医療、介護は成長産業たりえない 井上晃宏

井上 晃宏

 今後の成長産業というと、「環境、医療、福祉」だということが言われる。
 「成長産業」には二つの意味合いがある。国全体の経済規模(GDP)を拡大させるという意味と、個別産業としての規模が増加するという意味だ。
 「環境」が、前者の意味での成長産業ではありえないことは、野口悠紀雄氏が詳細に述べている。
 私は、「医療、介護」は、後者の意味での成長産業ですらないと思う。


 「医療、介護」の特殊な点は、費用の徴収と分配を政府が行っているところにある。私的医療、私的介護も禁止されてはいないが、病人や要介護者は、同時に経済的弱者でもあるので、費用を負担する資力はない。何らかの方法で、社会全体で費用負担をする必要がある。
 言い方を変えると、医療、介護とは、税(社会保険料を含む)でファイナンスされる産業である。成長させるには、他の政府支出を削減して医療、介護に回すか、あるいは増税を行う必要がある。
 他の財政支出を医療、介護に転用することは、事業仕分けの結果が示したように、困難である。増税に対する忌避感がこれほど強い政治状況では、財政規模の拡大も不可能だろう。つまり、「医療、介護」は、政治的理由で、成長することはない。
 「環境」が、まさに政治的理由で、補助金を投入され、無理やり成長させられているのとは対照的である。もっとも、その分だけ、他の産業は縮小しているのだが。
 私的医療保険や私的介護保険も一つの解決策ではあるが、先進国で成功している事例はない。なぜなら、所得が高く、健康な人々を、保険会社側が選別してしまうからだ。保険会社は、クリームスキミングするだけで、経済的、健康的弱者を相手にすることはない。それらは、結局、政府が面倒をみることになる。財源は、無論、税である。その大半は、相対的に豊かである私的保険の被保険者が払うことになる。公的医療、介護の財政支出は抑えられ、水準はひどく低下するだろう。これが米国の現状である。

コメント

  1. うらら より:

    福祉の職場にモグリで働いています。

    介護の職場が失業者の受け皿や、麻薬中毒の元アイドルの更正のためのものだとか、そういう世間の捉え方が、介護の仕事を貶めている。
    向き不向きは当然あるのだ。不向きな人を無理に雇わなければならない事業所もかわいそうだし、何よりスタッフが幸せでなければ、利用者を幸せにすることなどできないと、まず皆が知るべきなのだ。http://uraraprep.blogspot.com/2010/01/blog-post_08.html

  2. うらら より:

    この先はきっぱり、金持ちしか手厚い介護は受けられません。
    弱ったら誰かの世話になるという甘い夢は捨て去ってもいい。

    独居老人も悪くない。参考までに→
    http://uraraprep.blogspot.com/2009/12/blog-post_24.html

    あと、きれいごとではなく、介護ヘルス産業というのはニーズとして避けられないと思う。これ、大真面目。http://uraraprep.blogspot.com/2009/12/blog-post_15.html

  3. 海馬1/2 より:

    介護ヘルス産業 というより、
    介護・看護師と大差ない業務をして、
    風俗のほうが時給換算で10倍近いということは、
    よく言われていることですね。 (もちろん社会保障は除く)
    逆に、風俗経験者が衛生研修など受けて介護師として
    働くことの方が、よろしいのではないでしょうか。

  4. forcasa3 より:

    インドは医療水準が高い割に先進諸国と比べて価格が安く、保険対象にもなっているので欧米からの「医療ツアー」なるものがあるそうです。
    そこまでやって初めて「成長産業」と呼べるのでしょう。

  5. advanced_future より:

    本エントリの内容としては全く反論がないのですが、医療産業全体で見たときの規模は大きくなると思われます。既存の医療産業領域での大きな成長については、参入を狙っている企業もあまり期待していないのではないでしょうか。もちろん、プロ用ハイテク機器等のハードではなくて、さらなるIT化によるサービス分野は成長が見込める部分だと思います。
    しかし、狙っているのはそこではなくて、高齢化による潜在的不安の解消といったところを目指して、医療のパーソナル化、治療から予防へといった部分に医療が広がっていくというのが、今主張されているところではないかと思います。病人向けだけではなく、健康な人達へ医療領域が広がるので相手は経済的弱者ではありません。

  6. sil より:

    人間いつかは老いますし、地獄までお金も持っていけないから金持ちには最高の医療や介護を提供する代わりに、業界に金を落としていってほしいですよね。

    混合診療を解禁すれば、高齢者世代から若年層への所得移転装置として機能する側面もあるのではないでしょうか。

  7. disequilibrium より:

    金持ちが死ぬときに相続しないで、医療でも介護でも、ぱーっと使ってくれるのなら、経済にプラスでしょうが、そんな生き方ができるのなら、金持ちなんてやってないんじゃないでしょうかね。

  8. a_inoue より:

