そろそろ、子々孫々の世代の為に備えを覚悟する時代に来た。

少なくとも、福祉と負担は裏腹の関係にある事くらいは認識すべきである。

2012年11月29日
北村 隆司