松井秀喜引退と団塊ジュニアの前途 「俺たちの時代」に答はあるか?

常見 陽平

朝起きたら、松井秀喜選手が引退を表明していた。松井秀喜引退を通じて、年末に団塊ジュニアの前途について徒然なるままに考えてみることにする。


松井選手が平成という時代を代表する名スラッガーであり、国民的スターであることは言うまでもない。日米通算507本塁打という記録を持つ英雄は20年間の選手生活を終えようとしている。

愛する日本ハムファイターズ以外の試合を見ない私でも彼のことはいつも気になっていた。というのも、同じ1974年生まれなのだ。松井との出会いは高校3年生の時だった。未だに語り継がれる敬遠事件だった。倫理の授業でこのテーマで議論したのを覚えている。稼ぐお金で言うならば、私の一生は松井の二秒。完全に雲の上の存在なのだが、同世代としていつも気になっていた。

同世代のスポーツ選手が引退するということは誰でも気になることのようで、思えばここ数年40代の方々は「工藤やカズがいつまで続けるか」ということを話題にしていたように思う。

もちろん、スポーツ選手の引退はビジネスパーソンよりもずっと早い。ただ、同世代のヒーローが引退すると考えてしまう。

「君は生き延びることができるか?」

『機動戦士ガンダム』のナレーションだ。幼い頃からこの作品の洗礼を受け、大人の世界を見せつけられてしまった私たちは、いま、なお、この言葉を突きつけられている。

気づけばアラフォーだ。いつまでも若く感じるのは、上の世代がまだまだ頑張っているからだろうか。会社ではまだまだ上に上司たちがいる。いや、時には部下に抜かされることだってある。政治の世界もそうだ。朝まで生テレビをみたところで、まだまだ田原総一朗が吠えている。

若いつもりでいても、身体も精神も衰えていく。人によっては、そろそろ親の介護も始まってくる。だんだん身動きがとれなくなってくる。

同じロスジェネと括られても、前期ロスジェネは団塊ジュニアでもある。平成の生き方を模索しつつも、昭和の魂の呪縛から逃げられない。そんな中で生きている。

かつての昭和のサラリーマンの夢、「成功・出世・情愛」を体現した島耕作も社長を辞任する流れのストーリーになっている。

「俺たちの時代」なんてくるのだろうか。

そんなことを不安に思ったりもする。

同世代の英雄、松井秀喜は精一杯戦い、勇気ある引退をした。さて、私たちは松井秀喜ほど戦ってきただろうか。それは環境のせいか、自分のせいなのか。自分の引き際をどうするか。

人生というのは、終わりがあるものである。終わりを意識しつつ、年末年始は、自分たちの前途を考えることにしよう。

ありがとう、松井秀喜。そして、お疲れ様。

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