    健常者に対する医療はすでに存在しますし、自由化されています。自費健康診断とか、生活改善薬とか、美容整形とかです。
    保険が適用されないので、価格は自由ですし、国内で認可されていない医療材料や医薬品も、個人輸入で合法的に買うことができます。

  9. advanced_future より:

    申し訳ありません、説明が中途半端でした。「医療のパーソナル化」と「治療から予防へ」で言いたかったのは、例えば遺伝子検査技術などがパーソナル化されて、専門機関にかからなくても消費者が医療的で有効な判断ができる領域が広がりるので医療が適応される領域、つまりビジネス領域が拡大するという意味です。
    その潜在的需要はあるであろうという見立てです。期待としては、公的機関が担ってきた治療の領域を、できる限り予防に移行することで民間需要に置き換えるというあたりかと思います。

  10. clesata より:

    ロジックは正しいと思いますが、たぶん本質的には巷では言葉の定義をしっかりしていないのではないかと思います。

    医療全般=ほぼ一定or緩やかな伸び
    (人間の他の欲望が満たされると、最終的に延命に投資するお金が増えるはず。これは将来的には私医療)なのは確かにそうだと思います。

    しかし、内訳を見ると、治療と医薬の比率変動により、医薬は伸びるけど、治療は減るというようなことが起きるはず。
    (治療行為が医薬に代替されていく)

    さらに、医薬の中でもバイオテクノロジー(一部ナノテクノロジー)を用いた医薬が既存の医薬を代替していくはず。

    つまり、世の中の「医療産業が成長産業」と勘違いしているのは、バイオテクノロジーの進化によってバイオ医薬品が成長産業のことであるということを、イメージだけで同値として勘違いしているのではないでしょうか。

  11. 介護は究極的には“下の世話”なのです(性的な意味のではないので誤解なきよう)。糞尿にまみれたオムツを日に何度も,その対象者が死ぬまでの年月を,まるで賽の河原の石を積むように休みなく交換し続けることです。介護する者とされる者の間には,肉親のような特別な人間関係が存在しなければできないと思います。それを企業が赤の他人を使って行ってその上儲けを出そうなんて無理な話なのです。みなさんは1回いくらなら赤の他人様のオムツを交換しますか?
    医療の世界にも,褥瘡というのがあって,人は寝たきりになると臀部の皮膚や筋肉や骨が腐って穴が開く状態となって,そこに糞尿が容赦なく流れこみ,化膿してえも言われぬ汚臭を発するのですが,その糞尿や膿を洗う処置を,かつて医者がタダで行っていたこと(正確にはどんぶり勘定の入院管理料に含まれていた)は,あまり知られていません。

  12. ある医者は「私がこうして褥瘡の処置を心をこめて行うのは,もし,故郷の父母が寝たきりになって褥瘡ができた時,そこの担当の医師が私と同じことをしてくれることを信じたいから」と言いました。きっと全国いたるところで同じ崇高な思いでこの処置をやっていた医者がいたはずなのです。あなたは,褥瘡の処置を行った医者の手が糞便で汚れていたとして,その医者を汚いと思いますか?
    ところが,近年,きれいな手をしたお役人様は,褥瘡の処置に1回100円ちょいの報酬を加算するようにしました。しかし,それと引換に褥瘡の処置をしないと入院管理料から1日いくらか差っ引くというルール改正を行いました。いわゆる未実施減算というやつです。その瞬間,医者が無料で崇高な思いでやっていた行為が,1回100円ちょいで,サボると罰が与えられる奴隷の仕事に変質したのです。

  13. 何が言いたいかといいますと,介護や医療というのは,現物支給であるサービスの価値が,金銭で置き換えたものを大きく上回るのです。それを企業がやって人件費を支払ってその上で儲けを出すなど,とうてい不可能なのです。成長産業たりうるはずがない。

  14. ゆうき より:

    団塊世代以降、必ずしも経済的弱者ではない病人、要介護者も増えてくるのではないだろうか。
    そもそも現在の医療・介護保険は、少なからず自己負担が発生している。
    人にもよるけれど、特別養護老人ホームに入所すると、受け取っている厚生年金の額のうちのかなりの部分を介護産業に支払うことになる。有料老人ホームの場合は、退職金の大半をつぎ込むことも必要になる。
    もし、この人たちが要介護者にならなければ、これらのお金はどう使われていたのだろうか。もしかしたら、将来への「不安」から、貯蓄にまわっていたかもしれない。

    「不安」を「安心」に変えることで、有効需要を作り出す、という側面が公的保険制度にはあるように思う。それに、消費税がなかなか上げられない政治状況下でも、医療・介護保険料は確実に上がってきているし、医療・介護保険全体の診療報酬や介護給付費の総支給額も増えているはずだ。公的保険でカバーされない部分までも含めると、この産業へ支払われた額の増加分はさらに大きくなる。

    ある産業全体に国民が消費するお金の額が増えているのだから、GDPを押し上げるかどうかはともかく、個別産業の規模が拡大しているという意味では、成長産業と言える